(つぶやき)
ノートパソコンを落としそうになる。
兄弟は互いに舌でなめあって親近感を深める。
猫の神様がいたら、すべてうまくいくように、君たちもお願いしてね。
邪魔しないで~。
去年12月16日の命日の日のイベントで観客席のみなさんに自由な投稿を呼びかけていた。お二人が原稿を寄せられている。一人は若い芸能研究者で東京在で、あとお一人はうちなーぐちの推進者のようで、康忠芸に惚れ込んでいる方だ。
うちなーぐち原稿が味わい深い。お二人がうちなーぐちの原稿を寄せられている。
人の語りの中には、表に出すのがはばかれるかもしれない事柄が込められている。それらを表にどう表出するか、編集者の仕事はたいへんなんだ。
まったく文章ができていない原稿もあり、その校正に頭をいためたりもしている。
特別東京など中央の沖縄ロビーストような芸能専門家の寄稿は求めなかった。
幸喜良秀さんや嘉数道彦さん、そして鈴木耕太さんの原稿は、真喜志康忠を浮き上がらせてくれる。康忠氏が自ら書かれた著書があり、その力は大きい。
実演家の言の葉の味わいがある。
私は真喜志康忠の親族ではない。しかし、大城立裕さんや幸喜さんと康忠さんが大きなうねりとして「沖縄芝居実験劇場」が成し遂げた文化運動の果実はずっと応援したいという気持ちが大きい。真喜志家・家族会や関係した芸能の家元の皆さん、また「伝統組踊保存会」の会長の山城さんにも資料を送っている。沖縄タイムスは真喜志氏の死に対し「巨星」と名指した。
沖縄の伝統芸能や文化に大きな影響力のあった大城立裕さんが絶えず言及していた名優真喜志康忠に対し、故人の人間国宝照喜名朝一さんは、ほとんどの真喜志氏の大舞台に地謡としてかかわっておられた。なぜ?その芸能家としての凄さを高く評価していたからだ。
現組踊保存会の会長や副会長は応援の手を差し伸べて下さるのかもしれない。このプロジェクトの経緯については、はじめてのやむをえない孤独なプロデュースだが、いきさつはまとめたい。成功も失敗も知見を深めてくれる。苦い蜜なのだと自覚したい。そう言えば雇われママのように関わってきた方もおられた。
まっすぐな仲田美加子沖縄県文化協会顧問の肝心の美しさに救われている。
最後まで公告会社に頼むなら私がやるわ、と言った女性のコミットを信頼したい。