無形文化財組踊保持者で、琉球史劇や琉球歌劇に秀逸な技芸を見せた真喜志康忠氏だったが、氏の命日は12月16日である。近代以降の組踊の演技の中軸は玉城盛重、渡嘉敷守良、新垣松含、眞境名由康さんなどが中心になった。それに島袋光裕、親泊興照、宮城能造、玉城盛義さんと続いていったとみていいだろうか?それと仁風会の金武良仁さんの手が継承されてきたのだね。
戦後、復帰前に芝居役者が組踊の継承から排除されたいきさつがあったことを真喜忠康忠さんからお聞きした。俳優協会は組踊の継承から除外されたのである。なぜか?国のお墨付きが付くとあって、分化して琉球舞踊の師匠たちが、組踊の中軸になっていったのだが、眞境名さんを中心に研究会がもたれていて、琉球舞踊の中の組踊継承へと流れができてしまった。そして芝居役者を締め出したのはどうも康忠さんのお話だと、島袋光裕さんと琉球舞踊の師匠だった方々だとみていいのだろう。組踊の継承から芝居役者を排除したその姿勢が問われていいだろう。←真喜志康忠氏の証言はテープが残されている。
近代以降、芝居小屋の中から雑踊りが誕生していった。雑踊りを創作した玉城盛重や渡嘉敷守良、新垣松含の功績は大きい。さらに伊良波尹吉の存在は大きい。組踊の系譜として見てみると、琉球史劇、琉球歌劇の中に大きな痕跡(組踊の系譜)が見られる。それからしても、沖縄芝居役者が組踊を芸能の根として演じることはとても重要なことになるね。最も琉球芸能の基盤は琉球舞踊や空手、祭祀舞踊が存在し、沖縄芝居役者が、琉球舞踊に堪能でかつ空手や古典・民謡にもなじんでいることは多様な芸の力を真に生かしていく上でとても重要なことに違いない。
芝居役者舞踊の面白さ、その手の継承もしかしなされている。それらも大切にする必要があるだろう。
思うに芝居役者で組踊保持者は真喜志康忠氏どまりである。排除されたのだから無理もなかった。しかし、今県立芸術大学の卒業生たちは、なんと戦前の名優たちのようにすべてをやってのけるオールマイティーな技芸を持つようになっている。彼らは琉球舞踊に堪能で、古典・民謡・太鼓、他空手などもたしなみ、組踊で舞台に立ち、新作組踊、琉球史劇、そして琉球歌劇もこなせる柔軟な精神と表現する身体をもっているのである。現代演劇もまた演じる技量だ。
戦前の名優たちの再来である。しかし、ウチナーグチの環境が違う。口立てで芝居ができるほどのウチナーグチの土壌がなくなってしまった現在、脚本が重要になってきた。ウチナーグチの台本をしっかり自分のものにするための台本読みが重要になっている。そこをきちんとマスターしないと、舞台がしらけてしまうのだ。その点、沖縄の総合芸術組踊、琉球史劇、琉球歌劇の継承は琉球王府時代から近代まで踏襲されてきた琉球語の継承にとってその中核になることを意味する。総合芸術は沖縄の民衆の共同幻想(夢)であり、そのアイデンンティティの基軸の表象に他ならない。その点で、現在の沖縄芝居役者、組踊役者(保持者・伝承者)、琉球舞踊家のゆるやかなな連帯が望まれる。
融合である。琉球舞踊の女性の家元の皆さん方も組踊を演じてきた方々である。男性だけが保持者の現況があるが、女性にも保持者の資格はあってもいいだろう。また組踊保存会だけが組踊を演じるという流れも、どうだろうか?組踊保存会のみなさんが逆に琉球史劇を演じたら、骨太の舞台ができるに違いないね。若い伝承者は新作組踊も琉球歌劇もやってのける力量の持ち主である。
新しい時代の観衆は優れた技芸に目が向いていく。あちらしけーしーでもいいが、作品の中身のよさとその芸の卓越した面白さを求めてやまない。狂言や間の物(まどるむん)の面白さの即興的な良さは長年舞台に立った芝居役者の専売特許に思えるが、それもウチナーグチのすべらかな表現が求められている。ウチナーグチがだめになると、これらの総合芸術はだめになり、沖縄のアイデンティティもあいまいになっていくだろう。
沖縄芝居役者の組踊も見てみたい。地域の村踊りで演じられている組踊もあるが、芝居役者の組踊も面白いに違いない。