
古代信仰を研究している真喜志きさ子さんによると、日本全国に久米の名称があり、中国人の集落があるとのことでした。次は彼女に日本との比較など話してもらったらいいですね。きさ子さんに「久米は辻の隣にあったからその関係性が話されるのか拝聴しましょう」と誘われたのでした。彼女のよると「14世紀が古琉球だなんておかしいわね」とのことです。1008年に紫式部の「源氏物語」が書かれていますね。古琉球?中世琉球?
登壇した専門家のお話はそれぞれとても明快で簡潔で面白くユニークでした。久米が1609年の薩摩侵攻後の1630年代くらいから特別な機能集落になっていった歴史の推移が中国(明・清)貿易の故だったことがよくわかりますね。それも薩摩の意図の上で琉球国の運営上、人為的に造られた村だったことがよくわかります。技能集団です。特に通事の役割、宗主国中国の儒教倫理と学問を支えたのですね。一方で薩摩、江戸への使節団の登場も必須で、日本の歴史や文化も1660年あたりから盛んに取り入れられていったのですね。マルチ国家琉球国ですね。中国のシステムや文化と薩摩、江戸のシステムと文化を取り入れたハイブリッド国家だったのですね。
前田舟子さんが博論でまとめたテーマをきちんと話していて好ましかったです。いいですね。女性の歴史家はいいですね。また新たなジェンダー視点も今後出てくるかと期待したいです。日本への同化が近代の66年間です。その中で消えていった、削がれていった伝統が多々あるのですね。田名さんは清明祭はきちんと残ったと話していました。13、14、15、16世紀の中国大陸の動向、日本の動向、身近な韓国やフィリピンや東南アジアの動向を含め比較検証がもっとなされたら面白いですね。
中国の台頭と交益社団法人「久米国鼎会」の隆盛もまた関係しているのですね。久米36姓の代表はかの元知事仲井真弘多さんや演出家の幸喜良秀さんを思い出します。文化の面での中国の影響、日本の影響、琉球独自の伝統習俗、ハイブリッドな中での特性とは何だろう?独自性!
華僑の存在や倭寇の存在も気になりますね。それから港町の風景、1672年に設立された辻遊里や仲島遊里など、機能的な村ができたので、王府管轄の機能的な遊里辻村ができてもおかしくないですね。表の文献は出てこないのですが、画像や歌がいろいろと実証を残していますね。