志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

琉球王府時代の那覇港の様子です。薩摩の旗頭の船が賑わいを見せていますね!

2015-01-09 23:35:41 | ジュリ(遊女)の諸相:科研課題

薩摩の商船が多く停泊する様子は、港町那覇の時代の流れとして、市場を牛耳っていた女性たち、そして近世から近代にいたる現地妻のような遊郭の女性たちとの関わりもまた示しているようです。

終戦後、米兵たちにとってオンリーの女性たちがまた多かったことを髣髴させます。

那覇港で祝宴なんですね!三線を奏でている女性たちです。

冊封使録を読んでいると、明や清の皇帝へのうやうやしい挨拶文の美文にハットさせられました。その皇帝を称えるレトリックをそのままこちらで紹介したいほどですが、ぜひ漢語から訳された原田さんが頑張った翻訳を読まれてみてください。もちろん中国語が読める方は原文から読まれたらいいですね。また冊封正使や副使の記録文も中には紀行文のようなリズミカルな文章に出合うこともあり、琉球王府時代の中國宮廷との関わりの深さが浮びあがってきます。冊封使録は琉球の歴史書といっしょに小学校、中学校、高校でも生徒たちが気軽に読めるように、沖縄県は是非資金的はサポートをしてほしいですね。沖縄県史も次々新しい冊子が発行されており、その緻密な掘り下げが次から次へとなされていますね。それらの県史も是非全巻教育現場でそろえて、授業の中でも歴史を学ぶ意味で読むことは足元の理解につながりますね。

またそれらの県史や冊封使録などを英語やスペイン語など、他の言語に翻訳することも必要でしょう。うちなーぐちに翻訳する必要があるかどうかは、どうでしょう?表記言語を漢字と平仮名でやってのけた琉球の歴史ですね。口語は異なったのですが、その口語と書き言葉の二重性もまたどう対処していくのでしょう?口語はウチナーグチ、書き言葉は日本語と漢字でしょうか?

昨今の東アジア、あるいはアジア全体の状況ともからみ、また1800年以降の西洋列強のアジア進出の波をもろに受けた琉球・沖縄の歴史、その足元を手繰り寄せることになりますね。ひいては深い隣人諸国、人々の理解が達成できるようになるはずですね。


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