例えばハワイ州最高裁判事サブリナ・静枝・マッケナさんは書きます。「アメリカでは、ホームレスの若者の二割から四割はLGBT,すなわち性的少数者である」と。彼女の講演は直接拝聴しました。パートナーは沖縄系四世の小学校教員デニスで、彼女は人工授精で一人、同じくサブリナは人工授精で二人子供を出産して、5人家族だと写真も紹介していました。アメリカの先駆性には驚きます。彼女のお話は第二巻に収録されています。
このジェンダー学の先駆性は、沖縄から世界への発信だという点、日本を通過することなく直に世界へ連結していく沖縄の地(知)の力を示しています。琉球大学英語英文科の後輩で秀逸な喜納 育江氏の編集。各巻冒頭の彼女の序章が全体を概観し、かつ新しい思潮を浮かび上がらせているといえそうです。全巻を丁寧に読んで書評をこのブログで書きたいと考えています。今ちょっとできないですね。
小さな島が大きな島に見えてくる瞬間に立ち会うような錯覚は錯覚ではなく、確実にハワイやアメリカを捉え、身近な台湾、インド、フィリピンと視点が広がっています。アメリカとの関係の強い沖縄の知の層がありそうで、それは喜納氏のバックグランドがまたアメリカを視座におかざるをえない地(知)の構築とも言えそうですが、斬新さが網羅されているのも確かですね。今回は表紙と目次だけ紹介しておきますね。是非多くの皆さんに手にとってほしい『沖縄ジェンダー学』シリーズです。個人的には博論とのテーマに連なるのですが、表象の中のジェンダーをまとめたいと考えています。
交差するアイデンティティなど、越境性はまた普遍性への遡及ということになるのだろう。ちょっと意識化すると時間が取られそうなのでここでとめておきます。
沖縄に特化した女性史、そこに見え隠れする陥穽を別の意味でこの『ジェンダー学』は視座(視野)を押し広げて世界を鏡として照らしているとも言えそうです。そして絶えず流動し変化していく地球社会(世界)ですが、沖縄の時空では常に他者として大きな顔がせり出してくる日本という存在が影絵のように貼りついているのは言うまでもありません。植民地という三字に日本とアメリカが被さってきますよね。ここでとめますね。書類結局終われなかった一日でした。
以下は序章『響き合う「他者」の物語ー境域、あるいはクロスロードとしての島嶼』喜納育江からの引用です。ヘタラルキーの概念が新しいですね。
ヒエラルキーに対する「ヘタラルキー」です!【異なる個体が、序列も中心もない形で共存している状態を指す。パトリック・D・マーフィーによると「ヘタラルキーの世界には、周縁化された他者(other)は存在せず、存在しているのは他と同等の他者(another)」であるという。
ヒエラルキー的世界観は、写真のポジとネガを反転させるように、ヘタラルキー的なものへと変容する。そこにはヒエラルキーの中で支配的だった「覇権的他者」に抵抗し、被支配的な立場を共有する「同等の他者」を召喚する「境域」が形成される。】
興味深いですね。反転する境域です。反乱・拡散・攪拌する遊廓を思い出します。セクシュアリティ&ジェンダーに関して、いかに遊廓が境域だったかですがー。ヘタラルキーが起こっているのですね。どこにもありえるということになりますね。なるほどー。
沖縄と志情というコトバに誘われて、
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ありがとうございました。
「 志情ぬ果ては無し
歌に声かきてぃ 」 ですね。