志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

しまくとぅばの現況調査結果まとめ:那覇市文化協会「ウチナーグチ部会」がまとめたアンケートです!

2012-08-27 11:55:38 | 言語

([竜神マブヤー]のオバー役吉田妙子さんはどこでも若者に声を掛けられてサインを!8月25日、若狭の居酒屋で!)

《しまくとぅばの現況調査結果まとめ》

   アンケート目的   

  このアンケートは、那覇市文化協会が9月18日の「しまくとぅばの日」企画として開催する「美ら島ぬくとぅば 語やびら大会」に向けて、県内各市町村の行政、および教育委員会が「しまくとぅば」の保存継承について、どのような意識をもって行政を進めているか把握するために実施した。

 アンケートは4月5日付けで41市町村の首長側と教育委員会に対し、4項目の設問を郵送し6月26日までに回答を得た。

 首長側と教育委員会を分けてアンケートを実施した理由は、那覇市のように首長の考え方によって状況が変化すると判断したことによる。

 

(総 括)

 

 しまくとぅばの保存継承について 

 

 →首長側では、那覇市、浦添市などほとんどの市町村が、地域文化・伝統芸能の理解や継承の上からことばの保存継承は重要だとしている。

自治体によっては、保存継承について基本的な考えがないとか、教育委員会の所管であるとして無回答で関心が薄い。

 

 →教育委員会では、伝統文化に対する愛着や誇りを醸成する上から、またウチナーンチュとしてのアイデンティティーの確認の上からも重要だと位置づけている。

 「言葉は国の手形」(豊見城市)、「言語の消滅は、社会の維持そのものに関わる問題」(宮古島市)だと捉えて保存継承の重要性を指摘。

 保存継承には、県全体で実施計画を作成すべき(浦添市)とし、教育課程に位置づけて指導しなければ不可能(伊平屋村)と危機感を訴えている。

 

 条例制定  

 平成18年3月県議会は「しまくとぅばの普及促進に関する条例」を議決し、県は9月18日を「しまくとぅばの日」と制定した。市町村で同条例を制定しているところははない。

 県条例を受け民間からの陳情によって那覇市(平成19年)、南城市(平成18年)、南風原町(平成18年)の3市町が「しまくとぅばの普及促進に関する宣言」を決議している。

 今回、アンケートと並行して38の市町村議会に対し、那覇市文化協会、NPO沖縄語普及協議会、NPO沖縄県うちなぁぐち会の三団体連名で「しまくとぅばの普及促進に関する宣言」を決議するよう文書要請した。

 その結果、浦添市議会と、国頭、大宜味、今帰仁、渡嘉敷、多良間の5つの村議会が6月議会で決議した。3の議会は資料配布のみ。その他の市町村議会は、9月議会で対応を決めることにしている。(要請文書が議会開会後に到着のため。)

 《しまくとぅばの保存継承の取り組み》 

 → アンケートでは、取り組み状況が必ずしも網羅されてはいないが、ある程度

   状況を把握できた。

 ①「しまくとぅばの日」制定を契機に、独自にしまくとぅば大会を開催している自治体あるいは過去に開催した自治体:

    名護市 うるま市 宮古島市 浦添市 南城市 石垣市 今帰仁村 本部町

    恩納村 宜野座村 読谷村 嘉手納町 北谷町 西原町 南風原町 久米島町

    多良間村 与那国町の16の市町村。

 

    ②県文化協会の主催している大会に代表を派遣しているのは:

   宮古島市 今帰仁村 南風原町 中城村

  ③講座etc

    那覇市 /平成17~21年度 うちなぁぐち講座 

         平成22 関連事業で講座と伝統文化体験事業

         平成24年4月から「ハイサイ運動」推進計画策定

    石垣市 /新川しまむにラジオ体操 トゥバラーマ大会 

       沖縄市 /市内8小学校がクラブ活動でNPOうちなぁぐち会の指導

    浦添市 /小学校3、4年生の社会科の副読本に方言の項を設け紹介。

         幼稚園で年間を通し方言であいさつ

    沖縄市 /市内8小学校でNPOが、方言の民話読み聞かせや方言劇等

    糸満市 /H23 しまくとぅば体験授業 むらやー塾で方言講座

         保育所で歌や遊びに方言取り入れている。

         行事等でのあいさつに方言を使用。

       豊見城市/しまくとぅば子ども教室(文化協会)

    南城市 /過去3回 しまくとぅばお話し大会

    宮古島市/方言による、こども民話大会、ミヤコフツカラオケ大会

    国頭  /方言クラブ 民話クラブ

       本部町 /本部町しまくとぅば講座 琉球歌留多大会

    金武町 /金武町言葉講座

    伊江村 /イージマグチで朝の読み聞かせ

    恩納村 /琉歌大賞 村誌編集で言語調査も

    北谷町 /文化協会の中に今年、しまくとぅば部会設置した。

        中学校で総合学習の中にしまくとぅば授業もある。

    読谷村 /スリー語やびら ウチナーグチ大会

    北中城村/中学校の総合学習で方言を教えている。

    西原  /役所の窓口 しまくとぅばで応対 スピーチ大会 方言劇

    与那原町/放課後、こども教室で「うちなーぐち民話劇」を開催。

    南風原町/文化センターで、年中行事などウチナーグチで説明。

    渡嘉敷村/各学校の文化祭でしまくとぅばによる劇の上演。

    渡名喜村/方言辞典の発行に取組んでいる。

    伊是名村/方言辞典発行

   八重瀬町/汗水節大会

     与那国 /今年度 一括交付金を活用し事業検討中

               (ユネスコの消滅言語警鐘に危機感を持った)

  《 しまくとぅばの保存継承について、今後どうあるべきか?》 

 

那覇市/文化行政は、1年途切れたら結果が明らかになるには5~10年かかる。 「文化のまちづっくり」をめざすために、しまくとぅ ばの保存継承にあたっては 予算を確保し継続して事業の実施が必要

   /ウチナーグチの日常生活における使用の普及拡大を目的として、行政としても率先して取組む必要がある。(教育委員会)

 

石垣市/教育機関や地域における普及活動が最も効果的。

 

浦添市/県、市町村、学校、社会、地域、家庭にそれぞれに役割があり、体系的に実施するため、県全体で実施計画作成などを検討する必要がある。(教育委員会)

 

宮古島市/先人が創り上げ育ててきた文化は、方言と共に継承されてきたものだ。子々孫々に保存継承していくことは、今を生きる我々の責務である

                              (教育委員会)

国頭村 /しまくとぅばに対する関心と理解を深め、その言葉に誇りを持ち普及促進を図りながら、次世代へ継承していくことが重要。

大宜味村/特に小中学校生徒を中心に、学習する必要性を感じる。

 

今帰仁村/地方の方言としてではなく、沖縄の郷土芸能文化の根幹であり保存継承すべき。

 

金武町 /県全体、小中学校、大学まで授業に取り入れることが、最大の効果を生むと考える。(教育委員会) 

    /このままでは、沖縄独特の文化の衰退につながる。こどもの内から

     教育の中にしまくとぅばを取り入れ、親しみをもたせるべきである。

嘉手納町/学校、地域と連携し啓蒙、啓発をしていくべき。(教育委員会)

伊平屋村/学校において、教育課程に位置づけて指導しなければ、保存継承は不可能である。(教育委員会)

宜野座村/教育委員会で保存継承(文献、紙芝居など)できるよう推進したい。

 中城村/子どもの頃から、できるかぎり学校や地域で、しまくとぅばに触れる

    何らかの機会を作っていく必要がある。

与那原町/地域、学校、家庭、行政を含めて全体的に一体となって保存継承していく必要がある。

渡嘉敷村/沖縄独特の言語であり、琉球の歴史を語るにおいても、永久に保存すべきである。

伊是名村/地域ぐるみで取組まないと継承できない。


最新の画像もっと見る

13 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (なんくるなる‘琉’)
2012-08-28 18:45:17
沖縄県は取り組みが活発でいいね。

奄美はどうしているんだろう。鹿児島県が県土の一部けの奄美語の保存の為だけに予算出すかな?
つまり奄美群島意外の鹿児島人には奄美語の為だけの支援にメリットを感じないでしょう。本土に移住したシマンチュを除いて。

本土諸方言の保存を重視したい日本政府や本土人もユネスコで7つも琉球諸語が絶滅危惧語に指定されたのはおもしろくないかな。

さて渡名喜や伊是名等、首里からの移住者以外の地元の言葉が首里・那覇とどれくらい違うか興味津々。

本島と周辺離島は国頭語と沖縄語という指定は得られたけど、その2つの中でも地域内差がとても大きい。

絶滅危惧語の中にまたたくさんの絶滅寸前の言葉がある。
ここは県や自治体の頑張りどころですね。

返信する
奄美も是非!大阪でも! (なさき)
2012-08-28 19:40:31
美ら島ぬくとぅば語やびら大会:平成24年9月9日午後1時半です!琉球新報ホールで!

この大会には奄美からの参加者もいます。「ことばは世代をつなぐ」(くとぅばや とぅし くいち)の題で発表します。

那覇や浦添は郷友会の活動が闊達なので、那覇在住の奄美の方も参加します。琉さんは来年どうですか?徳之島ことばを島唄を披露しながら紹介することも可能かも思います。

うちなーぐち・琉球諸語は生物多様性/言語多様性推進ー世界の捉え返しの潮流にのっていると思うのですが、文化政策の取組はまだまだ弱いと感じます。

リードすべき言語学者や琉球文学の研究者が方言認識で指導している現実ですから、ユネスコが世界を見て提言したことを噛み砕くスピードの遅さを感じています。
返信する
Unknown (なんくるなる‘琉’)
2012-08-28 23:28:03
大会はオスプレイ配備反対県民大会の日と重なりませんか? でも両方とも外せない大会ですよね。

私はこの日午後2時から、奈良県いかるがホールでの組踊特別観賞会の予定を入れておりますが、県民大会があるなら、レッドカードを意味するという赤の布切れ(もう購入済みです!)を付けるつもりです。

奄美からの参加、いいですね。
奄美と沖縄が相互に関係し合おうとする姿を見ると理屈抜きで嬉しくなります。

>徳之島ことばを島唄を披露しながら紹介

出来たら、なんですが私、那覇言葉が7割くらいとしたら徳之島の言葉は1割くらいしか聞き取れないんですよ。^^; 目の前で親戚同士が話していてもです。

下地勇さんのみゃーくふつを聞いて片言分かるくらいの感じです。

例)
チバリヨー→キバラデェ
ユタサルグトゥ→ユタハルギシ
ユマンギ→ユシクーリ
ニフェーデービル→オボラダーニ

また奄美大島と徳之島も国頭語と沖縄語くらい違うのではないかと。

親戚にネイティヴがたくさん居るのでどなたかに依頼します。

でもですね、2年程前、琉家のルーツに関わる沖縄在住の方への呼びかけを主旨として、琉球放送で玉城朋彦さんの「沖縄大好き」にゲスト出演させて頂き(朋彦さんの先祖が薩摩侵攻の際に徳之島を防衛に来ていた玉城親方朝智であったことの縁もあり)、徳之島のことについても色々話をする機会を持ちました。

島唄も演奏しては?ということでしたが、用意された三線のウマが壊れていてセーフ。^^;

言葉と同じく徳之島独特の奏法も殆ど出来ないので恥をかかずに、また徳之島の方に迷惑をかけずに済みました、、。







返信する
琉家のルーツはたどれたのですね? (なさき)
2012-08-29 09:52:01
玉城親方朝智は朝薫のお父さん?でしたか。しかし薩摩侵攻に対抗して多くの徳之島の方々が戦死した事実はあまり聞こえてきませんが、今まで意識してなかったせいかもしれません。その時の歴史はすでに書かれていると思うので資料を見てみます。

徳之島郷友会なども那覇にはあるのかと思うのですが、細やかなところで繋がっていますね。

9月9日、朝は宜野湾海浜公園、そして午後から琉球新報ホールというのは厳しい日程になりますね。せめて赤い服を身につけるとかで、連帯の表示はいいかとー。奈良の組踊公演の劇場でも赤が目立ったらいいですね!

徳之島くとぅばはやはり違いますねー。宮古くとぅばもまったくわかりません。川満センセーの宮古くとぅばのお笑いは面白いが、めったに聞きません。沖縄芝居のウチナーグチは見ていたらわかってきます。
返信する
Unknown (なんくるなる‘りゅう’)
2012-08-29 21:13:18
朝智(知ともあります)は朝薫の曾祖父です。
薩摩侵攻の何と前年の1608年から徳之島に派遣されておりました。それだけキナ臭くなっていたのでしょう。

侵攻の折は、薩摩軍内に顔見知りがいて、命は助かったそうです。徳之島では1608年に亡くなったと書かれたものがありますが(子孫の系図もあり)、実際は生け捕りだったんですね。

奄美列島-今帰仁-首里にかけての戦闘状況は、上里隆史著「琉日戦争」に詳しいかと思います。(お時間なければ徳之島での戦闘場面だけでもお読み頂けます)

私もそこでこの戦争では沖縄本島より徳之島での犠牲者の方が多かったらしいことを確認出来ました。

奄美の島々が沖縄本島決戦前の防波堤の様になっていた様でその要が徳之島であったのではとあります。

そしてその後の沖縄本島からの分離。薩摩藩の植民地統治、鹿児島県行政下。

先の大戦での本土決戦の防波堤としての沖縄、本土からの分離、占領支配・・・何か似た感じしませんか?

痛みの規模は沖縄の比較にはならないかも知れませんが・・・。

9日は赤い布を付けた在関西沖縄県人を見かけることが出来るかも知れませんね。^^

首里にある玉城家の本家を尋ねたり朝薫の生地を尋ねる機会を頂いたことがあったことを思い出します。(生地の写真は飾ってます)

朝薫の父が焼物奉行、祖父が山奉行と知り、自分がかつて林業研究そして現在焼物を扱っていることに不思議な縁も感じました。
血縁があるかは定かで無いですが・・・。

お盆の前に先祖やその関わりに思いが巡ることも不思議に思います・・・。
返信する
1608年からですか? (nasaki)
2012-08-30 10:24:00
全てよく知らないことでした。ありがとうございます。上里さんの『琉日戦争』は読んでみます。ひょっとしてその朝智氏と徳之島の女性の間に生を受けた方が琉さんのご先祖ということがありえるのですね。在番なり奉行は現地妻を得たのが慣習ですのでーー。

ルーツは興味深いです。記録にはない歴史がありますね。尚清王と北中城の娘との間にできた男児がA家
でそれはA家とB家に分かれていますが、那氏の元だと言われています。小さな首里系統の氏ですが、首里市長だった平識善徳さんは伊江家とも親しくしていた様子で、戦前から戦後にかけて士族は叔母などを見ても士族どうしで結婚していますから、それから推し量っても戦前の琉球・沖縄社会の階層性のしぶとさが分かります。

戦後のアメリカ世が沖縄社会にもたらした+もあったのででしょうね。つまり平等と民主主義の考えですが、その矛盾をまたアメリカの占領政策は強いていたので、反米、反基地に立ち向かっていった。そして日本システムに馴染んでいた身体と感性・知性が「祖国復帰」と称して日本への帰属をナショナリティーと人権の点から選択していった。

しかし徳之島に派遣されていた玉城朝智がご先祖というのは、朝薫が琉球文芸の神のような存在であるがゆえに、誇りになりますね。それと山奉行と焼き物奉行も因縁ですね。

ご指摘の防波堤、分離、占領の構図は国家なりあらゆるコミュニティーが自己保身のために取る常套手段のパターンということになるのかもしれませんね。それもサバイバルの手段ということになります。防波堤は犠牲ですね。犠牲になる方はやりきれないですね。それを是として社会の細胞の増長がなりたつ=公式だとすると、それをどう脱できるか、に関心はいきます。

つまり新たな公式を生み出さないと常にあらゆるコミュニティーや国家は犠牲を肯定していくことになります。といっても世界の人類史を見ると、戦争《優劣》による力の支配が貫かれてきたのですね。ナチズムより連合軍が良かったののかもしれませんが、その後の冷戦、帝国主義支配などなど、ーーとてつもなく、今は地球そのものが疲弊して窒息しそうな風情で、制御不可能なものを生み出してしまっている。未来に絶望しないためにどうするかですね。

沖縄、米軍基地はやはり無い方がいい。力の政治・軍事力学を払拭できないのだろうか?リアリストは全て軍事・パワーだとしますね。文化力が世界を変えることができないだろうか?やはり下部構造(政治・経済)に対する上部構造だから厳しい。しかしですね。

どうも徳之島からここまで来てしまいました。辻遊郭なり芸能なりジュリなど、またジェンダーやセクシュアリティーを対象化していて、気になるのが「暴力」とそれにまつわる神話も含めた歴史です。
返信する
北部への旅は如何ですか? (なんくるなる‘りゅう’)
2012-09-01 18:59:55
 こんにちは。お元気してますか?

 お盆の中日ですので先祖のことは思いっきり語りたいと思います^^;。

 朝智は、徳之島では安佐珍(あさち)と表記されていて、同一人物であることを見抜きにくいですが1608年亡とありますので、1609年生け捕りの朝智と同一人物であることはほぼ間違い無さそうです。

 徳之島には奇跡的に系図を保持しているこの子孫も多くいますが、当家がこの子孫と血縁があるかは分かりません。

 沖縄から来島された当家初代の父親は、およそ1700年前後生まれと逆算されるので、100年くらい合いません。
 ただ来島された方が向氏の中のどこかの流れ、特に縁が強くあった様である今帰仁の具志川御殿(初代尚真王三男、五男は尚清王)と関係があるなら、その分家筋の辺土名殿内の玉城親方朝智や朝薫とは血縁があるかも知れません。

 曾祖父に今帰仁からついてきた士族の方(ヤッチーと言われていた。向氏かは不明ですが)を同じ墓に入れておりますが、当家の墓は、どこかで血縁があるなら幅広く好意的に受け入れているからです。

 ですと那氏とも遠く昔に血縁がある、と言いますか、沖縄本島も徳之島も尚王家と少しでも血縁があると辿れる家は殆どかと思いますので、やはりイチャリバチョーデーという言葉は偶然を言っているのではないかも知れませんね。^^

 北中城は舜天王統のお墓がある土地の様ですね。

 琉家出自の検福集落の殿地(とぅぬち。沖縄の殿内と同意か)にお住まいの仲(なか)家の方がルーツをそこに求めて、舜天の子孫花城家の家紋をお付けになっていらっしゃいます。

 でも馬氏しかり、尚清王まで辿れるって凄いですね。

 奄美人は薩摩支配の中でごたごたになり、系図座による秩序立てもなかったので、各家ルーツを辿るのが大変で、何百年前まで辿れたり、位牌のシステムが整っていて、シーミー祭が盛大に行われる家系の多い沖縄本島が本当に羨ましく見えますよ。

 大戦の傷跡は痛く感じておりますが、それでも草刈り機で刈られてもしぶとく花を咲かせる草花の様に、逞しく生き返っている、そんな姿を最近の沖縄に感じます。
 奄美もきっとこれからそうですね!

 あと徳之島でもですが、昔の階層性のしぶとさは強くあった様です。
 平民と士族の間等の結婚は若干の摩擦が親の世代まで起こっています。

 また会社で言うと経営者と平社員が結婚すると、周囲の目、親の目は厳しくなることがありますよね。
 そしてこの相互不信が政治政党の対立の根にもあって、うーん、いったんまんきてぃ、カオスになった方がいいのではないかとも思う。
 いやなってきているから無党派層が最大になっている。
 そして琉球弧でも、かつての士族も平民も琉球王家にどこかで繋がっている様になって来ていて、階層の崩壊が進んで来ている様なので、階層社会へ逆戻りするより、島々、集落集落の連邦の様な横繋がり(アマン世?)が模索されていることを感じます。

 また私事ですが、仏教に多い霊魂の転生を信じているので、貴族で生まれても平民で生まれても、自分の性格の修正の為の修業だと受け取る様にしております。
 これ間違った考えですか?

 でも、一回の人生の中でそれらが入れ替わる変化の激しい現代でもあります。
 「勝って驕るな、負けて腐るな」 AKBの誰かが親に教わったことと言っていたことが胸に落ちたことがあります。

 自分は今あまりに経済的に苦しくて(ずっと日本人の平均年収の3分の1近く。コザ市と同じくらい。)、展望も明るくなく、腐りかけていますがふんばり所と思っております。
 いい時も悪い時もさざ波の様に繰り返すものと信じています。
 そしてなさきさんが小鳥や草花を見て感動する様な、日々の小さな幸せを糧に生き抜きたいと思っています。

 先祖を励ませることが出来る様な生き方を生きて見せたいと思っております。

 世界の仕組みも先祖方の苦労がうかばれる様なものに、微力ながらして行きたいと思っています。
 おこがましいながら・・・。

 長文失礼しました。
 間違ってませんか?
 忌憚の無い批判も下さいね。
 

返信する
ルーツという小説やドラマがありましたね! (nasaki)
2012-09-02 14:27:18
琉さんのご自分のご先祖への傾倒、アイデンティティー探しのパッションは、琉球国と薩摩の狭間にあった奄美、徳之島の特異な歴史文化に思い至ります。

高橋孝代氏の『沖永良部島民のアイデンティティーと境界性』という早稲田大に提出した博士論文がありますよね。ネットで読めるかと思います。一部関心のあるところだけ読んだのですが、奄美諸島のアイデンティティーの揺れを緻密に検証した論文かと思います。これを機会に丁寧に読みたいと思います。此の間、ツイターやブログで話題になった薩摩の在番に見初められた美しい徳之島の母娘の悲劇にも触れています。芸能のことに興味をもって読んだのですがーー。

琉さんがあらためて徳之島に焦点を当てて琉球王府との関係性を表に出すということはいいかと思います。そのルーツとの関係性も人間の属性として先祖に立ち戻る趣向は、無視できないのではないでしょうか?

私の身近では教育・研究職にあっても、貧困の中で頑張っている方々がいます。大学の場合恵まれた貴族的環境の方とそれから弾かれながらもいいお仕事をしている方々がいます。常に組織と非組織の隙間にいても、在野でも、いいお仕事をしている方々を応援しています。組織に頼って助成金をもらって、強迫観念に追われるように研究している方々もいますが、例えば大学で研究書を出版している方々は、文科省の助成(資金)を得ている方々がメインです。つまり金で研究がなりたっているわけですが、その仕組外でいい研究なり批評なり創作をしている方々はとても《魅力》があります。(仲里功さんや比嘉加津夫さんとか、女では知念ウシさんとか、大城道子さんとか組織がバック・アップしていない。研究費で書いているわけではない!間違いがあったらどなたかご指摘を!ウシさんは沖縄タイムスが原稿料&出版で応援したのかな?)

まぁ常に恵まれない環境でいいことばを思念を感性をまとめている方々にエールを送りたいと思います。恵まれ族でもたいした仕事をしないで肩書きだけが踊っている方々も多いのですから、やっかいですね。

ですから貴方もたいへんかと思いますが、情熱を前に推し進めて下さい!システムの既得権の中にない感性で見えるものがあるかもしれませんよ。ヤチムンや風土風水のテーマも面白そうです。

お仕事もたいへんかと思いますが、この間の家族との関わりの痛みを+に転化できたらいいですね。生きている間の挑戦であり、失敗であり、悲喜こもごもです。

スクブンを是非実現させて!スクブンは使い勝手のいいことばですね。わたしのスクブン、んん、厳しいけれど、歩かなければですー!
返信する
Unknown (なんくるなる‘琉’)
2012-09-10 00:18:27
高橋さんの博論は以前新聞で拝見しました。
また今ネットでざーっとですが読んでみました。

徳之島も3つの町がありますがそれぞれで琉球や鹿児島への帰属意識は違うと思われます。
琉球系、薩摩在番系でも違う結果も出ると思います。

数年前、琉球への帰属意識が当たり前の様に思っていた私は、薩摩役人系の子孫の琉球呼称嫌いにびっくりしたことがあります。

まるで牛島中将かと。^^
奄美諸島で、ここまでは日本、薩摩の領土だ!と鼻息を荒くしている感じがしました。
同じ島でも系統によって全く感性が違う。

世代によっても違って、戦前生まれで日本を買い被っている父と根本が合いません。

沖縄本島より日本に近い訳ですから右寄りが多いんだなって、最近落ち着いて見ることが出来る様になって、大島郡が鹿児島県である間はあまり深く関われない土地かな? って今は思っています。(他に色々な島の事情がありますが、また改めて)

無防備で入り込むと非常に傷つきますから。

しかし高橋さんはよく挑みましたね。
アイデンティティーの追求、自分が出来なかったことを代わりにまとめて頂いた様なものです。

同じ調査を徳之島でやれば、もう少し本土よりの結果、あるいは首里の主の流れがかなりしっかりした島で、沖永良部の様に薩摩役人が島役人にとって変わった感じが無い様なので、意外に南の沖永良部より沖縄よりの結果が出るかも知れません。

薩摩軍侵攻の時、最大の激戦をした徳之島と無条件降伏した沖永良部島では島民性がちょっと違う様ですし・・・。

しかし奄美で言えることは那覇でも似た様なことが言えるかも知れませんね。
那覇士族を中心に薩摩商人や在番などとの混血は、むしろ都会であった那覇の方が進んだかも知れませんよね。

沖縄都市部のそういう意外な側面を、奄美の研究者はあまり知らないと思います。
奄美だけでなく、沖縄都市部も薩摩が入り込んだ。
江戸期は各島々で同じ様なことが起こった様に感じます。

さて、明日より沖縄入りです。

県民大会の後の那覇で、読谷で、肌で何を感じ取ることが出来るか楽しみです。

17日くらいまでの旅程でアイフォン無いのでネットとは少し離れて過ごします。

では。^^
返信する
徳之島のアイデンティ・コンプレックスを是非! (なさき)
2012-09-11 01:05:55
その複雑なアイデンティテイの要因を徳之島を中心にまとめられてみたらいかがですか?ただ高橋さんとは異なった手法なりで関西に住んでいる子孫の方々と文化アイデンティティやディアスポラ性とからめると面白いかもしれませんね。

アメリカのエスニシティーの研究者はご自分の先祖の体験を含めたアメリカでの個人史を書くように研究論文を書いていますよね。同じことが奄美出身の方がマジョリティ社会の中でどう独自の文化アイデンティティーなりエスニシティーを誇示しながら例えば大阪で生活しておられるのか、それは十分博論になりますね。(笑)歌・三線がまたどう影響を与えているのかなどー。どなたかが書かれているかもしれませんね。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。