以下は去年の8月のブログだが、たまたま訪れるブログサイトの人気記事のようです!個人情報を保ちたい人はネットを使わない方がいいということになりますが、ネットとの関わりのデータは全て記録される時代という事で、いったんネットにアクセスしたらプライバシーの100%保持はすでに不可能ということになります。あらゆる形で個人が裸にされる時代ですね。℡も盗聴されていますし、ネットのSNSも勝手に分析がされています。個人の意図と関係ありません。博士論文もネットですべて公開の時代です(関係する大学)。(←書籍化しないかぎりですが)一方で個人情報保持のため、の名目で役場でもある知人の住所なども教えてくれない事も起こっています。ネットで禿鷹のようなプライバシー侵害と対局が行政です。秘密保護法などもその中に入るのでしょう。ネットで明らかにされる情報(明らかにされずPCに秘匿される情報の争奪戦が国家をあげてなされているのがスノードン事件ですね)は、もう開き直るよりほかない感じです。発信の目的とコミュニケーションの手段ですね。すでにネットに知の構築物がどんどん加算(蓄積)されていく時代ですから、従来の図書館機能も変わっていきます。やれやれ!時代の推移は凄い!100年先を見越して現在を生きよ、止められない時間の中でことば≪永遠を刻む≫を記せの警告にも見えます。つまり「我思うゆえに我あり」のデカルトの名言は、意識的知覚的存在の人間を言い得ていると思うのですが、未来の自分を意識せざるをえなくなった現在は、また永遠の我をどう生きるかの問でもありそうです。I feel therefore I am! I think therefore I am!→ I live forever in the Net therefore I am! の時代へ?デジタル・タトゥーはなるほどですね!
〈転載〉
「デジタル・タトゥー」 問題とは何か?
松村太郎
http://diamond.jp/articles/-/39794
今年2月にカリフォルニア州ロングビーチで行われた「TED Conference」で印象に残っているキーワードの1つに「デジタル・タトゥー」(Digital Tattoo)がある。電子的な入れ墨、という意味合いだ。入れ墨を消すのは難しいと知られているが、我々が生活する中で、こうした入れ墨をデジタル空間で残し続けているという指摘である。
この言葉を語ったフアン・エンリケス氏は、生物科学関連のベンチャーキャピタルの役員やゲノム研究と投資を行う企業のCEOを勤めている人物だ。TED 2013でのスピーチはこちらから見られる。
人は「不死」を手に入れた?
エンリケス氏は、スピーチの中で、能動的な投稿や受動的な結果に関わらず、人間の行動によってデジタルデータが記録され、ほぼ永久に蓄積されていくとし、「人間は不死になった」という表現している。現実世界での行動がデジタルで記録され、これがログとして生き続けるためだ。デジタルと死についても議論がわき起こっているが、これはまた別の機会に。
我々の生活の中でスマートフォンを使っていると、どんなデータを刻む可能性があるだろう。
意図的に投稿している情報としては、Twitter、Facebook、LinkedIn、Foursquare、ミクシィ、Instagramなどの文章/写真/動画投稿/位置情報へのチェックイン、顔認識のタグ付けなどが分かりやすい。ソーシャルメディアへの投稿は、共有する前提で長く残り続ける。最近ではヘルスケア目的で、歩数や睡眠の情報も記録している。
また自然に記録されている情報としては、Google等検索エンジンの検索履歴とクリック先、ウェブページ閲覧先と滞在時間、YouTubeやニコニコ動画の視聴履歴、アプリストアのダウンロード履歴、ゲーム等のログイン時間とプレイ時間など。あるいは端末の電池の使用状況も、端末の開発者にとっては貴重なデータになる。
昨今GoogleやAppleはスマートフォン活用と位置情報を紐付けており、上記の履歴に「どこで」という情報があわせて記録されるようになってきた。これらをつなぎ合わせていくと、「誰が」「どこで」「誰と」「何を」していたかが浮き上がる。
「ウェブ2.0」の文脈で「マッシュアップ」といわれる、サービス同士を連携させて新しい価値を生む手法が定着した。これらのタトゥーをマッシュアップすると、その人の人生を再現できるまでになってしまうかもしれない。
電子世界の記録、ログとして、人々は永遠に生き続ける。あなたがもし、ネット上に記録されるデータが気になってしようがない性格だとしたら、死後100年以上を見据えて、今を生きなければならなくなってしまったのかもしれない。もちろん、死んだあとも自分のデータがお行儀よくしているのかどうかは、自分にはわからないわけだが…。
利便性と引き替えに、タトゥーが刻まれる
・・・全文は
http://diamond.jp/articles/-/39794
ビッグデータとプライバシー、米国の動きに注視を
こうしたデジタル・タトゥーの多くが、米国シリコンバレーの企業によって量産されている世界的な構造にも目を向けておくべきだろう。その多くは、友人と情報を共有するという目的のために投稿されているが、結果として米国企業にこうした情報を預けている。
米国のサービスを利用する以上、日本人であっても、米国国内でのソーシャルメディアやビッグデータに関するプライバシーやセキュリティの問題を注視しておく必要がある。
特に、シリコンバレーがあるカリフォルニア州や、東海岸のITビジネスの中心であるニューヨークは重要な地域だ。たとえローカルな議論であっても、これらの土地での合意形成や州政府との取り決めは、そのままグローバルスタンダードになるからだ。
日本のユーザーと同じように米国のユーザーも、そのデータの扱いについては目を光らせてる。例えばFacebookは、180億もの顔のデータを収集したイスラエル企業Face.comを2012年6月に買収しており、プロフィールと顔の写真のサンプルが照合されることを懸念する議論が起きた。
またモバイルアプリがユーザー情報を勝手に収集する問題も同様の構造が見られる。GoogleやAppleなどのモバイルOSやストアを提供する6企業が、カリフォルニア州のオンラインプライバシー保護法にモバイルアプリを含めることで合意に至った。
日本人、あるいは企業が、米国内のこうした議論に意見することはなかなか難しいかもしれないが、技術や運用を含めたよい解決法の提案に積極的に取り組んで、示していくべきと考えている。例えば、匿名化の技術やモラル教育などは、日本の研究や施策に可能性がある。
筆者も含め、自分のデータがどれだけオンラインに蓄積され、これがどのように利用されているのかを把握できている人は少ないだろう。個人的にはテクノロジーをネガティブにとらえるよりも、ポジティブにとらえ味方につけることを追求したいと考えているが、100年後に恥ずかしい思いをしないための心得も、あった方がよいだろう。