(大龍峒保安宮:道教のお寺の中にある演劇の神様たち)
「コミュニティー・シアターに、違和感を持っている」と、お話された毛利先生は戦時中、竹槍をもって戦時訓練を体験されたのだった、ということが、つまり盲目的にある体制に付き従わされるコミュニティー、共同体のセンスに本能的な異怖の感情をもっておられるという英語で話された率直なことばに感銘を受けた。
だから個人主義であり、市民主義であり、民主主義であるのだが、何らかの囲いへの反発という事もありえるのだと、感じていた。国際学会の理事をされ、日本演劇学会会長の任務を10年間ほど担っておられて、欧米やインドなどの演劇理論の権威を次々日本に招聘して、新たな知の枠組みを構築してこられた毛利先生(近代演劇の父、イプセン研究の第一人者)やロシア演劇/美学研究者でもある永田先生が、日本を含めたアジア演劇の Convenor:コンヴェナー(研究グループ代表)として、2008年から献身的に頑張っておられる姿は【頼もしい】に尽きる。(A convenor is a chairman of an organized group—a board committee or deliberative assembly)
(前衛演劇劇場二階で開催された:休憩時にはおいしいお茶/コーヒーと台湾の珍味を楽しんだ!感謝)
個人的には多様な文化表象がある中で生身の身体が関与するパフォーミング・アーツ、とりわけ演劇は常に集団の無意識の意識を表象するゆえに個々の民族のRitual性がもろにでる表現媒体であると考えている。宗教やことばや身体が絡み合っている、いわゆるパフォーミングアーツであり、舞踊、民俗芸能、民族芸能、スポークン・ドラマ(シェイクスピアや現代劇を含む)など、すべて演劇に包含されると考えている。
そしてより源初的なものを常に包含していると考えるゆえに、それは最もラディカルな表現媒体であり、社会の縮図を身体で表出し、単なる娯楽ではなく根の部分で社会を変えうるものを持っている、という幻想を抱いている。集団の無意識の夢と誰かが比喩的に書いていたが、その要因は確かにあると思う。
アジアの近代演劇、中国関係の発表が3本(農民の劇場、上海を中心にした劇場の変遷、Uyghur演劇)もあり、マレーシア、沖縄、日本、そしてなぜか台湾の発表はなかった。台湾の近代演劇や近代のダンスの検証などはいい博士論文がすでに書かれている。植民地台湾のダンスの身体表象の推移は、複雑だったけれども台湾における日本の影響のポジティブな面もあった。文化は接触し反発しあい、かつ融合し新たなディメンションへ歩きだす。融合が生まれる。そしてまた弁証法的に競合しあっていく。
時代の経緯や推移の中で見えてくるもの、近代とは何だったのか?近代を捉え返す旅はまだ続く!
研究発表をお聴きして、新たな発見につながる醍醐味はいいね!コツコツまとめなければ、という思いが膨らんでいく。
研究発表の中身ついて次にご紹介したいと思う。
(旧正月前で市場は大勢の人波である)
「コミュニティー・シアターに、違和感を持っている」と、お話された毛利先生は戦時中、竹槍をもって戦時訓練を体験されたのだった、ということが、つまり盲目的にある体制に付き従わされるコミュニティー、共同体のセンスに本能的な異怖の感情をもっておられるという英語で話された率直なことばに感銘を受けた。
だから個人主義であり、市民主義であり、民主主義であるのだが、何らかの囲いへの反発という事もありえるのだと、感じていた。国際学会の理事をされ、日本演劇学会会長の任務を10年間ほど担っておられて、欧米やインドなどの演劇理論の権威を次々日本に招聘して、新たな知の枠組みを構築してこられた毛利先生(近代演劇の父、イプセン研究の第一人者)やロシア演劇/美学研究者でもある永田先生が、日本を含めたアジア演劇の Convenor:コンヴェナー(研究グループ代表)として、2008年から献身的に頑張っておられる姿は【頼もしい】に尽きる。(A convenor is a chairman of an organized group—a board committee or deliberative assembly)
(前衛演劇劇場二階で開催された:休憩時にはおいしいお茶/コーヒーと台湾の珍味を楽しんだ!感謝)
個人的には多様な文化表象がある中で生身の身体が関与するパフォーミング・アーツ、とりわけ演劇は常に集団の無意識の意識を表象するゆえに個々の民族のRitual性がもろにでる表現媒体であると考えている。宗教やことばや身体が絡み合っている、いわゆるパフォーミングアーツであり、舞踊、民俗芸能、民族芸能、スポークン・ドラマ(シェイクスピアや現代劇を含む)など、すべて演劇に包含されると考えている。
そしてより源初的なものを常に包含していると考えるゆえに、それは最もラディカルな表現媒体であり、社会の縮図を身体で表出し、単なる娯楽ではなく根の部分で社会を変えうるものを持っている、という幻想を抱いている。集団の無意識の夢と誰かが比喩的に書いていたが、その要因は確かにあると思う。
アジアの近代演劇、中国関係の発表が3本(農民の劇場、上海を中心にした劇場の変遷、Uyghur演劇)もあり、マレーシア、沖縄、日本、そしてなぜか台湾の発表はなかった。台湾の近代演劇や近代のダンスの検証などはいい博士論文がすでに書かれている。植民地台湾のダンスの身体表象の推移は、複雑だったけれども台湾における日本の影響のポジティブな面もあった。文化は接触し反発しあい、かつ融合し新たなディメンションへ歩きだす。融合が生まれる。そしてまた弁証法的に競合しあっていく。
時代の経緯や推移の中で見えてくるもの、近代とは何だったのか?近代を捉え返す旅はまだ続く!
研究発表をお聴きして、新たな発見につながる醍醐味はいいね!コツコツまとめなければ、という思いが膨らんでいく。
研究発表の中身ついて次にご紹介したいと思う。
(旧正月前で市場は大勢の人波である)