1999年に発行されたOKINAWA:COLD WAR ISLANDの中でSteve Rabsonの論稿 Assimilation Policy in Okinawa:Promotion, Resistance, and ”Reconstruction”を読んだ。なんとすでにネットでも公開されている論稿で、琉球・沖縄の中国との関係、薩摩との関係、明治以降の同化政策の動向、植民地的状況の近代沖縄の歴史まで、意外と分かりよくまとめていて驚いた。琉球王国の歴史から近代、現代(27年のアメリカ占領期)も含め復帰後の再同化に至る20世紀の終わりまで網羅している。それが意外と簡潔にまとめられているのである。アジア演劇論集に参入するつもりで発表したテーマが重なるところがあり、論考を書く上で参照する予定。同化=Assimilation だが 異化=Disassimilation でいいのか、大阪で発表した時は急いでPPTをつくったので、Assimilation and dissimilation としたが、どうも間違っているようだ。The Modernization of Okinawan Theatre: Assimilation and Dissimilation to Japan--Reconstruction of Okinawan Ethnicity and Identity と長いタイトルにしていたが、dissimilationは言語学関連の専門語で、異化にはDisassimilation がいいのだろうか?< The Modernization of Okinawan Theatre:Assimilation, Disassimilation and Reconstruction> が妥当か?Rabsonさんの論考を読むと、戦後アメリカ軍政府が意図的にDisassimilation 政策をとったことが書かれていて、日本復帰への抵抗として、意図的に日本への反同化キャンペーンをしたと書いている。
つまり米陸軍が薩摩の侵攻と琉球王国の収奪(Exploitation)また日本の沖縄に対する差別政策や態度についての研究助成をしたとまで書いていて、おや、と思った。沖縄が日本国家の中に包摂されないための工作がなされたのだと、書いている。反共産主義のキャンペーンももちろんだが、帝国日本から解放されていかに沖縄は幸運だったかと説いたのだとの説明など、つまり敗戦国家の住人であり、アメリカは共産主義から自由な他のアジアの国々同様、沖縄の住民を守っているのだとのスタンスを持っていた。土地の強制的囲い込みや法的人権を無視しながら、二重の罠に追い込んでいたのである。
日ー清戦争で清が敗北してからの沖縄は日本への同化が加速化していく。清がアヘン戦争でイギリスに骨抜きにされていなければ、事態はまた変わっていたのだろうか?戦前の沖縄の同化の影響や結果、20万人の犠牲の後の米軍占領期をへて、再同化=復帰運動との捉え方をしているPost-reversion assimilation への批判もある。反復帰論の紹介もあるということである。
大学入試に沖縄独自の歴史などについての問題がなされないことも皮肉っている。最後の結論の文章がいいから備忘録として残しておこう。
Thus, assimilation-promotion, resistance, and reconstruction--continues to spark debates in Okinawa that swirl around such familiar dichotomies as ethnic versus national, homogeneity versus diversity, and local versus central.
でも最後のコメントは鷹の目線に思えたがー。つまり沖縄がこれらの矛盾する〈対称的な〉論議を研究するには豊穣な所だと書いている。