昨今、猫のミーちゃんとユーちゃんがなぜかプリンターの後ろで休むようになってそこにタオルなどを敷いてあげていた。時にプリンターが押しのけられて落ちてしまったりして、困ったなーと思っていた。(余談だが深夜1時半頃からまたタイワン・クツワムシが鳴いている。夕方7時半頃も鳴いていた。夜中に彼らは演奏を続けているのらしい。ギュィ、ギィーギィーギィーと長めに羽をすり合わせて演奏する音とは別に、バイオリンのような音色も出す。そこは興趣だ。現在2:03分)
ところが、急に猫たちは来なくなった。こちらの事情が分かったのだろうか。不思議だ。猫には人間のように話かけている。自由に出入りしていた環境だが、お隣の人たちが君たちを嫌っていたりするから、気をつけてねとか話しているが、どれだけ納得しているのか、わからない。きっと何らかの気持ちは察してくれているのだろうと思っていたりするが~)
映画の話である。目の前のデスクと背後の書類などを整理しながら、実際、90ℓ収容できるゴミ袋にいらない紙類を入れながら観ていた。デスクの下の古い郵便物も区分けしていた。
映画は面白かった。最後の場面は泣けた。物語はストーカーの元夫に付きまとわれていた美しい弁当屋の女性とその中学生の娘が、ある夜彼らを探し求めてきた元夫を殺したことが発端である。彼女たちのお隣に住んでいたのが天才数学者として知られていた高校教師の石神である。石神の論理的頭脳によって母娘の犯罪は秘匿され、免罪されるかと思いきや、最後のスマートな物理学教授元友人の推論によって真実が後半に明らかになる。
最後まで石神のホームレス殺し(死体のすり替え)はまったく予想できなかった。母娘のアリバイと殺人との時間差が解消されないままだった。そこへ石神自らの自主という形で殺人事件は解決に向かっていたはずだった。しかし、闇の部分が明かされた。だれかの犠牲によって助けられたこと、罪と罰から逃れたことは、良心の呵責が許さなかったに違いない。石神の自主は、彼らの安寧を念じた愛の行為だった。
石神の自己犠牲の理由を知る由もなかったに違いない。ほのかな恋慕の情を感じていたにしろ、彼の絶望の淵を察することはなかった。しかし、自殺寸前にお隣の二人が彼に命を吹きこんでくれたことに対する深いおもいが明らかになったとみなしていい結末だった。「どうして?」と石神は叫んだ。彼女も泣いた。いっしょに罪を償いますと~。彼らのその後に美しい命の道しるべが待っているのか、それとも~はわからない。しかし命をかけた行為に対して、人はその命の重さを負うことになる。戦争や内戦のような大量殺人の修羅(地獄)もまたその罪と罰の重しを負って人類は生き生かされているはずなのだ。
日常のルーティーンに紛れている生活だが~。
ネット上でかなりの量のレスポンスあり人気のある作品だといいう事が分かる。