志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

唐手で牛を倒した? 『東アジア共同体・琉球」ニュース

2016-05-02 20:01:25 | アジアの過去・現在・未来
 
 
 
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    EACI News Weekly 第68号(4月29日号)
   東アジア共同体研究所(East Asian Community Institute )
    http://eaci.or.jp/

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 【目次】

 【1】《今週のニュース 4/23-4/29》
  政治(2)、経済(2)、国際(2)、社会(2)

 【2】《UIチャンネル放送予告 No.150》
 第150回UIチャンネル生放送
 鳩山友紀夫×進藤榮一(筑波大学名誉教授)対談「終わりゆく帝国」
 http://live.nicovideo.jp/gate/lv261249838

 【3】《EACIレポート》
 東アジア共同体研究所紀要が発刊!

 【4】《研究員コラム》
 緒方修(東アジア共同体研究所 琉球・沖縄センター長)
「沖縄の闘牛no.2」

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【1】《今週のニュース 4/23-4/29》
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【政治】
■野党共闘なら7選挙区で逆転=参院選1人区で得票試算
(時事通信 2016.4.29)
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016042900297&g=pol

■熊本地震 政府が「特定非常災害」に指定
(NHK 2016.4.28)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160428/k10010501671000.html

【経済】
■TPP法案 先送りを正式決定 特委、日程調整つかず 自公
(日本農業新聞 2016.4.26)
http://image.agrinews.co.jp/modules/pico/index.php?content_id=37203

■東芝不正会計の本質は、「国策」原発事業の巨額損失隠し
(Newsweek  2016.4.27)
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/04/post-5002.php

【国際】
■北朝鮮、ミサイルを再発射 いずれも失敗か
(朝日新聞デジタル 2016.4.28)
http://www.asahi.com/articles/ASJ4X5J3DJ4XUHBI01J.html

■米新規失業保険申請25.7万件に増加、雇用引き締まり基調変わらず
 | ロイター 2016.4.29)
http://jp.reuters.com/article/us-jobless-claims-idJPKCN0XP2B5

■「南シナ海に旗立てる」と中国挑発 比大統領選有力候補
(朝日新聞 2016.4.26)
http://www.asahi.com/articles/ASJ4T3VXYJ4TUHBI00Y.html

【社会】
■「沖縄の人々を先住民族と認めるように」 国連が勧告 政府「アイヌ以外に存在しない」
(ハフィントン・ポスト 2016.4.28)
http://www.huffingtonpost.jp/2016/04/27/united-nation-okinawa-native_n_9791804.html

■「国連勧告は危険」「撤回要求は県民侮辱」 「先住民族」で国会議員に賛否
(琉球新報 2016.4.29)
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-269541.html

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【2】《UIチャンネル放送予告 No.150》
 第150回UIチャンネル放送
鳩山友紀夫×進藤榮一(筑波大学名誉教授)LIVE対談「終わりゆく帝国」
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第150回UIチャンネル放送は、筑波大学名誉教授であり国際アジア共同体学会会長の進藤榮一氏をお招きして、鳩山友紀夫×進藤榮一対談「終わりゆく帝国」を生放送でお送り致します。
番組の予約・詳細はコチラから→
http://live.nicovideo.jp/gate/lv261249838
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 【3】《EACIレポート》
東アジア共同体研究所紀要が発刊!
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「東アジア共同体研究所紀要」が発刊されました。ご希望の方はinfo@eaci.or.jpまでご連絡お願い致します。

以下、緒方修氏の前書きより

東アジア共同体研究所 琉球・沖縄センターが発足して2年が経とうとしている。
これまでに10回に及ぶ講演会、イベントを行ってきた。そのほとんどに鳩山元首相が出席している。もともとこの研究所は2013年に鳩山氏が設立し、みずから理事長を務めている。
首相在任中に果たせなかった「東アジア共同体」の実現と「友愛の精神」に基づく世界平和の達成が目的である。そのための拠点の一つとして沖縄が選ばれた。
沖縄には日本の矛盾が集約し、差別が続いている。沖縄は日本本土から軍事的な要石として扱われ、全島が焦土となり、累々たる死者が出た。このことは今もトラウマとなって残っている。日本復帰後も米軍は居座り続けている。米ソの冷戦が終わり、在日の基地の存続が疑問視されようが、基地反対の世論が盛り上がろうが日米双方の政府は完全に無視。どころか
日本政府はさらに新しく軍事基地を造ろうとしている。このままでは東アジアの平和は遠のくばかりだ。
沖縄にいれば、研究所といえども研究ばかりしている訳にはいかない。いやこれまで勉強会は重ねてきたものの琉球・沖縄センターでは研究らしいことは出来なかった。翁長知事が当選しなければ沖縄の未来図は描けない。1年目はもっぱら翁長知事応援の側面援助の講演会。これらの成果は花伝社からブックレットや単行本として出版された。
2年目は「やんばるから平和の発信を」などの講演会、大学生、高校生を対象としたシンポジウム、法政大学での沖縄映像祭への協賛などを行った。その度にニコニコ動画のUIチャンネルや毎週発行のニュースマガジンでも紹介している。しかしもう少し芯になる研究活動も必要だ。そしてその成果をぜひ海外にも広く伝えたい。
勉強会へお招きした講師やセンターのメンバーで一つの冊子が出来そうな気がしてきた。
今回掲載した原稿はいずれも東アジアの未来を描くうえで欠かせない視点が含まれている。
アメリカの作家、ジョージ・ファイファーさんは「これが我が米国の沖縄への対し方か」と憤慨している。アメリカでは少数派だろうが、万人の味方を得た感じだ。
中本正一朗氏(物理学者)はドイツと日本の戦後の違いに注目する。一方は戦後の誤りを認め、一方は認めないで戦争国家へと進んでいるようだ。ワイ一ゼッカは有名な首相の兄、物理学者だ。
ヤギの解体シーンにはぎょっとする方もいるかもしれない。平川氏は東アジア各地におけるヤギの解体を見てきている。いずれ本にまとまるが先に本誌に寄稿して頂いた。
台湾2.28事件の遺族、青山氏の投稿は貴重だ。台湾政府は過去を償い、日本政府は知らんぷりか、と問うている。
高野孟氏は東アジア共同体研究所の理事、ジャーナリストとして国内外の問題を見続けている。辺野古の工事ストップについて他誌には見られない論考を寄せて頂いた。
緒方の孫文についての小論は100年以上前の辛亥革命と孫文の動静を当時の新聞記事に探ったものだ。孫文は中国・台湾双方から慕われる稀有の存在であり、「博愛」の精神を広めようとした。EUの「創始者」であるカーデンホフ・カレルギー伯爵、そして衣鉢をつぐ鳩山理事長の「友愛」とも通じる。
東アジア共同体を構想し、実現してゆく上でこの「紀要」が少しでも力になればうれしい。

                             東アジア共同体研究所 琉球・沖縄センター長
                                                         緒方 修

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【4】《研究員コラム》
緒方修(東アジア共同体研究所 琉球・沖縄センター長)
「沖縄の闘牛no.2」
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BULLFIGHTING
沖縄県うるま市では、闘牛 FANTASTIC!!BULL FIGHT 闘牛の楽しみ方 という闘牛ハンドブックを出している。日本語、英語、中国語、ハングルの4か国語。
Bull fighting is a tradition that has spanned many generations in Okinawa. でもって
Okinawa‘s bullfighting is a one-on-one fight between bulls, not a bull and a person like bullfighting in Spain.
つまり分かりやすくいうと沖縄門牛不像西班牙門牛那様由人和牛相門、而是譲牛與牛1對1對決・・なのだと。ほんでもって牛種類は門牛大部分以沖縄縣主産的黒色和牛であり、牛角是牛最大的武器なのだと。なるほど西班牙はスペインのことか、と感心している場合ではない。先へ進もう。その前にスペインの闘牛士・エル・コルドべスを描いた「さもなくば喪服を」(ハヤカワ文庫)を読んだことがある。佐伯泰英の出世作も同じ人物を取り上げ、月刊プレイボーイドキュメンタリー大賞を受賞、と記憶している。
「さもなくば喪服を」はドミニク・ラ・ピエールとラリー・コリンズの共著。この二人による「パリは燃えているか」、「おおエルサレム!」、「今夜自由を」など全て面白かった。
スペインの闘牛については、ヘミングウェイの短編が欠かせないが、カットして本題に入る。

対戦の状況
「牛は約10分程度で次第に疲れてくる。疲れの度合いは1、発汗 2、脱糞 3、放尿 4、舌だし の順で進む。「舌だし」の状態になると殆どの牛が力尽きて敗走することとなるが、2~4の状態が先に現れた方が負けの確立が高い。」(闘牛ハンドブックより)
なかには入場するなり脱糞、あるいは尻尾を振りながら後退する牛もいる。闘う前から失格のようだ。
試合ごとに闘い方が違う。なかには突然襲い掛かり攻めに攻めるが、急に逃げ出す奴。凄んでみたものの、ハッタリが通用せず、ごめんなさい、と謝る情けない男のようだ。
以前に見た試合の中で、激しく突きあった後、途中で離れて、首をうなだれ、闘う気を無くしたような牛がいた。メインイベントでの出来事だ。実力ナンバーワンの荒牛が試合を投げるつもりか。観客が騒ぎ出す。すると突然、全速力で地響きを立てて突進し、腹取りで勝負を決めた。相手を油断させてやっつける演技派の牛だ。
試合が長引くと、牛の腹は大きく上下し、荒い息を吐く。すさまじい闘魂が伝わってくる。両方の牛がじっと耐えている、どこまで気力・体力が持つのか、どちらが先に引くか、観客は固唾を飲んで見守る。1時間以上も続くこともある。試合としては10分程度が見る方も楽しめるようだ。(なお勝負が決まった後、勝った牛が追いかけて敗けた牛に噛みついたりすることはない。動物は殺し合いはしない、そんなことをするのは人間だけだ。)
―闘牛は戦後の沖縄社会で、「映画」「沖縄芝居」と並んで三大娯楽として人々を楽しませてきた。(宮城邦治―注・後述)―
当時の映像を見ると、何人も場外の木に登って観戦している。カンカン照りだろうが雨だろうが試合は行われる。なかには一晩中歩いてたどり着き、近くで野宿して待っていた例もあった。当時の美里村松本にあった闘牛場には大会には1万人もの人々が詰めかけた。

レジェンド・ゆかり号

「ゆかり号」と言えば沖縄では闘牛を知らない人の中にも、記憶に残っている。1962年~1968年の間に41連勝の金字塔を打ち立てた伝統の名牛だ。ゆかり号を讃える歌まであった。
1 ゆかりてる牛や
  世間(シキン)音(ウト)高さ
  斗牛場数如(ウシナカヂグト)に
  ユイヤサー
  花ゆ咲(サカ)ち
  ゆかりゆかりの
  かりゆし
  ゆかり号
(2、3,4は略)
5 四五勝ちふくて
  勇退(ヒチゾラ)美さ見事(ミグト)
  ゆかり花道ん
  ユイヤサー
  美(ツラ)く 咲(サカ)ち
  ゆかり花道ん
  ユイヤサー
  美く 咲ち                作詞・作曲 玉城安定
―1967年11月12日(木曜日) 斗牛新聞 第39号  琉球政府可 1964年12月2日 発行所 宜野湾市字大謝名418 斗牛新聞社 電話099~4863 印刷 セントラル印刷所 浦添村牧港 軍発電所向い―より。

ゆかり号の勇退記念大会のチラシが残っている。
ゆかり号最終の大決戦!!
とき  1968年2月18日(旧20)正後12時より 旧正20日 大斗牛大会
ところ 松本斗牛場
主催  勢頭斗牛組合
共催  琉球新報社
シーの一番 東大横綱 ゆかり号対鮫島号 西大横綱
戦前の赤嶺アコーをはるかにしのぐ怪力無双腹取の名牛、ゆかり号が沖縄の斗牛
界を正覇すること四年間防戦沖縄一の猛牛がつぎから次へとけちらされも早対戦
牛現われづとさわがれるちまたに雄然と決戦をいどむは鮫島号胸囲体重はるにゆ
かり号をしのぐこの巨体鮫島号は実力ナンバー2の昆布サイヨーと断然強みのある
引分けをしゆかり号の連勝にまつたをかけるべく日夜トレーニングに余念がない。
明治百年と共に斗牛界の夜明けは来た!!

「東京スポーツ」も真っ青の名文!格闘技の盛り上げはこのように書けという見本のようなコピーだ。ゆかり号と鮫島号はゴチック体が使われているが、鮫の字は作ったらしくゴチック体ではない。胸囲体重はる、の後、かが抜けている。

*残念ながら勇退記念試合でゆかり号は敗けてしまう。

ゆかり号の「最終決戦」が行われた1968年の旧正月はベトナム戦争真っ盛り。ベトナム解放戦線がサイゴンのアメリカ大使館を一時占拠し、大ニュースとなった。旧正月(テト)にちなんでテト攻勢と呼ばれる。この時を境に次第に米軍の敗色が濃くなってゆく。嘉手納基地からは毎日ベトナムへ爆撃機が飛び立ち、兵隊は明日の命は保障されない。やけのやんぱちで暴れまわり、沖縄は騒然としていた。2年後にはコザ暴動。Aサインバーのウェイターたちも日ごろの米兵からのいじめに抗するようにうっぷんを晴らし、米兵の車両にガソリンをかけ放火、基地内の建物も焼いて戒厳令のような状態になる。当時の状況を撮った国吉和夫カメラマンは翌朝、みんなが「シタイヒャー」(やったぜ)と満足した表情を浮かべていたと語って
 いる。

その時代の雰囲気がこのチラシにも反映されているようだ。さらに「名文」を引用する。

シーの二番昆布サイヨー対Aサイン号
今を去る2年前1966年5月8日東西に両雄有りと世間をサワがせた昆布サイヨーと
Aサイン号、昆布サイヨーは万余のフワンを眼前でし雄は決定されバクダン割りの
荒技で一役有名牛となり史上最高のトレードマニイが出された一方Aサイン号は
アゲ名のかたきは松本でと たえしのぶこと数年ついに悟を開いて肉弾戦法なる
必殺技を会得あだ討ちの時は来れりと二刃流ならぬ、両角をとぎすます、果たし
てAサイン号の雪辱なるか!!ご期待乞う

騒がせの代わりにサワがせ、ファンではなくフワン、雌雄ではなくし雄、爆弾ではなくバクダン、一躍ではなく一役、トレードマネーではなく英語読みに近いトレードマニイ、安慶名(闘牛場)は(漢字だと画数が多すぎるので?)アゲ名。松本(闘牛場)でと、の後、不思議な一字空け、悟だけフォントが違う・・と次々に疑問が湧くが、粗雑な紙に印刷された文章には奇妙なエネルギーと魅力が漂う。バクダン割り、肉弾戦法、とわくわくするような戦法が挙げられる。どういう技だろう?
そのまま次の試合の紹介もしたいところだが、ここで止める。一点、気になる名前が出てきたので引用する。

シー3番実村牛対本部カキヤ―(注・シーはCではなく末、最後の3番の意味)
武士松村を思わしめる眼光のするどい勝負根性の強い実村牛は巨体伊波一号を腹
取りにうちとり目下最高潮、
この武士松村、とは牛と闘った松茂良(まつもら)のことではないだろうか。

唐手で牛を倒した?
人間と牛の闘いもあった。
「王はある日、つれづれなるままに侍臣に命じ、当時王府の唐手指南役を勤めていた松茂良親雲上宗混にたいして「おまえの手は空手(筆者注=役に立たない手の意味)だろう、一度牛と戦ってみよ」とさかんに迫った。そこで松茂良は武士の意地から荒牛と対決してみごと一挙のもと、これを倒しておほめの言葉をいただいたという。今から百六十八年前の話である。」(「沖縄の闘牛」より)
松茂良興作(まつもら・こうさく)という唐手家がいた。泊手中興の祖と仰がれる人物で、琉球王国時代から明治にかけて活躍した。1829年生まれ、1898年没なので時代がちょっと合わない。彼の父親がそうなのだろうか。父・松茂良興典は第一尚氏の流れを汲む泊士族と記されている。泊は当時第二の港であった。現在も離島向けのフェリーが往復している港だ。
私のゼミ出身の古武道研究家・盧姜威(ロガイ)君に聞いてみた。
牛を倒したのは「作り話でしょう」と一言。
もし本当ならば大山倍達に先立つこと2世紀。真の「空手バカ」だったことになる。大山が牛を倒した話も、真正面から額を突いても頭蓋骨が破れるはずがない。昔ののやり方は真ん中に突起があるハンマーで額の真ん中を叩いて頭蓋骨を破り、牛を気絶させた後、喉を切って処理する。(注・2月に福建省でヤギと牛のを見て以来すっかり詳しくなった)
牛は耳の後ろの弱いところを突けば倒れるそうだ。極真空手十段の大山はこの手で牛を倒したのだろう、と推測されている。

沖縄闘牛の歴史
沖縄の闘牛の歴史はいつから始まるのだろうか。昭和47年に琉球新報社から出版された「沖縄の闘牛」(前宮清好)は300ページを超える本だが、第一章、闘牛の歴史と変遷で4ページと2行しかふれられていない。
国内では、古い順番でゆくと「島根の隠岐島では、七百五十余年前(承久三年―注・1221年)戦乱に敗れた後鳥羽上皇が、配流の憂目に遭われ、島の人たちが叡慮を慰めんとして牛角力を始めた」。
「四国の愛媛県宇和島では、三百余年前(宝暦―明和年間)土佐沖を襲った台風で難船したオランダ船を救助したお礼として牛を貰い、これを育てて闘牛に仕立てた」
沖縄では闘牛ではないが島民が牛を食べていたことが書かれているようだ。
「いまから六百年前の西暦一三七二年にさかのぼるが、成宗大王実録のなかに、宮古、伊良部、多良間、竹富、波照間、西表、与那国の各離島で牛が飼われ」とある。
著者は自然発生的に起ったのではないか、と想像される、と述べている。

さらにさかのぼった記録もある。
「京都・高山寺の平安絵巻物「鳥獣人物戯画」には”争う牛“の図がある。鳥羽僧正覚猶(1053~1140年)の筆とされる。」
これは沖縄国際大学名誉教授・宮城邦治氏の文章より引用した。氏は闘牛博士、退職の時には記念の闘牛大会を開催している。自らの持ち牛もあり、闘牛大会の度に解説者を務めている。以下は2014年10月24日(金)に沖縄かりゆしビーチリゾートオーシャンスパで行われた地銀IBMユーザー研究会の講演「ウシオーラ―セーは面白い―闘牛の魅力と人々の思い―から。

―「琉球国由来記」(1713年)の「生類門」の中で、「牛」に関して、「是和漢ノ間ヨリ来ル物ナラン」との記述があり、中国や日本本土から持ち込まれたものとして捉えられている。
―「沖縄県史 文化2」(1975年)には、「明治の初め頃(1870年代)、牛佐事がいて鉦をたたき、人を集めて、(牛を)原っぱでケンカをさせた」という記述が見られる。
―明治44年(1911年)の新聞では「牛闘」と表記し「うしあわせ」とルビがふられているが、これは現在呼称される「ウシオーラセー」を言い当てたものだと思われる。
―戦時色が強くなった昭和10年(1935年)の新聞には「闘牛に熱中し働かぬ農村」という記事(後略)。
―昭和14~15年〈1839~40年〉には、農村の闘牛にかけるエネルギーが軍事的な国策として利用されるようになった。「出征軍人遺家族慰安闘牛大会」(中略)は戦意を鼓舞するのにうってつけであり、農村における「日本人意識(皇民化)」を集約しやすいイベントであった。
―沖縄戦終結から2年、昭和22年(1947年)には沖縄本島の中部地域、当時の石川市東恩納で全島に散らばっていた牛16頭を集め、戦後最初の闘牛大会が開催されるが、当時、米軍の占領下にあった沖縄では、琉球人(沖縄人)の集団行動は固く禁じられていた。そこに数百人余りの人々が集い、闘牛を観戦するなど米軍が黙殺するはずもなく、またたく間に米軍憲兵隊が、「動物虐待」と「琉球人の集団行動禁止」を理由になだれ込み、戦後初の闘牛大会は中止の憂き目をみることになった。(*)

その後、沖縄では闘牛ブームがおこり黄金期を迎える。前述のゆかり号の活躍時期だ。

*さんざん琉球人を虐殺しておいて、いまさら米軍が動物虐待などと言いだすのも偽善の限りだが、要するに琉球人の集団的エネルギーが米軍に向かいかねない、と上層部が判断したのだろう。2016年の今なら、米軍基地撤去運動基金造成闘牛大会を開催し、琉球人虐待を続ける日米両政府に一泡吹かせたいところだ。

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