1988年から都市祝祭としてのジュリ馬行列は、36年間途絶えていた。那覇市からの補助金を断ち切らせ、地域で根付いていた祝祭を止めたのは、皮肉にも、同じく19日の新聞に掲載された1985年に設立された「うないフェスティバル」を主導した高里鈴代さんや宮城晴美さんたちだった。
うないフェスティバルを構成した43団体の女性たちの熱狂的な反売買春のうねりの中で、那覇市議会が補助金を打ち切る事態になったのである。
多くの女性たちのモダニズムの考えが、都市祝祭を一面的に捉え、糾弾した結果が、36年間も続いたのである。果たして、那覇市は補助金を復活させたのだろうか。ちょっと疑わしい。
売買春を奨励するジュリ馬行列、と言う認識の偏狭さは、何処からきたのだろうか。中国の文化大革命の、あの狂熱が思いだされる。一枚岩になって同じ思潮に染まる傾向は警戒する必要があることが分かる。キャンセル・カルチャーが沖縄でも起こったことを意味する。
それにしても都市祝祭を止めた方々は、今、どのように弁明しているのだろうか?それとも、肯定しているのだろうか。