10月29日、臨床心理学者/教育学博士の岡本祐子先生のお話をゆっくりお聴きする夕食会にお招きを受けた。琉球大学の「脳の発達と人間」の講座で「プロフェサーオブーザーイアー賞」を受賞されている富永大介先生の新都心のマンションで、シャイヤステ栄子さんとご一緒した。
アメリカの大学(KU)で学友だった栄子さんは、お父様の瀬名波栄喜先生(名桜大学長)が大学時代のアドバイザーであったご縁で学生時代から顔見知りだった。研究生時代にロマン派の詩人ワーズワースの詩篇の中の女性について論文を書いたのも、もう遠い思いでとなってしまったが、何かと18歳の頃から親しくしている。会う頻度は高くないが、いつも気どらない彼女の弁舌に圧倒されているのが正直なところだが、2週間ほど前に「岡本先生をお招きする夕食会があるが、いっしょにどうか」とお誘いを受けた。
「女性のゼンダーやアイデンティティーに詳しい方」というのが、電話で話した時の印象で、昨今また「近代以降の女性の表象」をテーマにしたいと考えている最中ゆえに、すぐ了承したのだった。前日は朝5時半ごろまで起きていたゆえに頭はふらふらで授業も5時50分まであり、それからバイパスを新都心に向かって約束の時間にはセーフだった。久しぶりの栄子さんはいつものように快活で、話題にあふれている。彼女に向かってグチをこぼしている自分がさもしくも思えたが、なぜかいつも鷹揚と構えている彼女はただたくましい。いつまでも「彷徨っている女」とは異なる「関係性の絶対性」をしっかり生きていると思える女性である。
夕方7時から10時ごろまで富永先生の奥さまのおいしい手料理をいただきながら主に岡本祐子さんと栄子さんの対話に相槌を打ちながら過ごしていた。栄子さんは快活に岡本さんの臨床心理や大学の諸々のお話やまた岡本さんが今沖縄で取り組んでいるプロジェクトの話に話題を提供していく。じーまーみ豆腐を前菜にイカスミの炊き込みご飯、かぼちゃのスープ、また豚肉やトゥーナ、玉ねぎ・レタスのサラダと、梅酒、富永先生の奥さまのこころゆく手料理と岡本さんのお話と贅沢な夕べだった。
ベランダから見える夜景も美しく、白い壁のインテリアも風雅で体調がよかったならもっと楽しめたひとときだった。話が尽きない岡本さんは情熱的な女性!すでに心理学関係のご本を26冊も出版されているこの専門領域の大御所である!彼女の爪の垢でも煎じて飲まなければならない遅れてきた者は、彼女たちの話の中の「感性とメタファー」に反応していた。
沖縄の著名な陶芸家の巧みの技と芸術の継承をテーマにして取り組んでおられるのらしい岡本さんは目がきらきらとして、まさにこの間の多くの実績の上にさらなる領域へ挑戦されていると見えた。臨床心理士と巧みの技の継承がまた育てるという点で同じメタファーなのだという形容も含めて興味深い話が進んだ。一番ことばを繰り出す人は食事が遅くなる。一番早く眼の前の食事を平らげているのは私だった。聞き役はある面得なのだ。栄子さんはサービス精神が旺盛なのだと納得。話すことはサービスでもあるのである。
臨床心理学に専門的にかかわっている三人のお話は、特に岡本さんの話の中で最終的に人間の感性がすべての点で大事だということが何度かことばになっていたと言えようか。感性と身体の問題が最終的に大きいということを再認識したひとときでもあった。
研究者としての岡本祐子さんに圧倒された夕食会!論文もしっかり書けずにふらふらしている自分のふがいなさに、それでもまだ書けないままに時に流されていることに、このようなこころのありようもいいのかもと自己弁護もしている情けないありように、そのまま流されてみようと思っているこころはただ一人の{X}を身近に感じたいと思っていた。
そのままでは助成金をいただいた課題研究にも取り組めない危機的な状況がある。そろそろ足元を固めて論を書かなければ「やばい」この時に揺れている!どうしょう?
富永先生は「脳と心の世界」の本を紹介してくださった。心理学はもういらなくなるかもね。すべて脳の研究に収斂するのかもしれないと話された。私の脳はどうなっているのだろう?感性とメタファーを論文に活かせるか?死にたくなるほどの思いは脳のどのあたりからやってくるのだろうか?
「脳と心の世界」はアマゾンに注文したがーー。今をどう乗り越えるか?ふらつく魂に幸いあれ!
(10月28日、台風の夜、宜野湾のサンA駐車場にて撮った狂い風にあおられる木々はわたしそのものに見えた)
アメリカの大学(KU)で学友だった栄子さんは、お父様の瀬名波栄喜先生(名桜大学長)が大学時代のアドバイザーであったご縁で学生時代から顔見知りだった。研究生時代にロマン派の詩人ワーズワースの詩篇の中の女性について論文を書いたのも、もう遠い思いでとなってしまったが、何かと18歳の頃から親しくしている。会う頻度は高くないが、いつも気どらない彼女の弁舌に圧倒されているのが正直なところだが、2週間ほど前に「岡本先生をお招きする夕食会があるが、いっしょにどうか」とお誘いを受けた。
「女性のゼンダーやアイデンティティーに詳しい方」というのが、電話で話した時の印象で、昨今また「近代以降の女性の表象」をテーマにしたいと考えている最中ゆえに、すぐ了承したのだった。前日は朝5時半ごろまで起きていたゆえに頭はふらふらで授業も5時50分まであり、それからバイパスを新都心に向かって約束の時間にはセーフだった。久しぶりの栄子さんはいつものように快活で、話題にあふれている。彼女に向かってグチをこぼしている自分がさもしくも思えたが、なぜかいつも鷹揚と構えている彼女はただたくましい。いつまでも「彷徨っている女」とは異なる「関係性の絶対性」をしっかり生きていると思える女性である。
夕方7時から10時ごろまで富永先生の奥さまのおいしい手料理をいただきながら主に岡本祐子さんと栄子さんの対話に相槌を打ちながら過ごしていた。栄子さんは快活に岡本さんの臨床心理や大学の諸々のお話やまた岡本さんが今沖縄で取り組んでいるプロジェクトの話に話題を提供していく。じーまーみ豆腐を前菜にイカスミの炊き込みご飯、かぼちゃのスープ、また豚肉やトゥーナ、玉ねぎ・レタスのサラダと、梅酒、富永先生の奥さまのこころゆく手料理と岡本さんのお話と贅沢な夕べだった。
ベランダから見える夜景も美しく、白い壁のインテリアも風雅で体調がよかったならもっと楽しめたひとときだった。話が尽きない岡本さんは情熱的な女性!すでに心理学関係のご本を26冊も出版されているこの専門領域の大御所である!彼女の爪の垢でも煎じて飲まなければならない遅れてきた者は、彼女たちの話の中の「感性とメタファー」に反応していた。
沖縄の著名な陶芸家の巧みの技と芸術の継承をテーマにして取り組んでおられるのらしい岡本さんは目がきらきらとして、まさにこの間の多くの実績の上にさらなる領域へ挑戦されていると見えた。臨床心理士と巧みの技の継承がまた育てるという点で同じメタファーなのだという形容も含めて興味深い話が進んだ。一番ことばを繰り出す人は食事が遅くなる。一番早く眼の前の食事を平らげているのは私だった。聞き役はある面得なのだ。栄子さんはサービス精神が旺盛なのだと納得。話すことはサービスでもあるのである。
臨床心理学に専門的にかかわっている三人のお話は、特に岡本さんの話の中で最終的に人間の感性がすべての点で大事だということが何度かことばになっていたと言えようか。感性と身体の問題が最終的に大きいということを再認識したひとときでもあった。
研究者としての岡本祐子さんに圧倒された夕食会!論文もしっかり書けずにふらふらしている自分のふがいなさに、それでもまだ書けないままに時に流されていることに、このようなこころのありようもいいのかもと自己弁護もしている情けないありように、そのまま流されてみようと思っているこころはただ一人の{X}を身近に感じたいと思っていた。
そのままでは助成金をいただいた課題研究にも取り組めない危機的な状況がある。そろそろ足元を固めて論を書かなければ「やばい」この時に揺れている!どうしょう?
富永先生は「脳と心の世界」の本を紹介してくださった。心理学はもういらなくなるかもね。すべて脳の研究に収斂するのかもしれないと話された。私の脳はどうなっているのだろう?感性とメタファーを論文に活かせるか?死にたくなるほどの思いは脳のどのあたりからやってくるのだろうか?
「脳と心の世界」はアマゾンに注文したがーー。今をどう乗り越えるか?ふらつく魂に幸いあれ!
(10月28日、台風の夜、宜野湾のサンA駐車場にて撮った狂い風にあおられる木々はわたしそのものに見えた)