
毎週月曜日の5時限目は仲程昌徳先生の「琉球・沖縄文化要論」の授業で博士課程の学生二人、修士の学生一人(琉歌を論文でまとめている)を含め三人の授業である。面白いというか、今頃博士論文の骨格をどうにかまともな形にしたいと思っている「ふらついている心」にとっては、香辛料のように刺激がある授業である。26歳で現在沖縄文学(芥川賞作家4人)を論文の対象にしているIさんに比べても情けないふらつきようだが、若い彼女たちのスタンスを見ていると、結構その落差が面白い。特に沖縄文化の根を全く意識させないIさんの論の組み方が面白いと思う。彼女の中に沖縄アイデンティティーのようなものも全く感じないゆえでもあろうか?彼女のような20代は多いのだろうが、身近にいるやがて17歳と19歳のハイティーンにしても、しかし彼女よりはまだ沖縄の根を持っている雰囲気は感じるし、それは彼らの親の影響があるにしても、その距離がどこからくるか、興味深い。
と前置きはそこまでで、さて11月1日、授業の前に医学部教授が廊下から開け放された研究室に入ってこられた。どうもハワイの研究調査に仲程先生が行かれた時からのお知り合いらしく、彼は(お名前は?長寿の研究者)立ち話を始めた。さて授業は?仲程先生はその日はご自分がやられている現在のご研究についてお話することになっていた。コーヒーを飲んで、さて『ひめゆりの塔を巡る人々の手記』を読むーーのレジメに入る前に、彼は琉球大の21世紀記念会館で夕方5時から開催される「ハワイの御冠船歌舞団」の話を聴きに行きなさいと3人に薦めたのであった。どうも医学部の教授は開催場所を間違って法文の研究棟までやってきたらしかった。「君たちも今しか聞けない/体験できないものを聴いた方がいいよ」とのお言葉で、二人は徒歩で、私は駐車場まで戻って車で向かった。せっかく携帯用のノートパソコンまで持ち込んでいたのに、急いで片づけて部屋を去った。二人はまた戻ってくる予定でノートなど置いたままだった。
さて御冠船歌舞団のお話は冒頭の「かぎやでぃふぅ節の演奏」が終わったところだった。言語政策のテーマに取り組んでおられる石原昌英先生が司会をされていた。お話はなかなかに面白かった。以前赤嶺ゆかりさんから誘われて行けなかったグループのワークショップだという事は分かっていた。彼らが『夢に見る沖縄』-ハワイ3世・4世の見る沖縄:過去、現在、そして未来ー(A public discussion on Okinawa's past, present, and future through the eyes of Hawaii's 3rd & 4th generation Uchinannchu)を去年の10月24日に具志川公民館で開催した時のレジメ(日本文/英文)はメールで送っていただいたので、彼らのスタンスはある程度見えていたと思う。
ご当人たちと直に会ってお話できたことは良かった。ハワイの先住民の方々が独自の言語を文化的アイデンティティーのコアとして教育システムの中に入れながら、ハワイ語を取得し、その英語とハワイ語の習得のバイリンガルゆえに優れた能力を発揮しているとのお話も含め、彼らの中で「うやふぁーふじ」への激しい思いのパッションが感じられた。「故郷沖縄よ、沖縄の根を忘れているのではないのか」という移民したハワイに住む沖縄3世・4世からの沖縄への逆照射(エール)そのものだったのだ。
彼らはたどたどしさもあったが日本語で語った。もちろん流暢な英語も語る。中身はインパクトがあった。沖縄人移民の歴史や差別の問題、また現地ハワイアンへの差別、彼らの文化伝統との融合、白人パワーマジョリティーなり、日本人から沖縄人へ差別の存在もあり、ハワイ人自らの歴史や文化の誇りを取り戻す運動が、一連のチャータースクールなどでのハワイ語の復活であったことを含め、また沖縄人が自らのアイデンティティーに目覚める歴史の背景など、が話された。
代表のエリックさんのお話の中で、ハワイ語復活の過程(今や大学でハワイ語のクラスがある)が沖縄でのウチナーグチ(琉球語・沖縄語)復活への提案があったのは興味深かった。3人とも歌・三線に長けていて、琉球舞踊もやっているエリックさんだった。
ハワイの場合ハワイ語といっても多様だろうと想像できるが、踊り、フラの言語を基本として各地域の言語へと話されていて、それぞれの責任と場所の問題があるーーと。沖縄の場合、沖縄芝居ことばが全琉球の島々で通用したので、芝居子(シー)のことばで始めたらいいと話した。そこはポイントだ。沖縄の方言学者や言語学者は芝居シーを軽く見ていて、ステージ言語だと、屋比久浩先生などもおっしゃっているが、彼の認識は弱いと考えている。真喜志康忠氏との長いつきあいの中で、いかに沖縄芝居が宮古、八重山で、やんばるで受け入れられたか、その背景をいつも耳にしていたゆえに、エリックさんの提案はこころ強かった。エリックさんは基本があれば大丈夫だと話した。
真喜志康忠脚本による沖縄芝居全10巻の刊行を是非成し遂げなければならない!できれば文科省の機関の助成を得て(日本の中の沖縄である悲しさ?)、あるいは県が資金を出して発行する体制を早急に創る必要がある。その際単なる言語学者だけではセンスが悪すぎるので、舞台芸術の関係者を中軸に据える必要がある。《米軍基地撤去の方向性を示せない政治家や研究者は滴る弱者の血をすする吸血鬼の仲間?そういえば軍隊を持たないコスタリカの女優・劇作家のオルガ・マルタは元気でいるだろうか?大臣だったつれあいとは離婚したのだろうか?≫
エリックさんは「ハワイ語を身につけるメリットは何か」の会場からの問に「金銭的メリットにかえられないもの、つまりアイデンティティーの確立と自信が人生に実りをもたらす」という風に応えた。そして国際通りを歩いていると、沖縄は自分の文化を商品にして切り売りしているとーー。それも差別の構造だとーー。金銭に還元されないモノの尊さを彼は訴えているのである。だから辺野古のピースコンサートにも参加している。沖縄の政治的問題に彼らはかかわりつつあるのである。それはハワイというアメリカの軍事基地に住むハワイ人としての彼らの問題の横滑りもあるのだろうが、「うやうがんす」の魂のよりどころ沖縄島が汚され、植民地状態であり続けることへのハワイからのクレームでもあろうか?かれらは自らのルーツ「沖縄の魂」が汚されたくないのである!!
最後にみなさんはうちなーぐちについてどう思うのか、特に若いみなさんは?の問いに博士課程のIさんがそれは生きた言語ですか?全く彼らの意図や姿勢を理解しえないような発言をした。日常的にうちなーぐちを話せと云うのですか、のような彼女のセンスはやりきれなかったが、それに対して狩俣茂久先生がウチナーグチの再活性化は50年かかるかもしれない。暗に「あなたは日本人の眼で沖縄を見ている。それぞれの島の風土を感情をあらわす言葉があるんだ」とウチナーグチ研究者らしい締めの発言をされたのが良かった。
メモを取りながら聴いていたが、結構な量になった。上記はほんの要約である。さてわたしも少しガンバラなければーー。
<写真はデイゴの太い幹の上で餌を狙うキャンパスの神>
と前置きはそこまでで、さて11月1日、授業の前に医学部教授が廊下から開け放された研究室に入ってこられた。どうもハワイの研究調査に仲程先生が行かれた時からのお知り合いらしく、彼は(お名前は?長寿の研究者)立ち話を始めた。さて授業は?仲程先生はその日はご自分がやられている現在のご研究についてお話することになっていた。コーヒーを飲んで、さて『ひめゆりの塔を巡る人々の手記』を読むーーのレジメに入る前に、彼は琉球大の21世紀記念会館で夕方5時から開催される「ハワイの御冠船歌舞団」の話を聴きに行きなさいと3人に薦めたのであった。どうも医学部の教授は開催場所を間違って法文の研究棟までやってきたらしかった。「君たちも今しか聞けない/体験できないものを聴いた方がいいよ」とのお言葉で、二人は徒歩で、私は駐車場まで戻って車で向かった。せっかく携帯用のノートパソコンまで持ち込んでいたのに、急いで片づけて部屋を去った。二人はまた戻ってくる予定でノートなど置いたままだった。
さて御冠船歌舞団のお話は冒頭の「かぎやでぃふぅ節の演奏」が終わったところだった。言語政策のテーマに取り組んでおられる石原昌英先生が司会をされていた。お話はなかなかに面白かった。以前赤嶺ゆかりさんから誘われて行けなかったグループのワークショップだという事は分かっていた。彼らが『夢に見る沖縄』-ハワイ3世・4世の見る沖縄:過去、現在、そして未来ー(A public discussion on Okinawa's past, present, and future through the eyes of Hawaii's 3rd & 4th generation Uchinannchu)を去年の10月24日に具志川公民館で開催した時のレジメ(日本文/英文)はメールで送っていただいたので、彼らのスタンスはある程度見えていたと思う。
ご当人たちと直に会ってお話できたことは良かった。ハワイの先住民の方々が独自の言語を文化的アイデンティティーのコアとして教育システムの中に入れながら、ハワイ語を取得し、その英語とハワイ語の習得のバイリンガルゆえに優れた能力を発揮しているとのお話も含め、彼らの中で「うやふぁーふじ」への激しい思いのパッションが感じられた。「故郷沖縄よ、沖縄の根を忘れているのではないのか」という移民したハワイに住む沖縄3世・4世からの沖縄への逆照射(エール)そのものだったのだ。
彼らはたどたどしさもあったが日本語で語った。もちろん流暢な英語も語る。中身はインパクトがあった。沖縄人移民の歴史や差別の問題、また現地ハワイアンへの差別、彼らの文化伝統との融合、白人パワーマジョリティーなり、日本人から沖縄人へ差別の存在もあり、ハワイ人自らの歴史や文化の誇りを取り戻す運動が、一連のチャータースクールなどでのハワイ語の復活であったことを含め、また沖縄人が自らのアイデンティティーに目覚める歴史の背景など、が話された。
代表のエリックさんのお話の中で、ハワイ語復活の過程(今や大学でハワイ語のクラスがある)が沖縄でのウチナーグチ(琉球語・沖縄語)復活への提案があったのは興味深かった。3人とも歌・三線に長けていて、琉球舞踊もやっているエリックさんだった。
ハワイの場合ハワイ語といっても多様だろうと想像できるが、踊り、フラの言語を基本として各地域の言語へと話されていて、それぞれの責任と場所の問題があるーーと。沖縄の場合、沖縄芝居ことばが全琉球の島々で通用したので、芝居子(シー)のことばで始めたらいいと話した。そこはポイントだ。沖縄の方言学者や言語学者は芝居シーを軽く見ていて、ステージ言語だと、屋比久浩先生などもおっしゃっているが、彼の認識は弱いと考えている。真喜志康忠氏との長いつきあいの中で、いかに沖縄芝居が宮古、八重山で、やんばるで受け入れられたか、その背景をいつも耳にしていたゆえに、エリックさんの提案はこころ強かった。エリックさんは基本があれば大丈夫だと話した。
真喜志康忠脚本による沖縄芝居全10巻の刊行を是非成し遂げなければならない!できれば文科省の機関の助成を得て(日本の中の沖縄である悲しさ?)、あるいは県が資金を出して発行する体制を早急に創る必要がある。その際単なる言語学者だけではセンスが悪すぎるので、舞台芸術の関係者を中軸に据える必要がある。《米軍基地撤去の方向性を示せない政治家や研究者は滴る弱者の血をすする吸血鬼の仲間?そういえば軍隊を持たないコスタリカの女優・劇作家のオルガ・マルタは元気でいるだろうか?大臣だったつれあいとは離婚したのだろうか?≫
エリックさんは「ハワイ語を身につけるメリットは何か」の会場からの問に「金銭的メリットにかえられないもの、つまりアイデンティティーの確立と自信が人生に実りをもたらす」という風に応えた。そして国際通りを歩いていると、沖縄は自分の文化を商品にして切り売りしているとーー。それも差別の構造だとーー。金銭に還元されないモノの尊さを彼は訴えているのである。だから辺野古のピースコンサートにも参加している。沖縄の政治的問題に彼らはかかわりつつあるのである。それはハワイというアメリカの軍事基地に住むハワイ人としての彼らの問題の横滑りもあるのだろうが、「うやうがんす」の魂のよりどころ沖縄島が汚され、植民地状態であり続けることへのハワイからのクレームでもあろうか?かれらは自らのルーツ「沖縄の魂」が汚されたくないのである!!
最後にみなさんはうちなーぐちについてどう思うのか、特に若いみなさんは?の問いに博士課程のIさんがそれは生きた言語ですか?全く彼らの意図や姿勢を理解しえないような発言をした。日常的にうちなーぐちを話せと云うのですか、のような彼女のセンスはやりきれなかったが、それに対して狩俣茂久先生がウチナーグチの再活性化は50年かかるかもしれない。暗に「あなたは日本人の眼で沖縄を見ている。それぞれの島の風土を感情をあらわす言葉があるんだ」とウチナーグチ研究者らしい締めの発言をされたのが良かった。
メモを取りながら聴いていたが、結構な量になった。上記はほんの要約である。さてわたしも少しガンバラなければーー。
<写真はデイゴの太い幹の上で餌を狙うキャンパスの神>