24日も25日もPCの前にいたとき、突然あのドカーンとする音(花火の打ち上げ音)が聞こえてきた。思わずベランダに出ると、豊見城の丘の上から上がっている。最後まで見とれた。そして思いかけず翌日曜日の夜も9時前から今度は南風原辺りから花火が上がった。遠いけれど思わずレジカメをとった。何度かシャッターを押した。
以前花火をおいかけた事があった。それが長じて本部半島のかの有名な何千発も打ち上げられるという花火大会にもいったことがある。いつも決まった時期、7月の週末だった。最近はほとんど本部まで出かける余裕がない。那覇祭りの花火ももう長いことご縁がない。花火がしかし身近にあることは、あの独特な音に心が揺り動かされ、やはりベランダに出てしまうのである。おそらくこの家の住人で最も反応しているのはこのわたしである。花火の束の間の花の光のきらめきは人の一生のきらめきに思えてならないのである。
100年の人生でもあっという間の輝きに違いない。何億という地球の、生命の歴史からすると、あなたもわたしもこの刹那の命の輝きを毎日生きている。この地球から姿を消す日、わたしは何を思うのだろうか。空中にきらめく刹那に人々が惹かれるのはそこに宿命の今日・明日を震える心で感じざるをえないからなのかもしれない。刹那の夜の背景幕を背に微笑む花々、こころから惹かれあう者たちがともに見る花火はいつでも幸せなモメントに違いないーー。