志情(しなさき)の海へ

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モリエールの「守銭奴」を翻案した「ぺーちんの恋人」の再演です!新しい沖縄喜劇です!

2018-03-25 03:48:41 | 琉球・沖縄芸能:組踊・沖縄芝居、他

テーマ曲の「ペーチン音頭」ならぬ「ぺーちんの歌」がすっかり会場に馴染むようになりましたね。今回はプロローグとエピローグに同じ場面を繰返しました。しかもウチナーグチの台本がプレイガイドの『華風』に掲載されています。作・演出嘉数道彦さんの自信作故ですね。

新しい沖縄芝居ですが、音楽も踊りも楽しめる喜劇です。しかも現代劇タッチのメタシアターにもなっています。重層的な構成ゆえに飽きさせません。プロローグの主な出演者による語りと全員によるペーチン音頭の踊りが、舞台の終わりにも繰り返されるのですね。ますます楽しい雰囲気、快適な場を作り出しました。心が充たされる笑いと幸福感のようなものが起こりましたね。琉球・沖縄芸能への誇りと自信と喜びが膨らむ空間です。喜劇の醍醐味を味わいました。

あの『守銭奴』が沖縄風にろ過するとこんなにも変わってしまったのです。作者の感性の鋭さ・温かさと言えるのでしょう。様式や型、性格描写、音曲、組踊とどれもどこかで見たパターンにもなっていて、分りやすく、はらはらして、恋の行方、ぺーちんと金松〈息子〉の新作舞踊の競争が始まります。恋の競争は「きざみ節」でも「想い」でもありますね。今回恋の中心は茶売り娘のチル小です。嘉数作品の笑わせ方は極端なキャラクター〈逆さのイメージ〉の登場ですが、チラー小もその流れになっていますね。以前『ロミオとジュリウットゥ」ではロミオは馬鹿でかい姿で登場でした。意外性が鍵です。『守銭奴』は台詞と筋立てで笑わせますが、嘉数笑劇・喜劇は身体的に極端なキャラを必ず登場させます。仲田幸子さん的な芝居の笑わせ方が底流にありますね。

百姓娘のチラー小の軽快な太めの姿は、意外性そのもので分りやすく、滑稽で面白く水のようでもあり、それは大城立裕作「世替りや世替りや」のウサ小を愛する里之子・樽金と百姓の亀寿の競争を彷彿させますが、父と息子によるチラー小への思いです。それは『守銭奴』の設定でもあるのですが、ユニークです。ありそうにない茶売り娘への恋の意外性に惹き込まれます。もしチラー小が遊里の元気のある十代の踊子〈芸妓〉だったらどうだろうなどと考えは膨らみます。そして実は元首里の貴族階層の忘れ形見であったという意外性はどうだろう、などと想像します。

しかしよくできたお芝居でした。舞踊の創作のステージと裏で繰り広げられる現実の芝居小屋と物語りが膨らみます。メタシアターですが、いやみもありません。繰り返される台詞「妻とぅめーらんてぃんしむみー」など。滑稽で笑わせます。とぼけて登場する阿嘉親雲上など。飄々として座長の親雲上に向き合います。一座の面々のキャラの面白さなくして、極端キャラの主人公も浮かび上がりません。後押しする演技や技量〈音楽等〉の面白さですね。

気になったのは戦前の太鼓は、現代の和太鼓と異なっていたのではないでしょうか。一座の女性が明治16年に御冠船を踊ることはありえなかったと思うのですがー。大正年代には新垣松含さんとお嬢さんたちが浮上してきますね。最も遊里では女性達が中心になって歌踊りがなされていますね。

髭を付けたままのぺーちんの『伊野波節』はなかなか面白かったです。一般庶民の趣向にそった新しい踊りや劇が登場していく明治のダイナミックな沖縄芸能の歴史がしのばれますね。音楽と恋、結婚、喜劇のメインテーマです!その中軸が伝統芸能だということが嘉数さんの想像(創造)力の良さですね。拍手!

真栄里泰球さんの解説「芸能を受け継ぐ者たちと観客のための喜劇」の解説はこの間の嘉数作品をうまくまとめて紹介していますね。「阿嘉・嘉数・仲村トリオ」や「宇座仁一と出演者たち」などを含め、また沖縄芝居の可能性の明るい視点がいいですね。解説のディテールを今後埋めたいですね。「沖縄演劇の西欧演劇受容・翻案」を纏めなければです!

何度でも上演してほしい楽しい新沖縄芝居です!喜劇が自文化の高揚に繋がるいい事例です。


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