志情(しなさき)の海へ

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IFTR/FIRT国際学会11日の基調報告はオーストラリアのLO教授とハーバード大学のJeyifo教授

2011-08-13 19:05:57 | グローカルな文化現象
基調講演にインパクトを受けた。3日目はポストコロニアル理論でパフォーミングアーツの理論を展開しているLOさんだが、講演の題は”Why should we care?" Some thoughts on cosmopolitan hauntings である。彼女の論の展開はやはりオーストラリアの事例を元に論じている。幽霊のように何度も登場するもの、固執せざるをえないものを語っていたが、その事例は例えば1938年にオーストラリアのアボリジニ代表としてWilliam Cooperがドイツのユダヤ人に対する暴力を批判した人物として紹介された。

少数民族が国民国家の内部にあって完璧な市民権を求めて葛藤し闘争しているがゆえに国家と国家(民族)を超えた関係性を明らかにしその多様な関係性をあぶりだすことができる事例としているように理解した。つまり市民権なりを求め続けるゆえに虐待を受け暴力的支配の状況に意義を申し立てる勇気を持っていた、ということにも思えたが、クーパーさんのナチに対する抗議行動は、2009年、その家族がイスラエルに招待され、エルサレム近くの殉教者の森に5本の木を植える栄誉を受けたという。マイナーな国を超えたコスモポリタンの行為ということだが、国家と国家を超えた関係性の多様性と限界を示しているとLOさん。さらに彼女は過去の暴力に向き合う時の事例を持ってきた。

暴力行為をした側と暴力を受けた側の対応について、いつまでもそこに憎しみ・恨み・復讐の怨念を持つことへのその解消についていくばくかの提案があったように見えた。

引用(Tessa Morris-Suzuki)
We who lived in the present did not create the violence and hatred of the past. But the violence and hatred of the past, to some degree, created us. It formed the material world and the ideas with which we live, and will continue to do so unless we take active steps to unmake their consequences.

過去の暴力と憎しみが現在のわれわれを生み出した。物質世界と精神(思想)の現況、その結果を変えない限り(元に戻さない限り)持続するーー。オーストラリアの事例はよくは分からないが、アボリジに対する同化政策が熾烈になされたであろうことが伺える。またアジア系オーストラリア人に対しても「多数に同化する国策」が貫かれてきたのだろうことが伺える。文化や民族の融合なり尊重なりが時流だとは思えるが、それに対抗する政治・宗教的圧力についてハーバード大の比較文学、アフリカ&アフリカ系アメリカ(人)学研究者Biodun Jeyifoは18枚もの講演論文を配布してそれを読みあげての登壇だった。

LO教授の講演は比較的短く、インドのバルーチャが質問した。2003年にとてもインパクトのある講演をしたバルーチャだった。イスラム、テロリストという当時の世界の潮流に噛みついていた。その後インドを代表する詩人タガロフと岡倉天心についての本を出している。バルーチャの質問への問いは深められることなく次に移った。質問は実際にケアすべき人々についてだったように記憶しているがーー。

さてハーバードのジェイフォさんは"Drama, Globalization and the Challenge of Internal Otherness-Memoia and Reflection"
は18枚の論文を読みあげたのだが、二ーチェの「悲劇の誕生」についての言及が良かったし、現在のグローバリゼーションの流れに抗する不気味な兆候についても語った。グロバリゼーションの最初の理論的背景としてカールマルクスを持ってきた。さすが!


(情熱的なアフリカン・アメリカンの研究者!)

彼の論を紹介するには時間もかかるので、改めて18枚を読むとして、宗教界のVIPポープが昨今の多文化主義と相対主義にクレイムをつけて、それにEUの首脳国家の代表が同意したという指摘に驚いた。ネオリベラリズムが席巻する中でいま興っている事柄への鋭い批判はinternal othenessという言葉に表示されている。内なる他者(弱者)を抑圧し仮面をかぶせることによって自らの利潤を追求するグローバル体制があり、貧困格差に苦しむ国々もまた内なる他者(弱者)をうまく操作し分断する。演劇やあらゆる人間の身体表出をするパフォーミングアーツはそのような内なる他者(弱者)の側にたち、あらゆるシステムの闇を照らす媒体ではないのか、と結論づけたのだと理解したのだが、どうだったのだろうか?intercultural, cosmopolitan and internationalist currents of world theatre scholoarship and research を続けようで閉めた。内なる他者ということばが印象的だった。Internal othernessとは?

演劇的行為は常にラディカルで政治的だと考えている。集団の無意識の夢、幻想がそこに現れる!そのことについてはもっと深めてみたいと考えている。

さてその後はナイジェリアの研究者がナイジェリアの演劇と日本のお能の類似性と違いについての発表などを聴いた。幽霊が出るお能の舞台とナイジェリアの祖霊神が登場する劇との関係性など興味を惹いた。台湾の研究者は中国人とアイルランド人の結婚を取り上げた作品と通して人種差別などを漫画の風刺を見せながら発表し、それが面白かった。現在のIFTR会長が日本について語った所で日本は一度も植民地になったことはなくと概要に書いていて、それが気になっていた。沖縄は日本ではないのか?沖縄の位置づけが世界的認知の中でどうなっているのか、その辺の西洋の視点をどうにかしないといけない。彼にはメールを送りたい。話す時間が取れなかった。山城知佳子を取り上げたレベッカも沖縄にある米軍基地は25%と概要に記載している。彼女が山城を取り上げる時、どこかに落とし穴があることを示している。どこか西欧人の認識に誤解とごまかしがある。それは組踊についての英語のネット辞書にかなりミスがあることでもわかる。その辺を糺す闘いがあるようだ。

沖縄の文化を西欧人の語りや研究に任せたらそこに誤解と誤謬と嘘がありえるという証左である。それは翻訳でもありえることである。翻訳された物や評価も再検証が必要なのだろう!

この国際学会報告はもう少し続ける予定で、私の発表のパワーポイントはやはりUPできない。後で結論だけ紹介したい。組踊についてLiving Spiritsに書いているKashy Foleyが私の発表を聴いていて質問も受けた。Kashy FoleyはAsian Theatreの編集者で優秀な方だと思う。しかし彼女や他のアメリカ人の論文を参考にまとめられた「組踊」ネット辞書に欠陥があるのも確かである。

Kashyの論と「執心鐘入」の翻訳の中身はじっくり検証したいと思う。明日また続けたいが、旧盆でヤンバルへ行くので明日書き込めるかどうか?

結論として、日本語でも英語でも研究対象をしっかりまとめる作業に取りかかりたい!

*************
魂に触れる。
生身の存在に触れること!
死者の残したこと(もの)=魂や感情に触れることはできる。
しかし生身の存在に人はどれだけ出会えるのだろうか?
透明な壁(形)を超えたものがありえるだろうか?
あなたは形(ことば)と形骸化した関係を生きて死ぬのですか?
と問われたら、
どう答えようか?


(友人の彼女が大活躍した国際学会だった!いつも重いリュックを担ぐ未来に幸あれと念じる!)



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