韓国のテレビドラマに「怪物」があって、あの殺人事件のようなミステリーかと思ったら、全然異なり、二人の少年の間に育まれた愛がテーマだと納得した。劇場内はガラガラで、LGBTQ系の映画とネット情報で察した若者たちには人気はあまりないのだろうか、などと思った。映像が閉じられた時、物語の推移が意外性を持っていたが、意図しているテーマはなるほどで、十二分に伝わってきたと思う。昨今他界した坂本 龍一 の音楽が後半に際立った。少年たちの愛のみずみずしさが自然の中で輝いて見えた。そこが「銀河鉄道の夜」と重なるメタファーと思うと、悲しい死に至る結末に思えた。
第76回カンヌ国際映画祭で、是枝裕和監督(60)の「怪物」は、脚本賞とLGBTQ(性的少数者)を扱った作品に与えられる「クィア・パルム賞」を受賞している。日本映画では初の受賞とのこと。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%AA%E7%89%A9_(2023%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB) (「怪物」ウィキピディア)
自然な感情の発露としての「愛」の芽生え、普通の幸せを願う母親や、男の子に「男らしさ」を無意識に要求している学校の担任が追い詰められて辞任に至るなど、また田中裕子演じる校長の、服装からしてどことなく普通らしからぬ雰囲気の冒頭の場面はモンスターピアレンツの怪物物語なのかと思ったりして見ていたが、フラッシュバックで場面が輻輳していくような映像の編集があり、「豚の脳みそ」がなんのことか、その繰り返される言葉の意外性が、記号のように映像を読み解くカギであったことが、この『怪物』考察レビューで謎が明らかになったのは事実だ。
豚の脳みそは父親から虐待を受けていた星野君の父親が息子に言っていた言葉だったのだ。息子の異性愛的な傾向とは異なる風情に疑問を抱いていた父親が息子を怪物視していたのである。
普通でないことが、怪物化されるのだろうか?何かに固執して怪物になっていく現象もあった。それぞれの思い込みや正義が、視点を変えれば見えてくる事実もまた変わってくる。映画は同じ場面を何度か繰り返す。繰り返す中で事実があぶり出されていく。ガールズバーの火災の原因はチャッカーをもっていた星野君だったのか?子供たちのいじめの世界のいびつさ、残酷さ、不条理、少年二人の感情の起伏がこのように描かれたこと、これはこの間なかったような気がするが、「銀河鉄道の夜」をまた読みたくなった。
宮沢賢治の作品の凄さが迫ってくる。
シングルマダーのお母さんと息子の関係、学校現場の関わりなど、ちょっと不気味な感じで描かれているが、学校の物語が主で、街や社会、大勢の人間が営む空間そのものの中にあるもの、その中に怪物は潜んでいるということだろうか。
一人一人の観念や思い込みの中に誤解や曲解、偏った認識がありえること、それが晒されていく中で浄化され真実が浮かび上がってくることはあり得る。
複雑な関係性の綾の中に私たちは生き生かされている。人の自然の感情が素直に育まれて求める幸せがあってそれを得ることが容易いようで容易くもないこと~。生き難く生きやすい人生でもあろうか。
身体に時限爆弾を持っているということはよく言われる。一匹の怪物をそれぞれが頭脳の中に住まわせているということが暗示されているようにも思えたが~。
映画の終わりの二人の少年たち麦野湊(黒川 想矢)と星川依里( 柊木 陽太(ひいらぎ ひなた) の快活な笑顔と疾走には希望の光がさしているさわやかさを感じたのだが~。
【完全解説】全てのもやもやスッキリ!『怪物』考察レビュー【おまけの夜】
最後の「怪物とは」の答えはなまけものとかたつむりだったが~。どうなのだろう?