志情(しなさき)の海へ

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加計呂麻島まで行けないが名瀬の奄美図書館に島尾敏雄コーナーがあった!

2016-03-03 06:43:03 | ジュリ(遊女)の諸相:科研課題

         (島尾敏雄とミホ)

なぜかそのコーナーを見つけた時、島尾敏雄とミホの大きな写真に涙が出た。ドキュメント映像が3本見れた。全部は見れなかったが、「死の棘」の作曲を依頼されたという上地さんを思い出していた。島尾さんの表情が若やいで見えた。魚雷艇の隊長として赴任した島尾は「震洋」の出撃命令を待っていた。恋人のミホは島尾が出立したら自害すべく黒衣に身を包んで一夜を過ごしていた。『死の棘』の壮絶な夫婦の愛憎の根はすでにしてそこにあったとも思えた。生きるか、死ぬか、極限状況の中で恋し愛し合った作家と小学校教員の美しい島の女性!改めて島尾とミホ、その子供達の事が念頭に浮かんできた。確かに奄美といえば島尾なのかもしれない。田中一村であり、島尾が住んだ運命の島ゆえの奄美でもあった。

図書館で村田さんに丁寧に文献の資料を見せていただき、50枚近くコピーをさせていただいた。有名な古本屋のあまみ庵も訪ねた。しばしのユンタクは良かった。買いたい本は8000円だった。夏、八月踊の時期に又来たい。島唄居酒屋はなぜか閉まっていた。有名な屋仁川通りはホテルの前の通りだったのだ!そこをしばらくぶらりと歩く。「お母さん」の島料理の店で「油ソーメン」をいただいた。「ソーミンチャンプルー」と似ている。鶏飯がおいしい。

間さんにもお話を窺おうかと思ったがホテルに戻ったのが午後8時過ぎで、原稿の仕上げがあったので、ホテルに戻った。少し仮眠をして朝1時から今まで起きて6時過ぎに印刷屋さんに残りの最終原稿を送った。今日の午後には仲村さんと校正してOKサインを出せたらいいと思う。残念な電話がやってきたのは深夜前で祖慶しのぶさんの総合司会が駄目になった。彼女は16日と誤解していたようだ。振り出しに戻ってしまった。彼女のプロフィールを削除しないといけない。

島尾敏雄の部屋

奄美の歴史にほとんど触れていなかった故に、新鮮なイメージがしている。ターゲットに関しては資料が得られたことは幸いだった。それを生かしたいと同時に実際は「廻りゾレ」が与えた島唄への影響等がたどれるのではないかと期待している。

山之端つるさんも一時名瀬の料亭で歌・三線を奏でていた。廻りゾレにとって港の多い奄美は三線片手に彼女たちの職分を全うできる島でもあったのかのしれない。琉球の匂いをかもして彼女たちが歌った歌、弾いた三線を想像してみるだけだがー。

博物館でしばらく過ごして空港へ。また来たい奄美。次は喜島と加計呂麻島へ行き、島全体をゆっくり回りたい。八月踊も是非見たいと思った。

ダイビングのメッカとしても綺麗な島々が並んでいる。それにしても田中一村や島尾敏雄のような画家や作家により島が大きくイメージアップされる島である。しかしミホさんの加計呂麻島だったのだね。出会いの奇跡のような世界が生み出したものの豊かさに感銘を受けた図書館のコーナーだった!なぜか涙がこぼれた。関係性の絶対性のようなものがある。そこからずれたい人間の感性も漂っている。島尾さんは沖縄の女性にも恋したことがあったのだと、風の噂で聞いたがー。

作品が書きたくなる衝動、しかし島尾は従軍する前から作家活動をしていた若者だった!特攻を志願した作家だった!存在が詩のように、ある雰囲気をもっている作家だ!実存の詩を宿している人々がいる。

 

 博物館からの帰り道

 

珊瑚の石垣                      屋仁川通り

 

 昔の繁華街の名残を見せる。        吟亭は閉まっていた!

すこしいい写真をと思いつつ。ちょっと時間的ゆとりがないので後ほど!グルメのUPをしょう!

 



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