政治家の演技が嘘を本当らしく見せることならば、その嘘が嘘のままの演技ができたらいいのだが、本当らしさ=真実が嘘を越えてしまうと、有権者なり支持者に捨てられる運命なのかもしれない。美しいビジョンが半ば嘘と理想で固められ、人間の五感を刺激し、夢を与えるが、リアリティーが増すと、結果は『破綻』である。
言葉にウソがないか、単に自己顕示欲の欲のためなのか、知事選の候補者を見ると、舞台で演じている主人公たちに見える。有権者が観客で彼らはFICTIONと REALITYを交差させながら演じるのである。観衆の好みにあうように、観衆に迎合するだけでなない。舞台の上で魅力的な台詞を言わなければならない。それは彼らの選挙公約であり、政治理念である。舞台上の理念があまりに美しくても、それがFAKEでも、それを真実だと思い込む観衆も出てくる。あるいはあくまで舞台は舞台であり、舞台の上での言葉や演技はFAKEだと厳しく見る観衆は(異化作用)を引き起こすのである。
さて優れた演技者(舞台の上の候補たち)が誰か、観衆は見据える目線が試されているのである。候補者がよく、本当らしく、実現可能らしく演じれば演じるほど、観衆はその役者(知事候補者)に魅了されるということになる。
一方で観衆の心を理想を、現実の哀感を矛盾を、希望、欲望をワシ掴みすることができるか、役者(知事候補)は問われる。バラ色の未来をふりまく台詞(演説)に対して、その反対側に潜んでいるリスクが何か、観衆の知恵がまた試される。
最終的には舞台の演技者と観衆との間に起こる集団的心理一体感が誰に寄せられるかである。舞台の成功はステージの上の物語や演技にどれだけ観衆が感応し、感動し、一体感が起こり得るかによる。
舞台の演技に真実性がこもっていれば、それはまた観衆に未来への視野を与え、強固な指針を得て、今のこの時空に場に自信と勇気をもたらすことになる。生きる勇気を与えることができるか、肝心(精神の芯)に届くことば、演技であってほしい知事候補さんたちですね。
エストステロンの強固なFAKEをREALにできるか、選挙戦たけなわです!沖縄の知事選の祭典=劇場は世界が注目していますね。世界はまた沖縄劇場の演技者(候補者)だけではなく観衆の意志・知性・感性・ビジョン(世界認識)を見つめています。