志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

火曜日から金曜日の朝まで研究棟に籠っていたが、よそ見が出来ないはずの現実!

2015-02-06 06:36:18 | 日々の記録・備忘録

                        (2015年2月9日、研究棟5階からみた太平洋、遠くに久高島が見える!)

読まないでどんどん分析と書きこむことなんだろうけれども、いつもモグラとカタツムリの歩みだ。序章から手直し1、2、3、4章まである。5章の結論は以前英文で書いた中身でいいと思うのだが、それさえもgender politics で読み解こうとして、十分掘れなかった。それはあくまで結論だから、長くなる必要はなかったのでまぁーよしとしてもー。 やれやれの徹夜、ずっと起きていて眠たくない不思議。実際はかなり厳しい。3章は肉付けー。それでも厳しい。

しかし『琉球史の再考察』はすでに分析して提示していた。やれやれ!

表象の分析に入らなければ、図式化ですね。

研究棟からの朝帰り、豊見山和行先生にお会いした。何歳になっても色艶のある優れた研究者のお一人。どんな職業でも、色艶のある方々に惹かれる。←あくまで個人の直観≪思い込み≫。

艶というのは無限の優しさ、そこなしの偽善の高みのようなものだろうか?悪を、利己的なサバイバル欲をもっている生物、種の本能を持っている私達。それでもそれを超えた類としての生き方の利他性もまたもっている。純粋な思い、善意も持っている。誰かのために人はまた死ぬことができる。卑近な例では国のため、好きな家族を守るため、人は人殺しに邁進も出来る生き者である。愛する者たちのために大量虐殺もできる。←殺し合わないで共生共働、適切な環境・仕組み・システムを作ることができる。←不合理な戦争、不合理な殺戮、不合理な隷属、不合理な扱いに抗して人はまた反旗を翻すことができる。一部の特権階層のためではなく、集団管理機能で、それぞれがそれぞれのコミュニティーで有限の人生を豊かに生きていける仕組み、より良い仕組みを作っていく昨日、今日、明日であってほしい。

研究棟に籠ってひたすら論稿に向かう春、カタツムリもカメも歩いているとそれなりに一筋の道はできると信じてー。

 


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