>ヤングオーオー
>
>今日、朝刊見てたら訃報の欄に川村龍一氏の名前が・・
>
>川村龍一氏といえば、わしらの幼少期に大きな影響を与えてくれた
>番組、ヤングオーオーのパーソナリティーだったんだよなあ。
>
>
>ヤングオーオーといえば1960年代後半から1970年代後半まで
>日曜の夕方の番組で、関西圏では当時一世風靡してた、
>わしら小中高校生必須の番組でした。
>
>司会は、桂三枝師匠、アナウンサーの斉藤努。
>たしか、ミリカホールっていう毎日放送のホールで公開録画されてました。
>オープニングで、舞台上の斉藤努が「ヤング!」というと
>観客席の全員で「おー!おー!」と雄たけびを上げるのですw
>
>内容は、ほとんど覚えてませんが
>当時の吉本芸人の登竜門でしたね。
>当時は、関西には吉本以外に松竹が、芸能プロとして力を持ってましたよね
>
>土曜日、小学校から帰るとテレビをつけて吉本新喜劇をみて
>
>岡八郎の「隙があったらどっからなりともかかってこんかい!」とか
>
>「わしは、空手8段やねんぞ~!通信教育やけどな」とか
>みて爆笑して、次の日学校で真似してましたなあ
>あほですわw
>
>また、藤山寛美の松竹新喜劇を見て「泣き笑い」の面白さ
>を学んだのです。
>
>関西人のお笑いのDNAはそうやって醸成されていったんですなw
>
>そんなことはさておき
>ヤングオーオーでは当時若手の落語家4人組
>林家小染、桂きんし、桂文珍、月亭八方が
>三枝を筆頭にザ・パンダというグループを作って
>ヤングオーオーの中で遊んでました。
>
>当時は漫才ブームの前で落語家の方が著名だったんですな。
>
>しかし
>林家小染は、一種の酒乱で酔っ払って若い命を交通事故で落としました。
>小学生のわたしにとっても衝撃的な出来事でした。
>
>桂きんしは、賭博かなにかで警察のせわになり一線から退くことに
>
>月亭八方は、私は好きですが芸的にどうなのか?
>息子のハチミツはがんばってますけど・・
>落語家というよりタレントになってしまってますね。
>
>桂文珍は、当時珍しい大卒の落語家であることから
>もてはやされて、なにか勘違いしたまま現在に至ってます。
>
>そんなことはどうでもいいんです
>
>当時は、毎週繰り広げられる
>三枝とザ・パンダの大喜利やしごき教室などに
>腹を抱えて笑ってたんですよなあ
>
>
>大喜利とは司会者の出す問題に即興で面白い答えを出すもの
>しごき教室とは、司会者の出す無理難題に体を張って挑戦するもの
>とでもいいましょうかw
>タイのキックボクサーに挑戦するとかねえw
>わかるかなあ
>いまでいう、ダウンタウンのガキの使いみたいなもんです。
>
>そういえば、当時新人の明石家さんまが
>小林繁投手の物まねでブレイクしたのもこの番組でしたね。
>
>オープニングで
>ヤング・・おーおー!と答えたあと
>オープニングテーマが流れ
>それにあわせて、観客1人1人に
>川村龍一氏がマイクを向け「ハッピー!?」と聞くと
>みんな「ハッピー!」って答えるんです。
>
>わしら馬鹿小学生は
>ハッピーハッピーハッピー!って歌ってたけど
>今、振り返って
>うがったものの見方をすれば
>当時は外に目を向ければ、ベトナム戦争。
>対して日本は高度成長の真っ只中
>ハッピー!って浮かれてていいのか?という
>自虐的な反体制的番組造りだったのでしょうか?
>そんなことはどうでもいいんです
>
>朝から夕方まで遊びほうけて
>夕方ヤングオーオーを見てへらへら笑い
>そしてサザエさんをみ終わるころ
>翌日の漢字テストを思い出して憂鬱になる
>そんな日曜日を送ってたのを思いだしました。
>
>川村龍一さんのご冥福を祈ります。
>
>
>今日、朝刊見てたら訃報の欄に川村龍一氏の名前が・・
>
>川村龍一氏といえば、わしらの幼少期に大きな影響を与えてくれた
>番組、ヤングオーオーのパーソナリティーだったんだよなあ。
>
>
>ヤングオーオーといえば1960年代後半から1970年代後半まで
>日曜の夕方の番組で、関西圏では当時一世風靡してた、
>わしら小中高校生必須の番組でした。
>
>司会は、桂三枝師匠、アナウンサーの斉藤努。
>たしか、ミリカホールっていう毎日放送のホールで公開録画されてました。
>オープニングで、舞台上の斉藤努が「ヤング!」というと
>観客席の全員で「おー!おー!」と雄たけびを上げるのですw
>
>内容は、ほとんど覚えてませんが
>当時の吉本芸人の登竜門でしたね。
>当時は、関西には吉本以外に松竹が、芸能プロとして力を持ってましたよね
>
>土曜日、小学校から帰るとテレビをつけて吉本新喜劇をみて
>
>岡八郎の「隙があったらどっからなりともかかってこんかい!」とか
>
>「わしは、空手8段やねんぞ~!通信教育やけどな」とか
>みて爆笑して、次の日学校で真似してましたなあ
>あほですわw
>
>また、藤山寛美の松竹新喜劇を見て「泣き笑い」の面白さ
>を学んだのです。
>
>関西人のお笑いのDNAはそうやって醸成されていったんですなw
>
>そんなことはさておき
>ヤングオーオーでは当時若手の落語家4人組
>林家小染、桂きんし、桂文珍、月亭八方が
>三枝を筆頭にザ・パンダというグループを作って
>ヤングオーオーの中で遊んでました。
>
>当時は漫才ブームの前で落語家の方が著名だったんですな。
>
>しかし
>林家小染は、一種の酒乱で酔っ払って若い命を交通事故で落としました。
>小学生のわたしにとっても衝撃的な出来事でした。
>
>桂きんしは、賭博かなにかで警察のせわになり一線から退くことに
>
>月亭八方は、私は好きですが芸的にどうなのか?
>息子のハチミツはがんばってますけど・・
>落語家というよりタレントになってしまってますね。
>
>桂文珍は、当時珍しい大卒の落語家であることから
>もてはやされて、なにか勘違いしたまま現在に至ってます。
>
>そんなことはどうでもいいんです
>
>当時は、毎週繰り広げられる
>三枝とザ・パンダの大喜利やしごき教室などに
>腹を抱えて笑ってたんですよなあ
>
>
>大喜利とは司会者の出す問題に即興で面白い答えを出すもの
>しごき教室とは、司会者の出す無理難題に体を張って挑戦するもの
>とでもいいましょうかw
>タイのキックボクサーに挑戦するとかねえw
>わかるかなあ
>いまでいう、ダウンタウンのガキの使いみたいなもんです。
>
>そういえば、当時新人の明石家さんまが
>小林繁投手の物まねでブレイクしたのもこの番組でしたね。
>
>オープニングで
>ヤング・・おーおー!と答えたあと
>オープニングテーマが流れ
>それにあわせて、観客1人1人に
>川村龍一氏がマイクを向け「ハッピー!?」と聞くと
>みんな「ハッピー!」って答えるんです。
>
>わしら馬鹿小学生は
>ハッピーハッピーハッピー!って歌ってたけど
>今、振り返って
>うがったものの見方をすれば
>当時は外に目を向ければ、ベトナム戦争。
>対して日本は高度成長の真っ只中
>ハッピー!って浮かれてていいのか?という
>自虐的な反体制的番組造りだったのでしょうか?
>そんなことはどうでもいいんです
>
>朝から夕方まで遊びほうけて
>夕方ヤングオーオーを見てへらへら笑い
>そしてサザエさんをみ終わるころ
>翌日の漢字テストを思い出して憂鬱になる
>そんな日曜日を送ってたのを思いだしました。
>
>川村龍一さんのご冥福を祈ります。
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