ぶろぐ猫の目

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実験中

恩には恩をもって報いる。トルコと日本の絆。

2013-03-06 06:16:04 | まじめな話
3月2日の朝日新聞お悔やみ欄から

在イスタンブール日本総領事館などによると、オルハン・スヨルジュさん(元トルコ航空パイロット)が
2月24日、肺がんのため、イスタンブール市内の病院で死去、87歳。葬儀は26日に行われた。

 イラン・イラク戦争中の1985年、テヘランに取り残された200人以上の在留邦人を救出するため、トルコ政府が派遣した2機の航空機のうち1機の機長を務めた。
日本政府は2006年に旭日小綬章を贈った。(テヘラン)



以前も書きましたが
もう一回書きますね
いい話は、何度も書くのだ




1980(昭和55)年に始まったイランとイラクの戦争は、5年経ってますます激しさを加えていた。
1985(昭和60)年にはイラク空軍機はテヘランの民間居住域を空爆するまでになっていた。

さらにイラクのフセイン大統領は、イラン領空を「戦争空域」と宣言し、
民間航空機もすべて撃ち落とすという、歴史的にも類を見ない声明を出した。


イランにいる在留外国人は一斉に出国。
在留邦人も脱出しようとしたが、乗せてくれる飛行機がない状態だった。


各国の航空会社は自国民を優先して搭乗させていたため、
日本人はチケットを持っていても飛行機に搭乗できなかった

頼りである、自衛隊機の派遣は当時の社会党の「自衛隊を海外に出す事は、侵略戦争につながる」
という主張による反対で不可能だった

こういった馬鹿でふざけた党は、やはり衰退する運命にあるのです。
そんなことはどうでもいいんです。


日本政府は日本航空にチャーター便の派遣を依頼したが、
日本航空のパイロットと客室乗務員が組織する労働組合は、
組合員の安全が保障されないことを理由にいずれもこの要請を拒絶

日本航空は飛んでこないとの一報にイランにいる日本人は絶望の淵に沈んでいた

こういった、馬鹿でふざけた企業は淘汰される運命にあるのだ
そんなことはどうでもいいんです


大使館員たちは全員イランに残る事を決め、日本人を脱出させるために全員徹夜で仕事をした。
大使館員の中には死を覚悟し、両親に遺書を残した人もいた

そんな中、唯一の希望を託し
伊藤忠商事のイスタンブール(トルコ)支店長だった森永堯氏がトルコのオザル首相に日本人救出を依頼。


親友である伊藤忠商事・森永堯氏のたっての依頼を受け、
トルコのオザル首相(のちの大統領)が特別便を飛ばす事を決断

トルコ航空では、すぐさまミーティングが開かれ、特別機への志願者を募った



なんとその場にいた全員のパイロットが手を挙げた



3月19日午後8時30分のタイムリミットが迫ってくる中、
空襲警報が鳴り止まないテヘランのメヘラバード空港に2機のトルコ航空機が降りてきた


1番機が飛び立ったのは午後5時10分。続いて2番機が着陸。
給油を終えて飛び立ったのは午後7時30分。

撃墜予告まであと1時間しかないという際どさだった


トルコはイラクの近隣に位置することから、陸路での脱出もできる自国民に優先して
日本人の救出を計ってくれ、実際この救援機に乗れなかったトルコ人約500名は
陸路自動車でイランを脱出した


トルコでは、救援機が日本人を優先的に乗せた事にはなんの非難も出ていなかった。
多くのトルコ人が当り前だと思っていた


当時、なぜトルコが自国民より日本人を優先して救出したのか、
日本政府も日本のマスコミもわからなかったという。
その後、駐日トルコ大使はその理由を短いコメントで表した。




「エルトゥールル号の借りを返しただけです」



エルトゥールル号事件とは、明治23年(1890年)9月16日、
トルコの軍艦エルトゥールル号が和歌山県大島樫野先付近で台風のため座礁し、
機関が爆発して約500名の乗組員が死亡した事件で、
日本は生存者を治療、看護し、イスタンブールまで送り届けた。
トルコでは教科書にも載っている話で誰もが知っている歴史的事件。


「エルトゥールル号遭難はトルコの歴史教科書にも掲載され、
私も幼いころに学校で学んだ。子供でさえ知らない者はいないほど歴史上重要な出来事だ」

元駐日トルコ大使ネジアティ・ウトカン氏の言葉



 平成11年(1999年)8月17日に発生したトルコ北西部大地震では
テヘランで助けられた商社マンや銀行マンは義援金募集に奔走し、
日本政府も迅速に緊急物資や無償援助の提供、レスキューチーム、医療チーム、耐震診断の専門家、
ライフラインの専門家が派遣されました。

横須賀から救援物資の仮設住宅を積んだ海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」では
出発前に艦長から次のような訓示がありました。



「トルコ共和国はイラン・イラク戦争のおり、危険もかえりみずに二機の航空機を派遣し、
テヘランに在留していた邦人215名を救出してくれた。
日本は、いまこそ、トルコの恩に報いなければならない。
トルコのひとびとの友情に応えなければならない。
・・・先達が遺してくれた日本とトルコの絆を断ち切るようなことがあってはならない。
さあ、すみやかに、トルコへ向けて出発しよう。
トルコには日本の支援を待ち焦がれているひとびとがいるのだ」



 日本からの救援物資はトルコへ届けられ、仮設住宅は「日本トルコ村」と呼ばれ、
ピーク時には5000人の避難民が身を寄せました。
ドアには日の丸が張られ、路地は「東京通り」「神戸通り」などと名付けられた。



恩には恩で報うのが文化的な人間としての礼儀。これは正の連鎖。

恨みには恨みを抱き続けるこれは負の連鎖。誰かが断ち切ってほしいなあ。




トルコ世界一の親日国―危機一髪!イラン在留日本人を救出したトルコ航空
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明成社




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