ぶろぐ猫の目

笑う門には福来る・・

実験中

かざま鋭ニ先生ご逝去 悲しい

2022-10-04 22:33:26 | どうでもいい話

悲しいニュースが入ってきました





漫画家のかざま鋭二さんが膵臓がんのため死去 75歳 「風の大地」を30余年にわたり連載

10/4(火) 15:20配信



漫画家のかざま鋭二(かざま・えいじ、本名・近藤秀樹=こんどう・ひでき=)さんが2日に膵臓がんのため死去したと、

小学館が4日発表した。75歳だった。

東京都出身。葬儀は近親者のみですでに執り行われた。



 かざまさんは漫画雑誌「ビッグコミックオリジナル」(小学館)で、

ゴルフ漫画「風の大地」を30年以上にわたって連載していた。



悲しいです



偉そうに言いますが、かざま先生の絵は、本当に上手で品がありました。

今はやりの漫画は、デッサンもいい加減でやたらと派手に描いてあり

読むのがしんどいですが、かざま先生の絵は完璧です。大好きでした。



そして「風の大地」は、連載当時からずーっと読んでましたし

コミックスもそろえてました。



京都大学に在学中の沖田圭介。家庭の事情でお金が必要になり

プロゴルファーを目指すため中退します。

鹿沼カントリークラブの研修生として、まったくの素人から

地道な練習を重ね、25歳でプロテストに合格するという遅咲きの選手。

性格は、まじめで一本気。しかし負けず嫌いでふとした瞬間に熱く燃え上がる情熱を持ってます。



プロ入り後は、アジアサーキットに参戦し順調に戦績を上げていきます。

日本のトッププレイヤーとなり尾崎将司や杉原と戦うことも

全英オープン、全米プロに参戦上位入賞の常連に成長していきます。



何回も何回も読み直してます。忘れられないシーンが多すぎます



プロテスト前の同僚長谷川との確執。

生意気な、ぼんぼん長谷川の鼻っ柱を折るシーン。

カントリークラブのレストランのコックでよき先輩の宇賀神。

プロをあきらめた宇賀神がジャックニクラウスからもらったというドライバーを

沖田に渡すシーンはよかった。

プロテストの当日、癌に侵された宇賀神に合格の報を電話するシーンは

今でも思い出しただけで泣けてきます。



物語の中で数々のアクシデントが沖田を襲うのですが

そのたびに、沖田の性格にほれ込んだ仲間が、沖田の苦境を救います。

読者も沖田に惚れていくんですよね。



かざま先生の描く女性は、本当に上品で美しく理想の女性像です。

キャディとして特異な才能を持つリリイ・マクガンは素晴らしい女性でした

沖田と結ばれるかと思いましたが、不幸な事故にあってしまいます

これも涙を禁じ得ない。

宇都宮の大神社の一人娘、物部麗子の登場で、沖田が癒されるのと

同時に読者の私も癒されました。



先日日光東照宮へ行ったとき、鹿沼を通ったのですが

ここが、風の大地の舞台になったところかと感慨にふけってたのですが

それが虫の知らせというものでしょうか



沖田が全英オープンで死闘を繰り広げる中での突然の訃報

なんとも悲しい話です

志半ばで倒れられた先生の心情やいかに

ご冥福をお祈りいたします



沖田は、きっと全英で優勝しますよ!













































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猪木さん、安らかに

2022-10-04 06:37:43 | どうでもいい話



アントニオ猪木逝去、79歳でした



私ら万博世代が、プロレス2期生とでも言いましょうか

力道山による黎明期から、2世代目として本格的に興行として

成り立ってきた時代のトップスターです



ジャイアント馬場、アントニオ猪木は両巨頭として

君臨してきました。

当時は、プロレスがテレビで毎週放送されて

たまに流血騒ぎが起きて、それを見たジジババが失神するという

なんとも牧歌的な時代でした

タイガージェットシンやアブドラザブッチャーの時代



私たちも小学生時代だったので

毎週テレビを見て興奮したもんです

中学時代には、世界で初めての異種格闘技

ボクシングのヘビー級チャンピオン、モハメドアリと対戦し

めっちゃワクワクしてみていた、私たち中学生の度肝をぬく

戦いざまを見せつけてくれました



当時、熱愛していた小林まことの「1,2の3四郎」という闘魂マンガ

柔道からプロレスへとレベルアップしていく三四郎、スポーツギャグマンガ

くっそ面白かったです。青春のバイブルとでも言いましょうか

プロレスラーに課せられた過酷なトレーニング後

三四郎が、憩いのひと時に飲むのが、アントンマテ茶

アントニオ猪木ご推奨の飲み物です

そんな何でもないシーンが目に浮かびます



その後、長州、藤波のころくらいまでは私もなんとか

ついていきましたが、その後プロレスは興行的に衰退し

テレビでの放映がなくなり

わたしも大人になったのか、見なくなりました



時を同じくして、アントニオ猪木は政治家になったり

精力的に活動し、その陰には女や金がちらついてましたが

湾岸戦争時代、日本人の人質解放に尽力したり

北朝鮮との独自のパイプをつくったりして

実績をつくってました



その後は、元気があれば何でもできる!

1,2,3ダー!で一世を風靡しましたね

元気の代名詞だったのに

病魔には勝てなかった。悲しいです

昭和がまたも遠くなりました

向こうで馬場さんと酒でも酌み交わしてください











コメント (4)
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