平成14年末、ちょうど9年前。
母の入院記録もしばらくアップしていなかったが、これは年末から2月にかけて書かれたものなので、この時期になるとやはり、読み返すことが多い。
以前に、この記録にはよく食べ物の話が書いてある、と記したことがあるが、お風呂、シャワーのことも良く書かれている。入院患者にはお風呂は相当な重労働だからだろう。この時期の母はずいぶん体調がよくなっていた頃なので、よくシャワーを使っていたようだ。髪を洗ってすっきり、というのも気持ちがよくわかる。
昔、小さい子供の頃は毎日髪を洗うという習慣がなかったのだが、今考えてみるとよく気持ち悪くなかったな、と思うものだ。風邪で入浴できないだけで相当気分に影響するものだけれど、入院していたら尚更だったろう。家のお風呂にゆっくり入りたい、とも思っただろう。
この前年位に、実家では風呂をリフォームし、きれいなユニットバスにしたのだが、その時に、まだ幾分元気だった母が、わざわざ湯加減見なくても良い自動のお風呂を喜んで、「『お風呂が沸きました』って喋るんだよ、お湯が一杯になったら」と面白がって電話で話していたものだ。
しかしその後、「ま、何年入れるかわからないけどね…」とつぶやいていたのを今でもよく覚えている。実際のところ1年位しか入れなかったはず、それををどこかで悟っていたのか。
単に年だから、と言うほどの年でもなかったから(享年68歳だった)。
叔母が苺を買って持ってきてくれたようだが、美味しく食べられたのかどうか、そこは珍しく書いていない。
父方の叔母、いとこたちが見舞いに来てくれたことを書いている。(本を買って)とある。母は読書好きでよく本を読んでいて、私も少なからず影響力を受けた。
特に受けた、と思えるのが「ご飯食べながら読む」という習慣。行儀の悪い話だが、麺類など、汁が飛ぶのを防ぐため、何か丼の下に台を(他の本とか)置いて高くして(つまり口と丼の距離を短くしたのだ)食べたりしていたので、以前は私も真似していて叔母に笑われたことがあった。
今でも、食べている時何か読んでいないと落ち着かない。テレビは見ないし…。学校のデスクでランチ、の時も、テキストを読んでみたり、なにか文字が欲しくなる。
同居人もそうだ。夜遅く帰って一人で食べるときなど、必ず新聞や本を読みながら食べる。
病院でこのとき、いとこに買ってきてもらって読んでいたのはなんだったのか、ここには書かれていないのが残念だ。もしわかれば私もそれを読んでみたいものだが…。
上は母が本を読むときにいつも使っていた老眼鏡である。母が亡くなった後、父が「持って行きなさい」とくれたものだ。「結構したんだよ、これ」と言っていたが、数万したものらしい。ケースとともに懐かしい品だが、私にはまだ度数が強すぎる。
下のが私の「リーディンググラス」だ。最近は「老眼鏡」ではなくシニアグラスとか、リーディンググラスと書いてあったりするが、結局老眼鏡だ!
私は近眼で老眼なので、調節が難しい。
遠近両用でもこの視力ならあまりうまいこといきませんよ、と眼鏡屋さん。なので普通の眼鏡は近眼用を持っている。
近眼用の眼鏡をかけたりコンタクト入れていると近くの字が読めない。逆に入れてないと遠くが見えない。
ある生徒さんから、「先生、コンタクト入れて老眼鏡かけたら?」と言われ、「おお、それ新しいね!」と試してみることにした。つまり普段は基本遠くが見える状態にして、なにか読むときだけ老眼鏡をかけるわけだ。(近くが見えない状態で遠くを見るときだけ眼鏡をかけても同じだろうけれど…)
さて、このリーディンググラスは、1800円也。言ってみれば虫眼鏡なんだろうから、そんなに高くはないはず…母の老眼鏡はなんでそんなに高かったのだろう。余程いいフレームやレンズを使ったものだろうか。
私ももう少し年がいったら、この高級老眼鏡を試してみよう。
近眼歴の長いリスさんでも進んできましたか。
私は左右の視力がかなり違うので、しばらく右目が悪くなってるのに気付かずに大学まで過ごしました。それ以来メガネです。
CDの歌詞カードはきついですね。薬瓶の文字もじゃないですか?
最近困るのはスマホでネットしてる時ですね。コンタクト入れてたら思い切り離さないと見えません。
くみっぱさんも老眼すすんできたのですか。
御存知の通りわたしは小学校入ったときからメガネでずっと近眼強かったのですが
この数年老眼が進んでついにCDの歌詞カードはメガネを外しておもいっきり「近づけないと」読めなくなりました。
お母様が贈られて読まれていらした御本はいとこさんになにを買っていただいたのかおたずねしてみてもいいかもしれませんね。