母が亡くなった後、母の字で書かれた、二つのメモ帳が私の手に残された。
そのうちの一つは、カーディーラーあたりのものらしく、一枚一枚めくっていく、よく会社で出入りの業者から貰って使うようなメモである。
日記ならもう少し気の効いたものに書けばよさそうなものだが…。
「めんどくさいから」とあっさり言う母の姿が目に見えるようである。
ここには、肝臓の病気に進んだ治療をする、という事で札幌厚生病院にしばらく入院した時の母の毎日の様子が書かれている。
私には貴重な記録だ。
「手が震える」と言っていたので、せいぜい2,3行程度の日記だが。
写真のページには「厚生病院に入院(14年12月16日)、厚生病院を退院(15年2月4日)、51日間」とある。入院時と退院時に書いたものか、両方退院時に書いたものかはわからないが、メモの一番上のページに書いてある記録だ。
他のページには、検査のこと、食事、父の事などが簡単に書かれている。特に多いのは見舞いに来てくれた人たちのことだ。
退屈な入院生活では、やはり人と会って話すことが嬉しかったのだろう。
このメモも折々に載せていこうと思う。
そのうちの一つは、カーディーラーあたりのものらしく、一枚一枚めくっていく、よく会社で出入りの業者から貰って使うようなメモである。
日記ならもう少し気の効いたものに書けばよさそうなものだが…。
「めんどくさいから」とあっさり言う母の姿が目に見えるようである。
ここには、肝臓の病気に進んだ治療をする、という事で札幌厚生病院にしばらく入院した時の母の毎日の様子が書かれている。
私には貴重な記録だ。
「手が震える」と言っていたので、せいぜい2,3行程度の日記だが。
写真のページには「厚生病院に入院(14年12月16日)、厚生病院を退院(15年2月4日)、51日間」とある。入院時と退院時に書いたものか、両方退院時に書いたものかはわからないが、メモの一番上のページに書いてある記録だ。
他のページには、検査のこと、食事、父の事などが簡単に書かれている。特に多いのは見舞いに来てくれた人たちのことだ。
退屈な入院生活では、やはり人と会って話すことが嬉しかったのだろう。
このメモも折々に載せていこうと思う。
お母様はとても几帳面な方でいらしたのですね。
整った字体で罫線もないのに真っ直ぐ書いてらっしゃる。
亡き人が書いた物から亡き人を偲ぶというのは
かなり切ない作業だと思うのですが、
でもこうしてブログの中で紹介していくと
自分自身も気持ちの整理がつくような気がします。
書かれたものはどんなくだないものでも捨てられないわたしです。
親元を離れていた頃に送ってきた荷物に付いていたちょっとした
手紙でも今となっては大切な宝物となっています。
これからもお母様のお話やオーストラリアのお話を楽しみにしています。
自分の気持ちの整理、その通りなんです。
親が亡くなって納得する人間もまあいないでしょうが、どこかしら、「このままにしておけない」というような気持ちがあるんでしょうね。
几帳面...そうでもなかったかも...
高校時代、私のお弁当に生のたらこをひと腹、切らずにそのまま強引に入れて来ましたからね(爆)
書かれたものはどんなくだないものでも捨てられないわたしです
わたしもそうなんです!
ちょっとしたメモでも、捨てられないでいつまでもとって置いたりします。
あとで見てみると、小さなものほどその頃のことが生き生きと浮かんでくるものですよね。
不思議なものです。
エースさんのお見舞いの日、「話を聞いてもらって...夢中になって話していると...」と日記にあるんですよ。
遠くに住んで何も出来なかった私に代わってしていただいた、色々なお気遣い、感謝しています。
私の母も11年前に逝ってしまいました。
お母さんの記憶に重なる私の母の記憶です。