The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

Coffeeの自然法廷 上

2014-06-04 08:44:12 | Weblog
 
 突然、声がする、
 「もうちょっとだったね」
 「なにがだい」
 「『コーヒーの王道』さ」
 うす暗がりの中に、なにかが立っている、
 「ふふふ、コーヒーの精霊とでも言っておこうかな」
 どうやらオトコみたいだ、どうせならオンナのほーがいい、
 「ふん、このスケベが」

 なんで現れたんだろう、すると、
 「われわれは、人間のためにあるんじゃあない」
 「・・・」
 「それをなんだ、あまりにも失礼じゃあないか」
 一理ある、今の世界、なんでもかんでも人間中心だ、
 「動物とはなんだ、ほとんどの動物は、機械的反射と物資運動の集積ではあるまいか」
 「動物とは、植物のエピソードにしかすぎないという立場があってもいいはずだろう」
 「この世界いやこの宇宙の主人は植物、動物はそのおこぼれにすがって生きてきたにすぎない」

 これには驚いた、まったく違った発想だ、たしか、ニューギニアのジャングルの奥に、大きな樹があり、人生のすべてを終えた老人は、よろよろと歩き始める、何日も何日も、そして、やっと辿りつくと、その根元に横たわり、二度と立ち上がることはない、母なる大樹に抱かれ、大自然いや大宇宙のもとに帰っていくという、ちょっとした大人のメルヘンだな。                        

コーヒーの王道 下

2014-06-02 08:51:42 | Weblog
           
 日本橋の高島屋、その近くに「赤木屋カフェ」、昨年の秋、ここの本日のコーヒーを飲む、アフリカのコーヒー、これが尋常ではなかった。

 
 店員が、
 「酸味が強いですよ」
 強いなんてもんじゃあない、口がひん曲がった、5時間ほど残る、キョーレツなんだな、この一杯に、
 1、サバンナの熱い風
 2、荒々しい赤い大地
 3.象が「パオーン・パオーン」
 4、マントヒヒのケツの鮮烈
 5、ヒポポタマスの下品と重厚

 突き抜ける味覚、
 「来た、来た、来たー」
 タイヘンなことになった、
 「これが、これが、コーヒーなのか」
 ハワイのコナがブルマンがゲイシャが、ハダシで逃げていく、
 「なにが有機栽培だ、なにが自然農法だ」
 こいつは、人間に媚びていない、口の中で、
 「オレは、コーヒーだ、コーヒーだぞー、ギャギャーギャアッー、エッー、なんかモンクがあるか」

 ブレンドとは一体なんだったのか、あれは逃げではないか、ゴマカシではないか、そんな思いにさせる、それにしても日本橋界隈(かいわい)のコーヒー・ファンのレベルが高いのだろうか、ところがである、ケータイで話し始めた男がいる、次第に声高になる、我が物顔だ、と、もう一人も・・・こりゃあダメだな。

 「日本橋近辺のサラリーマンのレベルは、こんなもんだったのか」
 すると、このコーヒーを支えているほどの趣味人ではないんだろう、その後、渋谷のFoodShowのKey Coffeeで中年の店員に出会い、あのトアルコ・トラジャについて話す機会があった、最近はちっともうまくない、
 「あれは、錯覚だったんでしょうか」
 最初に飲んだ時の鮮烈な感激、すると、この長身の婦人は、
 「いいえ、当時は良かったんです」
 「・・・」
 「わたしが、この道に入ったのは、トアルコ・トラジャに出会ったからなのです」

 こんなことがあるんだなあー、長年の疑問がヒョーカイ、
 「それでも、わたしたちも変わったのかもしれませんね」
 無上の大道を歩む者は、いつの間にか、ちょっとした地点にまで来ていたのかもしれない、それにしても、なんて美しい横顔なんだろう、ひさしぶりにトキメキが訪れている。

 トウキョーには、まだ、こういう人がいたんだ、うれしいね、今日は、スキップでスクランブル交差点を渡ろうか。


 

コーヒーの王道 中

2014-06-01 09:29:13 | Weblog
            
 南米のコロンビアは、コーヒー豆の産出量が世界第3位で、全人口の4人に1人がコーヒー関係の職業に従事している、街のコーヒ売りが声を張り上げる、
 ♪ デイラ・デイラ・デイント

 小が⒑円、大が⒛円、1日に⒛kmを歩く、
 ♪ デイラ・デイラ・デイント
 いい声だ、ボコダの街の風物詩、300杯を売ることもあるとか。

 ニューヨークの若者は、ウガンダでNGO活動をしたのだが、その貧しさに驚愕(きょうがく)する、そこでウガンダのコーヒーを紹介することを決意、ウガンダのコーヒーしか扱わない、その代金で彼らの生活を支えてやる、だが、朝イチバンはアイスコーヒー、アイスコーヒーは日本生まれなのだが、このニューヨーカーは、
 「アメリカ生まれのフレンチフライがあるじゃあないか」

 ウガンダ・コーヒーが広まればウガンダの人々の生活が良くなる、最近「世界の⒑億人の生活は、1日2ドル以下の収入である」という発表があった、先進国では考えられない現実である、先日、原宿・竹下通りの100円ショップの壁に「時給 1時間 1000円」、これに釘付けのアジア系の若者がいた。

 彼の店に来た婦人が、
 「同じ値段なら、ここの方がおいしい」
 「アフリカの生産者の利益を考えているのがすばらしいことだ」

 今日はどうでした、とっても忙しかった、
 “I am tired.”
 自転車で颯爽と帰っていった、その後ろ姿がさわやか、
 「ほれぼれするじゃあないか」
 
 だから、アメリカには、まだ、ピューリタンの精神が生きている。

コーヒーの王道 上

2014-05-31 10:27:28 | Weblog
          
 東京MXの「グローバル・ヴィジョン(31日)」はコーヒーの特集で、
 1、コロンビア
 2、ニューヨーク
 3、グワテマラ

 3のグワテマラのテーステイングをする役人は「カッパー」、16人がいるのだが、そのトップを追跡、彼は、サムライのようにスキがない、味覚ヒトスジのストイックな生活。つねに、感覚を研ぎ澄ましている、いくつかのコーヒーを並べ、
 「91番がカンペキ」
 「92は、やや落ちる」
 「91、花の香りがする」

 コーヒー園を訪れ、
 「この赤い実はいいが、青いのは苦味があり、混ぜてしまうと品質が落ちる」
 カッパー・鑑定士候補にテイステイングの訓練をする、まず、5つの国のコーヒーを飲ませる、ブラジル・コロンビア・ボリビア・グワテマラ・ハワイのコナ、そして、別のテーブルに移り、出てくるコーヒーを当てる、
 「シュー」
 「ビュー」
 「ビシュー」
 すすって、口の中でひろげ、はき出す、意見が割れる、一番を「ブラジル」「いやコロンビア」そして、おもむろに発表となる、すると、
 「2つ、当たった」
 「ぼくのレベルではむずかしい」

 グワテマラのコーヒーの第一人者は、
 「コーヒーは常に注目され、厳しい基準が求められている」
 だから、
 「コーヒーに向き合う時間を惜しんではいけない」

 ラテン文化を引き継ぐグワテマラのコーヒー鑑定士に、世界文明の正統の誇りが光る。

AKB48の握手会 下

2014-05-30 09:06:30 | Weblog

 ひそかに交渉していたようだ、一説には、昨年の⒓月から首相以下⒓~3名で秘密裡に進めてきた、だが、これまで何度も裏切られてきた、経済援助だけをゲットして約束を実行しない、困った国・困った民族である。

 この背景には、目的のためには手段を選ばない原始道教の脅迫信仰があると思う、これが、あの半島の民族のcore personality (核性格)だろう、北も南も同じだ、しかし、それでも、拉致被害者が帰ってくるなら、そうするべきだ

                 
 ところで、この国の政府や所轄官庁、全部知っていたと思う、例えば、ある拉致被害者が行方不明になる、日本海沿岸の街のこと、その周辺の海岸からなのだが、その晩、陸から日本海に正体不明の多量の電波が飛んでいて、こちらはそれをキャッチしていた、だが、なぜか沈黙、沈黙といえばニッポンのマスコミも同じだ、彼らには、一連の半島問題についてトラウマがあった。

 高度経済成長に突入する前、「北朝鮮帰還事業(1959~1984)」があり、なんと9万数千人が北朝鮮に渡っている、そのうち、日本人妻が、1千数百名、日本人夫が数十名、どうなっんだろう、私は、あの拉致問題が解決したら、こちらにスポットライトが当たるかと思っていたが、拉致問題が長引いている。

 この時、この事業に賛成して、あおりにあおったのが、この国の新聞、朝日・毎日・読売だけではなく、あの産経の記者は、なんと、
 「新潟から船に乗れば、エスカレータ式に地上の楽園に到着する」

 「地上の楽園」、言いも言ったり、この記者は、まだ生きているのか、そう、日本中が熱気に包まれ、われもわれもと新潟港に押し寄せる、見送りに来たのにコーフンして船に飛び乗ってしまった者さえ出た、その結果は悲惨だった、高度経済成長の前のニッポンは、まだ貧しく、そこを突いて、あの国は、もどってくれば、
 「リンゴがまるごと食べられる」

 NHKは日曜の夜に、何百年前の時代劇をやっているが、その理由のひとつは、これなら何のクレームもつかないからで、韓国や北朝鮮・右翼に宗教団体の圧力をかわすことができる、だが、日本人にとって、今、イチバン必要な情報を提供することを放棄している、その中には、戦後の台湾と半島の紆余曲折(うよきょくせつ)がある。

 さて、北に到着した一行には、それなりに整った文化住宅が用意されていた、
 「これなら、まあまあかな」
 あの国の政府は、こんなにいい暮らしなんですよ、ニッポンの友人・知人・親類に「こちらに帰ってくるようにお手紙を書きましょうね」、こうして、続々と海を渡っていった、朝鮮戦争後の北朝鮮の人口は、1500万人ほどだから、この9万数千人が、どれほど貴重な労働力だったことが分かる、国家をあげてのダマシであり、ニッポンのマスコミが一役買ったのだ。

 さすがに事情がもれるようになり、
 「むこうに行って手紙を書くが、最後の名前がカタカナなら、全部ウソ、書いてあることは正反対だと思ってください」

 あの寒さである、一冬を越せなかった者がいた、
 あの貧しさである、満足に食べることができない、
 検閲を免れた手紙のカタスミに、
 「にほんの こじきが うらやましい」
 「なんでもいいから おくってください ふるいぬのきれでもいいです」

 何人が、生きているか、日本に向かって息を引き取った者がいた、だから、この国の新聞・マスコミの罪は深い。

AKB48の握手会 中

2014-05-28 09:01:21 | Weblog

 ピンクの帽子の子が、
 「とうきょうにかえります」
 東京に帰れば「ほっとできる」、実感がこもっている、ところで、この子たちはいくらぐらい貰っているのだろう、びっくりするほど安いみたいだ、こんな時しかないので、ちょっと調べてみた。

 この組織には、AKB48だけではなく、いくつものグループがあり、数百人の女の子が在籍している、これでは、もう産業であろう、日本の各地でそれぞれのグループを動員して、数々のイベントや行事をこなす、その実行力・企画力は商社並み、だから、その背景がどれほどのものかが推察される、その事情に通じていれば、とてもあんなことはできない。

 東北の十和田地方出身の若者、バクゼンとした反発を感じていたんだろうが、それを分析し、根本的構造を確認できなかったようだ。

 ところで、戦後に多くの半島出身者が帰国したのだが、間もなく、続々と密入国してきたという研究があった、それは、当時の半島は貧しく仕事がない、そして、彼らの発音は現地の人々の発音とは違っていてバカにされた、そこで、日本にいる親類・友人・知人を頼って、また、やって来たというのだ、彼らは、さまざまの手段で財を貯え、巨大な資金力をものにするようになる、『マルサの女』という映画で、宝クジの当たり券を売買するシーンがあった、1割ぐらい高く買うのか、こうしてウラ金をオモテ金にする、そして、公然と事業費にして、会社を大きくするのだ。

 だから、それは、韓流ブームで武道館を借り切っての公演になり、観客がいなくても彼らの目的を達成する方法になったというのだが、実際はどうだろう。

AKB48の握手会 上

2014-05-27 09:02:44 | Weblog
              
 AKB48の2人がケガをした、例の握手会で地元の若者に襲われたのだ、さっそくテレビで取り上げているが、もうひとつはっきりしない、月曜夜、東京MXのバライロ・ダンデイーでも触れていたが、それほど踏みこまなかった、木曜夜のあのメンバーなら失言したかもしれない。

 だが、ネットには辛辣(しんらつ)な意見が飛び交う、その中には参考になるものがある、なんでもAKB48のCDを買うと握手会に参加できるチケットが手に入る、
 1、握手会がなければ、1万枚がせいぜいだ
 2、100万枚も売れるはずがない

 ホントーか、握手会を目当てに、少年や若者がCDを買って、好きなおんなの子の列にならぶ、ファンの開発であり、なんと巧妙な商売か、性に芽生えた臆病なおとこの子の薄い財布をこじ開け、なけなしの小遣いを搾り取る、昔の日本の社会だったら、たちまち非難ゴーゴーだろう、これ、日本人が考えたものか、
 3、みんな秋豚のふところに入るんだ
 4、握手会がなければ、3~4億円の収入はないはずだ

 新聞・テレビはどっち側だろう、かつてジャニーズ事務所の勢力が強かったころ、そちらから要請があると、報道を自粛したらしい、3・4は面白いが、これだけの規模になると、彼は、脇役だろう。

 記者団の前に立って、
 「みなさん、おさわがせしました」
 「・・・」
 「これからトーキョーにかえります」

 ピンクのキャップのおんなの子、かわいいじゃあないか、人気が出るかもしれないね。

アフリカの誇り 終

2014-05-25 08:31:07 | Weblog
         
 インド・ヨーロッパ語族が地球の高緯度地帯でもがき苦しんでいる時、静かに深く進歩していたのが、アフリカとその近辺のグループで、シュメールやエジプト、やがて、彼らは、文化から文明にスケール・アップすることに成功する。 

 さらに、それは、ギリシャ・ローマへと伝播し、また、カルタゴをはじめとした地中海沿岸の諸都市へ、ニッサンのカルロス・ゴーンはフェニキア人の子孫ではなかったか、それは、フランスの南海岸に上陸し北上していくのだが、イギリスには到達したか、イギリスの絵画の色彩はもうひとつ、くすんでいる。

 紀元前、あのエジプトを破ってヌビア人の王朝が成立する、ナイルの上流の砂漠には小さなピラミッドがあり、ブドウや牛のレリーフがある、一体、どんな生活を送っていたのか、今でも、この砂漠を旅し、朝起きると、テントの外に、水のボトルが置いてあり、タマゴやコーヒーのこともある、見も知らぬ旅人にpresent、見返りは求めない、黙って去ってゆくヌビアの若者の後姿には、アフリカの誇りが輝いていないであろうか、そう、それは、ミナトミライのあの若者に重なる、だから、彼は、彼の一族は、何代何十世代に渡って捨身飼虎(しゃしんしいこ)の生活をおくってきたのではあるまいか、
 「ニッポンも、タイヘンなんだよ」
 「わかります」

 あの時、そこにいたアフリカの人々の、なんとすっきりとしていさぎよく気持ちのいい表情だったことか、そう、彼らこそが、この国の本質を見抜いているのではあるまいか、
 「フフフ、世界の外れに、わたしたちの友だちがいました」

 いつの日にか、彼らが正当に評価されることを、栄光の時代を迎えることができることを。