The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

源氏物語の夕顔

2009-08-27 04:09:04 | Weblog

 色白で面長、ほほがふっくらとしてナヨナヨとして頼りなく、なんとも言えない風情、日本の男たちが憧れてきた。

 源氏物語では、六条の御息所(みやすんどころ)ではなく「夕顔」だろう、昼間の日光の下ではなく、夕暮れの合間にそっと咲く、あるかなきかの存在感。

 源氏の理想は、紫の上なんだろうが、この作者は夕顔を登場させている、この辺の呼吸は絶妙で、それは、平安の女性の人気のタイプを現わしてしたのではなかろうか。

 源氏は、この女性に惹かれる、そこにこそ、日本人と呼ばれる人間集団の美意識の秘密が隠されているのかもしれない。

出雲文化の底流

2009-08-24 05:01:39 | Weblog

 出雲系の女性の人気は何を意味するのか、それは、日本の社会の基層に、出雲系の文化が流れており、今なお、大きな影響力を保っていることではあるまいか。

 では、その出雲とは何か、「出雲」は現在の島根県にあった国で、天皇グループがやって来る前に国家を成立させていた、それもかなりの大国であったようだ。

 どうやら、その文化的影響力には大変なものがあり、埼玉の氷川神社を中心とした広大な地域は、彼らのグループが開発したようだ、本殿までの参道が2キロメートルあった。

 そして、神田明神、お江戸の真ん中のこの神社も、どうやら出雲グループが関与していたようだ、だから、一人の女優の人気には、千数百年の文化的歴史的背景があることになる。

深キョンの象ダンス

2009-08-20 22:32:47 | Weblog

 「デブで許されるのは深キョンだけ」
 これは、大変な名言、三平方の定理よりも確かだ。

 「深キョン」とは深田恭子、富豪デカやヤッターマンに出演、「ヤッターマン」の衣装はすごかった、「すごい」といえばあのCM、白くて太い足で飛び跳ね、
   ♪ アーターシーのコーイーは

 最近は、ちょっとバージョンが変わって黄色いワンピースで跳ね回る、あれが流されると、部屋がズシンズシンと揺れる。

 彼女は現代的・都会的で出雲タイプではない、やや、白人タイプといったところか。

沢尻エリカから戸田恵梨香へ

2009-08-20 09:01:48 | Weblog

 どういうわけか、日本人と呼ばれる人間集団は、出雲タイプの女性に引かれるということを述べた、出雲の美人は、ちょっとしもぶくれでナヨナヨとしていて、なんとも言えない風情がある、だから、忘れたころにブームが起きる。

 出雲系は正当な日本タイプとは違っている、「正統派の美人」とは、かつての山本富士子、もう知らない人が多くなっているようだ、YOU TUBEで見ることができる。

 出雲系は、平幹二郎と結婚した佐久間良子の若いころ、西武の社長に追い掛け回された沢口靖子、そして、この戸田恵梨香なのだが、なんと驚くことに、この恵梨香さま。出雲系の特長を、前の二人よりも強く備えていた、ナヨナヨとして頼りなく、そこはかとない風情がある。

 時代は、沢尻エリカから戸田恵梨香へ。

戸籍の取得

2009-08-16 05:13:40 | Weblog

 「砂の器」の主人公はライ病の父と別れる、それから20年後、立派な作曲家として登場する、その20数年間に何があったのか。

 当時は、ライ病の一家の出身であれば、その事実が一生つきまとい就職は限定されたようだ、だが、丁度、第二次大戦の最中であり、大阪が空襲に遇い役所が炎上してしまい戸籍が消失する。

 少年は、焼け死んだ夫婦の息子として届け出て戸籍を獲得することに成功する。

 松本清張は、そのプロセスを小説にしたのだが、どこでヒントを得たのか、興味が尽きない。





































































































































































































































































































































































































































































































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日本の原風景 2

2009-08-14 10:14:28 | Weblog

 松本清張の「砂の器」にはライ病と戸籍についての問題があった、主人公はライ病の父親がおり、当時、ライ病の患者を持つ家は村八分にあった。
 
それで、父と子は、日本全国を放浪することになる、たまたま泊まった所が出雲の亀嵩の神社、作家はどこで、このヒントを得たのであろうか。

 かつてライの病者は、家族・親類から見捨てられ、わずかの路銀を持たされて放逐された、彼らは四国八十八箇所の巡礼を続け、赤々と空を染める夕日に向かって、死後の世界の幸福を祈る、そして、そこで死ねば道端に埋められた。

 これが、つい最近までの日本の原風景であった、歴史に一行の記載もなく、消えていった人々のなんと多いことか、松本清張という作家は、そこにスポットライトを当てた。






































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































病者











































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































のであろう














男に選択の権利があった

2009-08-07 02:55:09 | Weblog

 この動物はオオツノシカであるが、こうした大型の動物を狩っていく最中にケガをする者、イノチを落とす若者がいたことだろう。

 何度かの狩をすれば、その数も多くなる、すると若い男女の比率は女が多く、男が少なくなり、男の選択権が強くなる。

 そこで、比率としては小さい「金髪・青い目」の女性の稀少価値が増大する、つまり、引っ張りだこになる、こうして、彼女たちは、自分のDNAを伝えていくことに成功したのではあるまいか。

 数世代数十世代の後に、極めて少数であり、自然の状態では、恐らく、0.2~0・3%の出現率であったものが、数%にまで上昇したのではなかろうか。

 だから、日本の東北地帯のケースは、きわめて特殊で興味深い事例となる。
 

新石器時代の男の選択

2009-08-06 06:11:16 | Weblog

 新石器時代、男たちはチームを作って狩りに出かけた、その伝統は彼らのスポーツに残っていると思う。

 Rugby、これを見ていると、彼らのチームワークの有効性が良くあらわれている、15人の男たちのチームプレイによってゴール・目的に到達しようとする、そう、15人いれば相当なことができる。

 個人技とチームプレイ、個人技には、槍を投げる名人がいる、そして、石投げの名人、もっと効果があるのは大きな石を投げることができる男・これは砲丸投げ、中ぐらいの石を縄で結わえて、ブンブンと振り回し、遠くまで飛ばす、これはハンマー投げに発展したのではあるまいか。

 これらが動物の群れの中に飛び込んでアタマに当たれば、一発でアウト、その晩のお肉になる。

 こうして、マンモスやオオツノシカ、バッファローにシカ・ヤギを捕らえる、マンモスとオオツノソカは槍投げの連中、バッファローは砲丸投げとハンマー投げが担当していたのかもしれない。

比較的大きな出現率

2009-08-05 04:03:58 | Weblog

 金髪で青い目がBESTであるという評価は、どこから生まれたのであろう。

 一部の白人たちは、頭から、そう、信じているらしい。
 日本の留学生が、その解釈は偏っていて、世界には、さまざまのタイプの女性がいることを教えようとしたが、ダメだった。

 先日、原宿で、パッと目が合った女性が青い目、まじりっけなしの青い瞳、ゾクゾクするような凄みがあった、このブログでも紹介したが、青い目の出現は、日射量の減少から発生するもので、それほど神秘的な生理現象ではない。

 そして、同一の外的環境であっても、みながみな、きれいな青い瞳になるというわけでもなさそうだ、薄い茶であったり、黄色っぽかったり、混じったり滲んだりするケースが多い。

 だから、きれいな青い目が出現する比率は、現在よりも少なかったのではなかろうか、つまり、現在は、昔・2千数百年前かそれ以上よりも、多いのではあるまいか。
 その原因は、何か、ちょっと面白いテーマである。