台湾人の指導層が白色テロによって被害を受けたことを記したが、その出発は2・28事件、私は、これを知らなかった、向こうでこれを聞いた時、
「2・26事件ですか」
「いいえ、2・28事件です」
台湾人のKさん、声をひそめて、
「1947年2月28日に、反政府運動が起き、苛烈な弾圧が繰り広げられ、多くの人々が殺害されたのです」
「日本人が引き上げ、やがて、大陸から蒋介石の軍隊がやって来た、最初は歓迎したのですが、この連中、モノを盗む・オンナを暴行する…」
「そこで、『イヌは帰ったがブタが来た』ちょっとした事で騒動が起こり、瞬く間に拡大し、台湾各地に広がった」
「大陸から、続々と軍隊がやって来て、人々を弾圧した、花蓮ではアキレス腱に針金を通し数珠つなぎにした台湾人を、海に放り込む、そのため、海の水が赤く染まった」
「どのくらい殺されたか分かりません、というのは身内が反政府デモに参加したことになれば同類と見なされるからです」
「だから、病気で死にました、行方不明です、今、旅行中です」
「これは、あの天安門事件と同じケース、だから、正確な人数が不明なのです」
長い間、実権を握ったのが、外省人グループで、これは、台湾人の李登輝さんが指導者に抜擢されるまで続いた。