The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

Christian influence seems to decrease・キリスト教の低落 2

2017-05-31 04:13:27 | 世界経済

" Recently , A Christian of Copt religion was slaughtered by Islam's terrorist in Egypt .
This was in front of the church of Copt religion .
Christian God seems to have done nothing .
The God who should make the earth , make the sea and make this world , kept quiet .
The people's belief is leaving by such circumstances is inevitable . "
 
 エジプトで、キリスト教の一派・コプト教の教会で自爆テロがあり、多くの信者が死んだ、現在では、
 「天地を創造した全知全能の神サマは なぜ止めなかったのか」
 そんなコトを言うヒトはいない、それどころか、
 「政府は なにをしていたんだ」

 神さまよりヒトの政府の方が重要で責任がある。

 キリスト教の神は政府以下になっている、だが、この疑問こそが、中世から近代へのトビラを開いてくれた、中世、ヨーロッパの中世にあっては、キリスト教の神は絶対であり、人間の目には不合理であっても神にあっては正しいかったようだ。

 貧困・病気・災害・戦争・・・これらはみな神の手によるもので、この無理難題も神のココロミ、人間の考えでは不合理であっても、それは、神にあっては、正当な理由があるのであり、それらを通じて信仰を貫くことが求められる、ある牧師は、ひとり娘を交通事故で亡くした、この牧師さんニコニコと笑って、
 「神に 召されたのです」
 「あの子は 神に愛されていたのです」
 愛され過ぎじゃあないのかな。
 「いえいえ 天国で再会するのです その時は いまの何倍・何十倍も幸福になるのです」

 どうやら、これが通用しなくなっている。キリスト教の賞味期限が切れようとしている。

Christian influence seems to decrease・キリスト教の低落 ⒈

2017-05-30 04:09:43 | 世界経済

I do think the influence of Christianity becomes weaker .
The New Pope seems to be frivolous , he said ,
" We must build the door of loving between Mexico and America , not a long wall ."

It is not good for the top of Catholic to touch the political problem , because the social situation changes suddenly .
Many protestants manages companies , and some of them had the munition industry which products a strong weapon used in Middle West .
The doctrine of love and miracle changes to the money and murder .
People of all over the world are staring it and become to escape from it .

 キリスト教の影響力が弱まっているように思える、Catholic・Protestant 双方であるが、新しいローマ法王、いかにも軽い、 
 「メキシコとアメリカの間には 長い壁ではなく愛のドアを作らなければいけない」

 法皇は権威なのだから、あまり俗事に介入しない方がいい、それは、政治的状況は変化するからだ、しかし、なぜこの程度の人物が法王になれたのか、Catholic教団に「あせり」があるからか、どうやっても衰退(すいたい)を止めることができない、
 「思い切って 大衆的なヤツを選んでみようか」

 さて、資本主義を作ったProtestant、彼らはこの世界で労働にいそしむ、企業を作り財を蓄積することを許した、その企業の究極が「軍需産業」、だから、愛と正義と奇蹟の宗教は「カネと殺人」の宗教になっている、これを。世界中の人々が知ってしまった、だから、世界中の人々のこころが離れているんだろう。

The Christian expiration date is going to break・キリスト教の賞味期限 

2017-05-28 04:43:21 | 世界経済

In 325 , Jesus Christ became a son of God by Nikaia Ciuncil .
And during the Second World War , a girl prayed it at the Nazis German gas room ,
" Please help me ."
But Christ of love and miracle made nothing .
It isn't possible to cheat it on the time of net ,
A Christianity by date probably seems to break ,

 「キリス教の影響力が低下している、これは、どうしたことか」
 
 5年前の3月の下旬、銀座の三越に白人の婦人、清らかなオーラーに包まれていた、アングロ・サクソンの cool beauty 、ラテンのローマンチック・romantic 、イスラームのミステリアス・ mystery enchanting 、こちらはどうか、
  一輪で 世界を圧する 牡丹(ぼたん)あり    

 私は、この時、イエスには妻がいて、その子孫が実在しているという説を思いだした、もし、そうなら、この女性が、
 「その子孫では あるまいか」

 ダ・ビンチの「最後の晩餐」のテーマがこれで、イエスとマリアの間は「V」、Vは聖杯を意味する、イエスが神になったのは、325年のニカイア Nikaia の公会議で、この時、
 1、アリウス派は異端   
 2、復活祭の日付の決定    
 3、異端とされた神父の洗礼は  
 4、リキュウス帝の迫害によって棄教した信徒の復帰・・・

 1のアリウス・Arius は「父なる神とイエスは別モノ」、対してアタナシウスは「父なる神とキリストは同質(ホモウシオス)」、これが三位一体説・doctrine of Trinityで、これが通った、通ってしまった。

 その後、千七百数十年間、このドグマ・dogma こそが。ヨーロッパ世界を支配してきた。

大國魂神社に行く 終

2017-05-26 02:41:05 | 世界経済
        
 「府中本町」の駅を降り改札口を出ると、ヒダリ前方に大きなタテモノが見えた、
 「府中の競馬場だな」
 
 地図を見ると右方向だ、ちょっと歩くと石の鳥居、ぐるりと築地(ついじ)が囲んでいる、左に回りこみ、そこから境内に入る、菊花紋のような紋章が飛びこんできた、立てカンに、
 「所定の烏帽子 白丁着用者以外の方は 神輿(みこし)を担(かつ)げません」

 出雲系らしいものはないかな、   
  ♪ おこのみ やきやき 
    おこのみ やきやき   
    はあーい おねえさん
    
    おこのみ やきやき
    おこのみ やきやき   
    はあーい おにいさん 

 群衆の中に、15、6歳の少女、
 「深山(みやま)の白つつじか」
 古代がよみがえっている、現在は、古代の世界に直結しているのかもしれない。

 ビルの中に和菓子の店があった、柏餅(かしわもち)がおいしそうだ、
 「ふたつ くださーい」
 「はい サンビャク・ロクジューエン(360円)です」
 ベンチで柏餅を食べている老婦人に、
 「高いですね」
 「はい はい」
 「食パンが 買えますね」
 「いえ 100円のがありますよ」

 なんて品のいい、やさしい笑顔だろう、この土地の奥の深さ、いや、出雲文化の奥の深さ、こんなところに小さな花が咲いていた。

 剛直な街路樹の枝の形(なり)に、出雲文化の残り香を忍ぼうか、思い浮かべようか。

 大宮の氷川神社は出雲系だが、その参道の脇に、町立の考古館があり、縄文の土器や土偶が展示されていた、あどけない表情がほほえましい、
 「出雲の連中は 縄文系の人々と仲がよかったのではあるまいか」
 それに対し、天皇族は各地で強圧的で、ところによっては殺戮を恣(ほしいまま)にしている、この列島にとって、どちらが良かったのか。

 第二次(三次)出雲政権とでも言うべき徳川幕府から明治の天皇制へ、またしても歴史が繰り返した、そして、あの大逆事件、幸徳秋水は、
 「正統な南朝をだました北朝の子孫の明治天皇には アタマを下げまい」
 秋水が、ホントウに言いたかったコト、それは、
 「列島の最初の支配者・王者は 大国主の命ではあるまいか」

 大審院に声が轟く、
 「明治大帝を弑(しい)し奉(たてまつ)らんとすは 何事ぞ」
 「おれは 今の天皇を認めない 本当の天皇は認める」

 明治の男の血を吐く一句、
 「真実の歴史・歴史の真実に アタマを下げるのだ」


 皐月(さつき)晴れの青空に、消(け)されてしまった出雲の人々のさびしい笑顔が浮かぶ、
 「たずねてくれて ありがとう」
 「30年 かかってしまいました」
 「そうでしょう そうでしょう」
 「やっと やっと 解けました 解きましたよ」
 「ご苦労さまでした ありがとう ありがとう ありがとう」

 遠い遠い、つらいつらい、ただ一筋の古代への旅であった。

大國魂神社に行く 11

2017-05-23 05:30:12 | 世界経済

 どういうわけか、この国には、白人よりも色白の人がいる、色白には、
 1、赤味がかった色白  
 2、青味がかった色白 

 1は白い肌がほんのりとピンク色に染まる、なんというか・・・2は、おそろしい。
 やはり、『人国記』の、
 「この国の人は 日の本(ひのもと)の故(ゆえ)にや  
     色白くして 眼(まなこ)の色 青きこと多し」
 これは宮城県・岩手県方面だろう、日本海側の古文書はないだろうか、

 さて、「出雲美人」という言葉があるそうだ、一般的には、三月のお雛さまのようだと言われている、上の写真は秋田美人、有名らしい、これはシャープな印象だ、私は、出雲美人のあるタイプは、これに近いのではと思っている、それは西村真次博士の「ツングース民族南下説」をヒントにしたもので、日本海側の色白の人々には共通点があるという、あるいは的(まと)を突いているのかもしれない。

 現代は、科学主義の時代だから客観的事実がなければ無視される、だが、総合的な判断や観察も重要ではあるまいか、なにかを見落としているのかもしれない、なお、西村博士、あのジプシーが日本にもやって来ていると述べていた、スケールが大きいなあー

 秋田駅の近くにカワバタという有名な繁華街があり、そこに、とびっきりの秋田美人がいるらしい、ワタシは諸般のフクザツな事情から行っていない、なあに、カネが無かったのだ。

 一流企業の社員が、たっぷりの交際費で遊びに行った、すごい美人がついた、初雪のように色白、大きなヒトミ、しっとり吸い付きそうなモチハダ、下心(したごころ)丸出しで、
 「キミだったら 銀座のチイ・ママがつとまるよ」
 「あーら だめですわ」
 「ぼ・ぼ・ぼくが カラダを張って セキニンをもって スイセンしてあげるよ」
 「かラダを張って」とは、下半身も入っているようだ。

 「だ・だ・だから トーキョーに 出てこないか ねっ いいだろー ねっねっ」
 すると、この秋田美人、
 「わたし 都会の殿方(とのがた)の会話についていける自信がありません」

 正直なヒトだ、よく分かっている、その通りなのだ、美人だけでは、座がもたない。


大國魂神社に行く 10

2017-05-21 03:03:05 | 世界経済
 
 高知県は遠い、その高知県の辺境から陳情団が来た、たしか「ゴミ処理場の建設反対」、このグループの中に、180センチの身長で肩幅が広く・胸板が厚い、相撲の「大砂嵐 おおすなあらし」にそっくり、堂々たる体格なのだがソワソワ・キョロキョロ、それに知的なトコロがない。

 あるいは、黒潮に乘ってやってきた人々の子孫か、
 「このヒトたちは どんな風にした生きてきたのか」

 この黒潮のもっと先の紀州には、
 「われわれの先祖は インドから来た」
 そして、紀州にはタイヘンに進歩的な気風の町があり、明治になるとさっさとアメリカに働きに出た。

 そして、あの大逆事件に参加する者がいた、この裁判はデッチアゲという意見がある、あの機会に日本の社会主義者を一網打尽(いちもうだじん)にしてしまおうという明治の暗黒政治、これを、見破ったのは、当時、朝日新聞にいた石川啄木、彼は徹夜で大審院の記録を見た、
 「この国は ダメだ」

 大逆事件で処刑された大石誠之助は紀州の出身で、  
   わがために泣くひとありと聞きし時
    とめどころなく なみだこぼれぬ  
   わがむくろ 煙となりて はてしなき
    かのおおそらに かよい行くかも   

 熊野の怒涛(どとう)のような感情、抑え切れない正義感、真実に対する憧憬(どうけい)、そして、この世の営みに慣れることのない少年のこころ・・・大石は医者だったが貧しい人々からお金を受け取らなかった。

 あの幸徳秋水の血を吐く言葉、 
 「おれが 頭を下げるのは 真実の・真実の天皇だけだ」

 そして、「仏法は 王法の上にあるべきだ」、禅僧・内山愚童(ぐどう)の悲痛な抗議・・・みな、すばらしい男たちだ、明治の誠意・明治の良心ではあるまいか。

 一高で徳富蘆花(ろか)は、
 「彼らこそが 本当の志士(しし)である」

 維新から40年、高位高官の禄を食(は)むかつての若者たちは、すでに理想と情熱をなくし、ただアジアをマーケットにして、巨大な利権をものにしようとする薄汚い魂胆(こんたん)だけだったのであろうか。

 紀州の山奥でさびしく消えた後南朝のなみだが、紀の川の水となり、海沿いの町に達し、紀の国の人々のこころに届き、真実の歴史・真実の叫びに駆(か)り立てたのではなかったか。

大國魂神社に行く 9

2017-05-19 04:49:13 | 世界経済
 
 東北の町立考古館で質問すると、
 「1回や2回来たぐらいのヒトに そんな質問には答えられないね」
 「・・・」
 「せめて 5回は通ってくれないとな」

 司馬の『街道を行く』の最初も同じようで、 
 「そんなことも知らないのかい」
 「それでよく物書きなんか やってられるな」
 郷土史の連中の中には、意地の悪いのがいる、
 「何十年の成果を 教えてなんかやるもんか」

 どっちもどっちなのだが、この作家は、終に、そのコツをつかんだのだろう、
 1、朝日新聞を利用
 2、大学の関係と指令
 3、行政機関からの圧力
 4、地方のボスの協力・・・

 これで、立場が逆転し、何十年の貴重な情報と成果を召し上げることが可能になる、あのシリーズ成功の秘密だろう、そうそう、あの考古館は、日本海側の都市と奥州・平泉の中間点にあったから、おそらく唐やペルシャだけではなくローマ帝国の資料もあったのではあるまいか、だが、あの津波できれいに無くなった、
 「あの時 見ていれば」
 複雑な、気持ちではある。

    
 さて、松本清張の「砂の器」に出雲文化を解く貴重なヒントがあった、それは、出雲の方言が東北のズーズー弁に通じており、ここからこの国の国立大学によって封じ込められてきた真実の日本古代史がごっそりとあらわれる可能性があった。

 容疑者はズーズー弁を話し、その会話の中に「カメダ」という単語、刑事は秋田県の「羽後亀田」に出かけて調査するが、まったく収穫が無い、ところがヒョンなことから、この列島にはズーズー弁を話す地域がもう一カ所、
 「島根県出雲地方は 東北地方に似た方言を使用する」

 出雲の神々は諏訪や武蔵野だけではなく、東日本全体に影響力を保有していたのか、大國魂神社の三之宮・氷川神社と東北の日高見神社は、どこかで繋(つな)がっているのかもしれない。

 これに、あの「ツングース民族南下説」を当てはめると、東北美人と出雲美人の関連が証明されるかもしれない、人類学は東日本は縄文系で西日本は弥生系としているが,東日本、特に日本海側の色白・面長のヒトは、どう説明するのか、ヨコハマのサウナに秋田県出身の女性従業員がいた、丸顔・色黒で低身長、
 「わたしのムラでは みんなこうなんです」
 つまり、秋田県といっても「ばらつき}がある、色白はどれくらいか、意外と少ないかもしれない。

 ちなみに司馬遼太郎の「韃靼疾風録」も同じテーマで日本海側の人々は大陸と関係が深いのではというもの、司馬は少年時代、白柳秀湖の作品を愛読しており、そこからヒントを得たのだろう。

 司馬と清張、ここのところは一致している、いいところを突いている、対談していたら、きっとビックリするようなコメントが飛び出したことだろう。

大國魂神社に行く 8 

2017-05-17 09:12:23 | 世界経済
 
 司馬遼太郎は、
 「日本人の歴史を取りもどしてくれた」
 これだけで十分な業績だ、とやかく言うことはないかもしれない、ひとつぐらいは言ってもいいかな・・・

 それは『街道を行く』の「オホーツク文化」のエピソード、この時、司馬は、この文化を長年に渡って調べている床屋さんの意見を紹介、民間の郷土史研究家、そして、ある日の食事の際、コマイ(氷下魚)というサカナが出た、
 「そういえば コマイという学者がいたな」

 コマイとは「駒井和愛」博士、東大の教授でオホーツク文化研究の第一人者、ここで、私には、いぶかしい思いを抱いた、なぜ、この文化の第一人者の意見を紹介しないで町のシロウトのコメントばかり載せたのか、
 1、知らなかった  
 2、百も承知でそうした  
 1ならモンダイはない、2なら、ちょっとフクザツ、そこに司馬遼太郎の処世術、あれだけの成功をおさめた秘密があったのかもしれない。

 サンケイ新聞の記者の時代、国立大学と私立大学の学者の対立や確執(かくしつ)をいやというほど味わってきたはずだ、この二者と上手につきあわないことには、小さな記事のひとつも書けない、だから、オホーツク文化のケースはどうだったか。

 以下はわたしの推測、駒井博士は早稲田を出て東大の大学院、そして幸か不幸か、東大の教授になった、まあー タイヘンな成功であろうか、しかし、東大の生(は)え抜きではない、ということは、駒井さんの弟子になっても将来性がない、学問は継いでくれるものがないと発展しない、つまり葬(ほうむ)り去られてしまう、中国人の学者が、
 「学問とは もうひとつの政治である」

 私は、駒井博士の論文を熟読した、詩人なのだ、学問と詩が融合している、そのテーマは日本列島に残る北方文化の影響、この北方文化はユーラシア大陸を渡りイングランドまで続いている、
 「リンゴの花の咲くところに 北方文化がある」

 スケールがちがう、格がちがう、ちょこちょことやって器用にまとめる、本人もそれほど分かっているわけではない、そんなのが大半だ、堂々たる男児の鑑賞に耐える、そのレベルではない、そもそも「堂々たる日本人」という言葉は死語か。

 あの三内丸山遺跡が発見された時、駒井博士の透徹した研究を紹介したのは、たった一人、町立の考古資料館の学芸員だった。

 つまり、海千山千の小説家は、オホーツク文化に対する駒井博士の研究を紹介すると東大の連中がいい顔をしない、今後、協力してくれないかもしれない、「街道を行く」ことができなくなる・・・

 だから、これほどの世渡り上手が、李登輝さんとのあの声明、
 「なぜ あんなシッパイをしたのか」

 まあー ちいちゃなこと、ちいちゃなことネ。

大國魂神社に行く 7

2017-05-15 01:40:39 | 世界経済
    
 国会議員の秘書をしていたが、その議員は高知県選出、連日、上京する陳情団に接しなければならなかった、その頃から、司馬の「竜馬が行く」に疑問を持つようになる。

 都会の人々はこうなのだが、ニッポンの地方、個人が確立していない、「共同体的個人」であり、近代的個人ではなさそうだ、個人の自覚がない、これは、そこから選出される国会議員も同じかもしれない。

 明治神宮にやって来た婦人グループのリーダーが、
 「ワタシなんか タクワン一切れでゴハン一ゼン 食べちゃうんだもんね」

 いい大人が人前で言うセリフか、これをうんうんと聞いている、まだ明治維新が来ていない、今でもこうだから100年前はどうだったか、だから、あの坂本竜馬は、司馬の竜馬であり、実際とは違う、ところで金比羅(こんぴら)神社に奉納の石碑がある坂本家は、出雲系ではあるまいか。

 司馬遼太郎の業績は、
 1、日本人の歴史を取りもどした  
 2、台湾は台湾人のものである 
 3、「街道を行く」の収穫   
 
 1は、当時は左翼全盛で「ヒダリにあらずんば インテリにあらず」、ネコもシャクシもヒダリ、新聞・マスコミ・大学は、左翼主義者が支配しており、
 「あの戦争は 侵略戦争であった」
 「日本は アジアや世界に対して取り返しのつかないことをした」
 「あやまってあやまって永久にあやまり続けなければ いけないんだ」

 この間の憲法の日、NHKの番組でアツヌリのオンナ・アナが、この憲法で平和を持続でき、
 「海外への暴力を ふるわずにすんだんです」
 言わされているのだろうが、なんという情けなさ、カエルだって、もうちょっとマシだろう。

 この元凶は、東大の丸山マサオあたりで、彼に教えられた学生たちが日本各地に分散して、そのタネを撒き散らしていった、そこに、司馬は日本の歴史を肯定し、日本人の誇りを取りもどしてくれた。

 台湾の李登輝さんとの対談で、
 「台湾は 台湾人のものです」
 これが、共産中国の逆鱗(げきりん)に触れ、タイヘンな圧力をかけられ、文芸協会の理事を追放されているのではあるまいか。

 ところで彼の小説だが、司馬は町人の出身で、武士が描けていない、だから、彼の時代物は、なにかウソくさい。

大國魂神社に行く 6

2017-05-13 07:18:56 | 世界経済
 
 天皇に即位するためには、三種の神器がヒツヨー、このうちの鏡は、出雲が本家・本元だろう、古代の日本では多くの豪族が所有していた。

 当初は天皇家が日本の支配者であったが、やがて藤原氏や平氏が権力を簒奪(さんだつ)する、そして南北朝の争乱、ニッポンの政治が劇的に変化した、それは「権威の確立」、さらに権威の象徴としての「天皇の存在」、社会の中心に権威のシステムをセットする、それこそが、ニッポンのコア・パソナリーテイ(核性格・core personality)となる、下って20世紀の中頃、田中角栄が北京を訪れると、不倒翁・周恩来が、
 「昭和天皇に よろしくお伝えください」

 毛沢東の神格化に失敗した中国の政治家は、ニッポンのこの政治システムの絶妙さが痛切に理解できたんだろう、だから、思わず口に出た、 
 「権力の相対性 権威の絶対性」

 このシステムの危機は、明治末年の大逆事件の裁判であろうか、大審院の法廷で裁判長が、
 「今上陛下を弑(しい)し奉(たてまつ)らんとするは何事ぞ」
 母親思いの幸徳秋水、
 「あれは 正統な南朝をあざむき 三種の神器を奪い取った北朝の子孫だ」
 「あれは」とは明治天皇だ。

 満場、寂として声なし、当時の日本人はみな、知っていたからだ、
 「おれは おれは 認めない」
 この沈黙は深い、これが、日本史の深奥であり、「透明な秘密」であろうか。

 南朝の後に後南朝があり、やがて、さびしい山村の木々の暗がりに、消えていった、いつの日か、紀州の山奥に詣(もう)でてみたいと思っている。