The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

The Birth of Catholic Zen 11

2014-12-30 09:20:52 | 世界経済
         
 In addition to considering each individual experiences important ,Zen stresses the limitation of language and writing . This is called furyu-monji(不立文字)or direct teaching without dependence on words or writig .
 「各人の体験が重んじられる禅では、言葉や文字の限界が強調される、これが不立文字(ふりゅうもんじ)、語や書物にたよることなく、直接に教える」

       インドから来た男
 接心の5日目、ようやく盛り上がってきた、今朝の坐禅では皆の息がひとつになり、
 「し~ん」
 だれもいないと思った山の小鳥が、エントツに巣を作り始めた、
 「かさっ かさっ」

 これと正反対のエピソードは、数十名が坐禅している最中に、その坐禅ホールの屋根の修理にやって来たオトコ、下からものすごいパワーが突き上げて来た、
 「ひゃあー」
 ころげ落ちそうになった、という。

 その日の夕暮れ、ひとりの外国人がやって来た、むんむんとした空気、
 「これじゃあー せっかくの接心をぶちこわしてしまうな」
 この男を連れて禅堂に向かう、
 「ムンムン ギトギト ギラリギラリ」
 「まるで Walking Penis こまったなあー」

 ところが、僧堂に、一歩、その瞬間、
 「すうっー」
 空気に溶ける、静けさそのもの、あっ気にとられた、
 「こいつは なにものなんだ」
 物質的にはインド人の神父、だが、
 「これが これこそが インドの魔法なのか」


 さてさて、ニッポンの仏教寺院のレポートのつづき、タヌキの子供たちは、まだ寝ている、ところで、その寺の庭は荒れほうだいで、この数週間掃除されていないもよう、
 「これは タイヘンだなあー」
 その時、
 「あっ そうか」
 おくればせに気がついた、この坐禅会の目的は、動く坐禅・作務、無料の労働力をゲットすること、タヌキのくせに人間さまをこき使おうってこと、
 「タヌキの術だな」
 しかし、なんて、まあー、こすっからいんだろうね。

 桜の木の下を通ったら、
 「ビリッ」
 イタミが走る、ケムシだ、何週間も放っておかれたのでケムシがワンサカワンサカ、見ただけでかゆくなる、どのくらい働かされたか、一時間半ぐらい、
 「坐禅が20分で 作務が90分」
 タヌキが、
 「さあーさあー みなしゃーん お茶にしてくだしゃあーい お菓子はひとつづつでしゅ あっ そこのひと  ふたつとったでしょー」
 中村屋の月餅だった、きっと供物の山から、古いモノを引っ張り出してきたんだろう、ところが、集まった連中は、
 「これ 高いんだよ」
 「1個 350円ぐらいかな」
 「おれ やっぱり 持ってかえろう」
 「ぐふぐふ しぶーいお茶で食べるんだ」

 「わあーわあー きゃあーきゃあー」
 「ぐふぐふ また こよーかな こんどはニョボーもつれてこよう そしたら 2コだな ぐふぐぐふのぐ」

 これが、ニッポンの大衆なのかな、そう、どっちもどっちなんだ、とても無我の当体を味得なんてもんじゃあないよ、やる気がなくなっちまったね。

 

The Birth of Cafholic Zen 10

2014-12-28 04:36:25 | 世界経済

 This is an individual and specific experience tor such person ,and can never be explained with theory and doctorine . Such a view is called kyoge-betuden which means transmitting ideas without reliance upon sutras and other written materials.
 「これは、個別的で具体的な体験であり、理論や教義では、決して説明できない、この立場が教外別伝であり、経や文字によることなくアイデアを知らせることを意味する」

     銀椀裏に雪を盛る
 イギョウ宗は商人で、イ山とキョウ山の巧みなやりとりが商人の駆け引きに似ている、この辺が面白い、商人は近代的だ、商人が近代を切り開いたんだろう、あの平家が商人的政権で、厳島神社に見られるように、この政府は海外との貿易を押し進めた、だから、本当は、もっと違った内容があったんだろう、そんなスマートな彼らにとって、人を突いたり切ったり殺したりするほど、バカバカしいことはない、
 「こまった連中だな」
 「そんなことをして いったいどれほどの利益になるのか」

 だが、この列島が近代になるには、ちょっと、いや、だいぶ早すぎたようだ、法眼(ほうげん)宗は公卿、おっとりした公卿の宗風、そして雲門宗があるのだが、この宗派のキャッチコピイが天子、どんなものか、あるヒネクレ者が、雲門の弟子のハリョウに向かって、
   いかなるか 提婆(だいば)宗    
 これに対して、       
   銀椀裏に雪を盛る

 言いも言ったり、言い切った、我が宗風は、銀のお椀に雪を盛る、そういった純一な行為、「銀器に白雪を盛る」、凄絶な感覚の世界だ、
 「シュールだな」
 言語表現の極致、精密にして絶妙、こまったものだ、唐の時代とは、なんともシャレた時代で、最高のおとこたちの舞台だった、
 「人類史の華」
 青春の一時期、この宗派を復興できないものかと思ったことがある。

 これに対して、現代はどうか、ちょっと信じられないことだが、坐禅の会にお金を取るトコロがあるらしい、会費を徴収するのだ、
  木喰(もくじき)を とうとい人とたずねくる
         たずねる人は なおもとうとき
 「悟中迷あり」の出家者は。ただひたすらにやって来る凡夫の姿に「迷中悟あり」の端的を知るはずだが、それほどのボーズはおるまい、まあー 相手にするのも時間の無駄だろう、とにかく、来るところまで来ているようだ、駅前に、日曜の朝、坐禅会をやっている寺があるというので早速出かける、けっこうなビルデイングだ、相当な収入なんだろうね、儲かって儲かって仕方がないのかな。

 朝の6時半、豆タヌキみたいな中年の僧侶が出てきた、
 「どうやっても ソンケーできそーもないな」
 「なにか いいましたか」
 「いいえ けっこうなお寺で」
 「ぐふふ 3階なんですよ ぐふふ」
 自慢なんだろうね、3階の道場に向かったのだが、その途中でクチブルに指を当て、
 「しいー」
 「・・・」
 「子供が 寝ているんです」
 なるほど、コダヌキたちが、
 「グースー グースー グビグビ・グググ・グビグビ ブリブリのブリー」
 寝ながら「ヘ」をしている、
 「ずいぶん器用だな」
 それにしても、なんと寝ぎたないんだろう、出家の子供という気配が、まるでないのがおもしろいね。

 始まったと思ったら、すぐにジ・エンド、30分も経っていない、そして、
 「これから 作務(さむ)をします」
 「・・・」
 「作務は動く坐禅です しっかりやってください」
 「きょとーん」

 坐禅会に集まった十数名に、それぞれ作業が割り当てられた。


The Birth of Catholic Zen 9

2014-12-26 05:35:59 | 世界経済
                 
 The Zen school of China which was founded by Bodhidharma ( - 528‽) differd from the Buddhism up until that time - which accorded importance to doctorine. Such as the sutras and commentaries - in that it sought to attain satori (enlightment) through the practical training method of zazen or sitting and meditating. Each individual practitioner attempt to experience the satori of the Buddha.

 「菩提達磨を開祖とする中国の禅宗は、経や論などを重視するこれまでの仏教とは異なり、坐禅という実践的方法によって悟りをものにしようとする、それは、釈尊の体験を自分の体験とする革命的な姿勢であろう、なお、『さとり』を 、ひとまず、enlightment にしておいた」

     臨済宗と曹洞宗
 人類の最高の社会のひとつが大唐帝国、漢民族の王朝、絢爛豪華、そして、この時代に花開いたのが禅宗である、
 1、臨済将軍
 2、曹洞土民
 3、イギョウ商人
 4、法眼公卿

 臨済宗は、馬上から千軍万馬を叱咤激励する将軍の風格、曹洞宗は着実に生活する土民の堅実さ、当時の中国の曹洞宗と今の日本の曹洞宗にどれほどの連続性があるか、やはり道元禅は独特、一時期、千葉の民宿で勉強したことがある、そこのオウナーが曹洞宗の信者だった。

 当時は、民宿ブームで多くの農家が増築をして都会から人々を受け入れていたが、その建物はプレハブに毛がはえたようなシロモノ、ところが彼の民宿は、広大な庭に三棟とロングハウスだけ、しかも地元の大工さんに頼む、材料は、すべて、
 「高いほうにしました」
 しかも値切らないから大工さんは思う存分腕をふるう、建物は母屋から離れているので大変に静か、私は、三日間で専門書を一冊読破した、大学なら一年分の内容。
 やがて、民宿ブームが去ったのだが、ここだけは客が離れない、司法試験に公認会計士の受験生、試験にパスした司法修習生も利用していた、
 「これからが ホントーの勉強なんです」
 曹洞土民の堅実さは、地に足が着いている。

 一時、タイヘンに熱心な時期があり、近所の禅寺を訪ね、
 「坐禅の会をやっていますか」
 やっているなら参加させてもらおう、大柄な女が出てきて、上から下までジロジロ、そして、
 「いまは やっていません」
 こんなところだけはチエがある、この一句に、タヌキ顔のおんなの人生のすべてがこめられている、それは、
 1、過去には やっていた
 2、これから やるかもしれない
 3、だが 今は やっていないのだ

 駐車場に幼稚園、ガッポガッポとカネが入る、今さらメンドーなことにはかかわりたくはない、横浜近郊の寺経営、大金持ちはムリだが、チュウ金持ちに小金(コガネ)持ち、サトリなんかはクソくらえ、もー ジゴクなんかはないもんね、どこに行くにもハイヤーで、銀座で5万円のフランス料理、
 そこのけそこのけ ビンボーにん
 そこのけそこのけ ビンボーにん
 だから、
 「今は やっていないのことよ ひひひ」
 
 これが、ニッポンの保守側の側面か、共産党が政権を取らなけりゃあ、こういうことは続くだろう。

The Birth of Catholic Zen 8

2014-12-24 05:18:25 | 世界経済
            
 23日朝6時のNHKBSで、中国がロシアと1000億元のスワップを、さらにサウジからの石油の一部をロシアに変える声明、うれしそうなプーチンの顔、日本には、どんな手があるか、アメリカの顔をうかがってばかりなんだが、これぐらいのことをやってもいいんじゃあ・・・それと、こういったニュースをどうして取り上げないのか、掘り下げないのか。

             
 When Christianity began to establish a presence along the Mediterranean coast , it encounted a faith of goddes worship . While Christianity originally had no worship of idols , it absorbed the goddes worshipers through the worship of images the Virgin Mary , Similarly,Easter and Christmas were originally customes of the native Europeans , but by incoperating them as Christian rites these peoples too were brought in as beliebers .
 I do think the use of zazen might also be seen in this way ,

 キリスト教が地中海周辺で存在感を示し始めた時に女神信仰に出会った、キリスト教は、本来、偶像を信仰しないのだけれど「マリア信仰」によって、それらの偶像崇拝者を吸収することに成功する。
 同様に、ヨーロッパ土着のイースターやクリスマスをキリスト教の儀式に組み入れることによって、彼らを信仰者にさせた。
 私は、坐禅の採用も同じ手口ではないかと思っている。

        ネグリジェのオンナ
 上智大学の教授でもあるK神父は、臨済宗の認可を取り、ハナ高々だった、
 「なんて クサミのある悟りなんだ」
 カトリックの神父では初めての見性とかで得意満面、ちいさな身体がそっくり返る、臨済の宗風なのであろうか、
  さとりとは さとらでさとるさとりなり
     さとるさとりは さとりではなし
 カトリックの神父のゴーマンさと禅ボースの横柄さが、ちいさな身体からフクシマ原発の放射能のように発散される、だから、愛宮神父の参禅者とは正反対、ところがである、K神父には30人の親衛隊がいた、この辺が分からない、もっとも、それはカトリックのシスターたち、せまい閉ざされた世界では、ひねくれた小物がidolになるか、上から目線で、
 「そこんところを クフーしたほうがいいね まあー がんばりたまえ」

 ところで、こちらが、7日間の接心でがんばっている最中に、神冥窟の廊下をネグリジェのオンナがヒョコタン・ヒョコタン、びっくりしてしまった、こいつは、上智大の4年生で、神冥窟の一室を占拠して卒論に取り組んでいたのだが、昼間寝て夕方に起きてネグリジェで歩き回る、黒いパンテイーがチラチラ、さすがに、みんな、怒った、
 「なんていうオンナだ 外国人だっているんだ」
 「あいつは冷蔵庫を持ちこんで 自分だけ うまいものを食っている」
 「だれが 許可したんだ」
 「Kのやつだ」
 「やっぱりな」
 「あいつは 金持ちの信者を大切にするんだよ」
 「あいつの禅 あいつの見性は なんの価値もない」
 「なんていう恥さらしなんだろう」

 さて、大学院に在籍していた頃、学部に川田教授が来ていることを知った、東大で哲学の講座を持っていた川田熊太郎先生、さっそく、最前列に座る、30年40年…哲学一筋、ただただ学問、きびしい横顔、
 「50を過ぎてから サンスクリット語をはじめたのですが なかなかおぼえられません」
 ちょっとほほえんで、
 「やっぱり 若い時にしないといけませんね」

 中世神学について、
 「一見 ムダに思える論理の構築ですが これがどれだけヨーロッパ人の頭脳を 鍛えてくれたことでしょうか」
 「いっぺんに結論に達する 一挙に真実を把握する それも大切ですが 緻密で綿密な論理の展開 ここにこそ知性の醍醐味があることを知らなければいけません」

The Birth of Catholic Zen 7

2014-12-22 04:59:25 | 世界経済
       
 直近のロシア情勢はヨーロッパ側がしかけたもので、この機会に、一気にロシアをつぶす、世界のルールに従わない、それは西側のル-ルなのだが、ロシアをつぶして広大な地域をヨーロッパのマーケットにする、あるいはそんなプロジェクトの一環ではなかろうか。

 ソビエトと共産中国、どっちを残そうか、ソビエトの解体、ところが、その後身のロシアがボーチョーを始める、
 「こまったもんだ」
 「いいチャンスかもしれませんよ」
 ロシアの経済は原油輸出で支えられている、サウジに頼んで原油の減産を待ってもらう、
 「うめあわせはするからね」
 サウジとしては、ロシアの原油を叩き落とし、アメリカのシェールガス開発をストップさせられる、だが、風雲児のプーチン、そっちがそうなら、2年間持ちこたえよう、原油の価格が低いままなら、サウジをはじめ中東の産油国はどうなるか、ヨーロッパの金融資本家はどうなるのか・・・
             
 Enomiya came to Japan in 1929 and served successively in posts induring a profession at Sophia University ,the chairman of the Japan Society of Jesus , and professor at Hiroshima Elizabeth School of Music .
In 1945 he was caught in the atomic bombing at Hiroshima and sufferd serious injurries , but mirraculously servived.
 愛宮神父は1921年に来日し、上智大学教授・日本イエズス会上長・広島エリザベト音楽大学教授等を歴任し、1945年、広島で、原爆に被爆し重傷を負うが奇蹟的に助かる。     

         K神父の見性      
 神冥窟の接心を主催するもう一人の神父がKだが、こちらは、臨済宗の師家の認可をゲットしていた、
 「カトリックの神父で 初めての見性です」
 それでは、愛宮神父はどうだったのか、原田租岳の後継者・原田雪水の元で参禅していたが、どうなったのか、ある事情通は、
 「愛宮神父は やさしすぎるんですよ」

 曹洞宗なら問題は無いのだが臨済宗のシステムを受け継いだ原田系統は、そこんところがややこしい、
 「いい意味での ハッタリが必要なのかもね」

 臨済宗では、悟りを重視する、だが、本来が空(くう)の現象世界に、悟りなどという固定点なぞあるはずもない、空も空・空亦復空(くうやくぶくう)、それもまた・・・だから、臨済宗では、なんとか見性しても、次々に考案を与える、これを見た曹洞宗の僧侶は、
 「まるで 梯子)はしご)みたいだな」

 こちらは悟りの生活をおくっていくんだ「只管打坐(しかんたざ)」、出発もなければ目標もない、おまけにキンチョー感もない、だから、いつまでたっても、
 「初心者の禅」
 どっちもどっちなのだが、このK神父は、愛宮神父側の参禅者からは、なんだか、とっても、嫌われていたんだ、これヒミツね。

 
 さて、ワタクシ、思い切って、アメリカの西海岸に飛ぶ、旅費はゼーンブ ジバラ(自腹)、それで貯金はゼロになった、ロスアンジェルスのZen Centerを訪問すると、ユダヤ人の数学者を紹介された、でっかいアタマで前頭葉がワンワン、フクシマ原発みたいになにかが出ている、だが、
 「大賢は 大愚のごとし」
 その反対、これでは一流にはなれないだろう。
          
 サンフランシスコのゼンターの坐禅会に出席、5時半、ギイーっと鉄のドアが開き、ヴェトナム人・ヒスパニック・黒人さらにアングロサクソンの連中、数十人でスタート、5分10分15分、その時、禅堂の空気がちょっと違うのに気がついた、なにかがうごめいている、潜在意識がヒソヒソか、キングコブラがとぐろを巻き、コウモリがひらひら、ヒポポタマスがおしりをプルプル、ゾウがパオーン・パオーン、魑魅魍魎が跳梁跋扈、これは、なんだ。

 帰国して老師に独参、
 「ちょっと おかしいんですよ」
 「どう おかしい」
 「静けさの波長が ちがうんです」
 「う~む」
 天下の禅者・最後の禅者
 「師家(しけ)は だれか」
 「リチャード・ベーカー」
 「それだな」

 師家の心境が堂内をおおう、師家の潜在意識がそこをocupyする、分かっているようで分かっていない、それが西洋人の限界かもしれない、ちょっとほほえみ、
 「目の青いうちは ダメだな」

 老師は元気だった、中庭に赤い花が咲いていた。

The Birth of Catholic Zen 6

2014-12-20 05:34:13 | 世界経済
        
 ロシアのルーブル急落の原因は原油価格、だが、サウジアラビアは、
 「原油は 減産しない」
 しなければ原油があふれ、現在の低い価格のままで元の価格にはもどらない、税収の半分が原油・ガスのロシアはデフォルト・債務不履行になりそうだ、だが、プーチンは、なんと、
 「ロシアの不景気は 2年は続くだろう」
 受けて立つということ、ナポレオンを撃退しヒトラーを追い返したロシア得意の持久戦ということだろう、つぶれるのはロシアか、それともサウジかヨーロッパか。

 The Catholic Zen meditation hall"Akikawa Shinmeikutu" was founded by Father Enomia Makibi(1878-1990) who died during a visit to Germany , Father Enomia ,whoes former name was Hugo Lassalle .was a Catholic priest from Germany who became a naturalized Japanese .
 カトリックの瞑想道場・秋川神冥窟を建立した人物は、ドイツで客死した愛宮真備神父、愛宮神父の旧名はFu
go Lassalle でドイツから日本に帰化したカトリックの priest であった。

     大雲原田祖岳
 原田祖岳は曹洞宗の僧侶で、大変な名僧だったらしい、私は、直接は知らない、このブログで紹介した禅宗の老師は、あの大学の前身の学校の学生だったのだが、原田は教師で、ある日、井戸端で水を浴びていて、学生の老師に向かって、
 「おまえも 浴びるか」
 「はい」
 
 戦前戦中、原田祖岳は積極的に活躍して、彼の元で、多くの若者・軍人が参禅した、1980年代、青い目の僧侶といわれた外人が、
 「ニッポンのおぼーさん 戦争にキョーリョクしました」
 「とてもとても いけないことでーす」
 「ハンセイしなければ いけましぇーん」
 原田祖岳に対しても攻撃していたが、その後、どうしたか、オーストラリアの大学の教員をしているというウワサ、外人の仏教理解はその程度なのだから相手にしたら敗け、もっとも、こっちだって無感動・無気力・無関心なんだがネ。

 神冥窟では公案をあたえ独参をしていたが、これは、原田系統のやり方で、原田は、臨済宗の寺で修行し大悟徹底、そこで臨済宗の方法を取り入れたのだろう、神冥窟の図書室に原田の著書があった、なんでも、山イモがウナギに、いや、ウナギが山イモになるだったか、
 「そんなこと 言わなきゃあ いいのにね」

 茶色のページに一葉の写真、雲水のうしろ姿だ、「さわやかですっきり」、どんな能役者・歌舞伎役者も真似ることができない、当時は、まだ、そういう日本の男がいたのだろう。


 さて、ジョブズの最初の師・鈴木俊隆とは、いささかの関係があり、私が師事していた老僧のもとに鈴木から、度々、手紙が来た、この老僧はなかなかの人物で「精鋭中の精鋭」、ある日、私に、
 「comunityとは どんな意味かな」
 ご下問あられた、まあ、質問ね、どうやらサンフランシスコの禅のグループはcomunityを建設しようとしていた、その後、鈴木は癌で亡くなる、老僧は、
 「おれより若いのに なんで亡くなるのかな」
 そして、
 「葬儀は 曹洞宗の正統な儀式にのっとって 行われたようだ」

 鈴木に人気があったのは、彼の容貌のせいで、外人受けしたのだろう、だから、
 「老師は サルみたいだからダメですね」
 「これこれ 気にしていることをいうんじゃあない」
 そういってから、
 「いいやつが 先にいくんだな」

The Birth of Catholic Zen 5

2014-12-17 05:50:18 | 世界経済

 翌朝の産経抄に自民党の勝利の原因は、
 「韓国と中国のおかげ」
 メチャクチャなオンナ大統領と中国の反日キャンペーンがアベ自民党を支持させた、
 「ほかの党では 対処できないだろう」

 来年は抗日70年とかで、大陸の各地で反日キャンペンを展開するようだ、南京で30万人・中国全土で3500万人が殺害されたという主張、この人数は年々増加している、おそらくは、共産党政府の農業政策の失敗・大躍進の犠牲者さらに文化大革命によるものを加算したんだろう、なんでもかんでも日本のせいにして政権の安定を図る、とても近代国家とは言えない。

 それは、韓国についても言えることであり、まだ、大人の国になっていない。

 さて、浮世離れしたテーマを展開しようか、              
 Catholic Zen is a courageous and valuable experiment ,blending as it does the Western religion of Catholicism and the Eastern religion of Buddhism is the attempt to transcend the limitation of modern materialistic civilization .
 西洋のカトリックと東洋の仏教を融和させることによって、現代の物質文明の限界を乗り越えようとするカトリック禅の企ては、勇気ある・価値ある実験ではあるまいか。

       少年のような尊敬
 愛宮神父はドイツ人だったが、日本に帰化して日本人になる、ドイツ人の方が格が上だと思うが、どうしてだろう、やはり、原田祖岳(はらだ そがく)の影響だと思う、ニッポンの禅僧との出会いがキョーレツだったようだ、昭和の初期、Fugo Lassalle は求めあぐねていたものを発見したのかもしれない、こころという厄介な世界の羅針盤・東洋の老賢人、コロンブス以上の名航海士・・・
 一緒に収まっている写真があった、神父は晩年まで祖岳老師を尊敬していた、ところで、カトリックの聖人に認定されるためには奇蹟が必要なのだが、愛宮神父にはその資格があるのか、あの厄介な仏教を取りこんだのはちょっとした業績、だから、200年300年後には列聖されるかもしれない。

 キリスト教の奇蹟は、人為を越えマン・パワーでは説明できないこと、たとえば、死んだ人が生き返る、不治の病気が治る、昔はライ病・今なら末期癌か、ユーモラスのは、船の上から十字架を落としたのだが、船が港に着き海岸を見ると一匹のカニがツメに十字架を引っかけて、
 「ノコ ノコ」
 これで、聖人さまがイッチョー上がり、もっともこの制度がイタリア・フランス・スペインに多くの聖人を出しているということから、なんとなく政治性を感じざるを得ないね。


 ところで、アップルのステーブ・ジョブズは初め曹洞宗僧侶・鈴木俊隆(しゅんりゅう)のもとで修行し、鈴木亡き後、乙川弘文に師事、ジョブズは大変に熱心で、終に、出家を懇願する、これに対して、乙川は、
 「ビジネスの世界でも spiritualな仕事はできる」
 ジョブズは思いとどまり、情報機器の開発に専念し、あのiPhoneやiPod・iPadに行きつく、清らかでシンプルなデザインと機能性は、まるで少年の坐禅、そう、立派にspiritualな業績をものにしたのだ。

 この辺に注目する人が少ない、ニッポンの経済人の志の低さ・理想の欠落・致命的なビジョン不足・・・いいものができるはずがない、時間と空間を越えようとしない製品は、20世紀の遺物であり、21世紀のworld standardにはなりえない、早く気づいて欲しいものだが・・・

The Birth of Catholic Zen 4

2014-12-15 09:23:53 | 世界経済

 アメリカの選挙のadage(格言・金言)に、
 ”It's Economy, Stupid! "
 「経済だけでいいんだよ、バカ野郎」

 選挙では、ゴチャゴチャいうことはない、実現可能な経済の公約を提出するだけで十分だ、なにも出せなかった民主党は、やはりあのざまで、これに対して「消費税の10%は中止」をぶち上げた共産党は躍進、選挙民のこころに触れたか、モンダイはこれからだろう。

 さて、カトリック禅のつづきを、
Although many people will have their say - both pro and con - about practice ,I would say there is a significance fact description of out era in the fact that "Catholic Zen" has spread even to oridinary people and gained their continued support.
 この運動に対する賛否両論は多々あろうが、ごく一般の人々にまで広がったという事実にこそ、時代的な意義があるように思う。

     ドイツ人の庭
 早朝から夜9時まで坐り続ける接心は、やはりつらい、今日は5日目、参加者は30数名で外国人が12名で、そのうちドイツ人が10名、ここは、比較的自由なので出たり入ったり、中日で下山する者もいる、高齢のドイツの婦人、
 「よくがんばるな」
 必死の形相(ぎょうそう)だ、日本人だって脚がしびれる、
 「ここで 死ぬんじゃあないかな」
 ドイツ魂とでもいうのか、
 「もう 鬼だなあ」
 それでも7日間を、なんとか坐りつづける、接心が終わっての大茶礼(されい)で「ニッコリ」、それはそれは、うれしそうだった、ドイツ人たちは、作務(さむ)の時に石を組み合わせて庭のようなものを作ったのだが、それは、○や△のデザイン、庭というよりも幾何の問題みたい、しかし、愛宮神父は、いつまでも、そのままにしていた。

 ドイツ人たちは帰国する際、多量のクスリを残していった、
 「やっぱり タイヘンだったんだなあー」
 留守番役の神父さんは、
 「日本人には 子供用でジューブンなんですよ」        
 彼らの胃壁が厚いので、クスリも強力なんだろう。      

 さて、今回の選挙のように、確かに経済は大切、だが、経済だけでいいのだろうか、衣食住は生活の条件であったはずだが、今の文明からは、それ以上のものが出にくい、この文明には重要なモノが欠落しているのかもしれない、現代の文明を越えようとする数々の試みがあるが、やはり、オーソドックスなものが欲しいものだ、だから、カトリックのこの取り組みには価値がないであろうか。だが、これを、正確に理解しようとする者がいない。
     
 そして、カトリック禅の提唱者・愛宮真備神父亡き後、カトリックの教団からは、これを引き継ぐ・引き継げる力量のある有能で善良な人材が出てこない、もったいないことだ。

The Birth of Catholic Zen 3

2014-12-12 03:48:35 | 世界経済
     
 It has been nearly half century since catholic adopted zazen as a method of meditation and built the Catholic Zen meditation hall "Akikawa Sinmeikutu" and it would seem that among a few people the everyday practice of faith using zazen has begun to take root.

 「カトリックの人々が瞑想方法のひとつとして坐禅を採用し、カトリックの坐禅道場・秋川神冥窟を建立してから半世紀ほどが経過するが、一部の人々の間に、坐禅による信仰の実践が根付いているように思われる」

    West neets East
 この運動は、一時は、大変な盛況、西洋のキリスト教と東洋の仏教の出会いか、いや、キリスト教の世界支配の一環か、事情通は、
 「しかたがないかもしれないね」
 それは、今のニッポンの仏教界の実情を知っているからで、
 「どうしようもないんですよ」
 ニッポンの既成仏教教団のどの宗派にも、この情報社会の現実を直視し、そして、それを乗り越えようとする勇気・能力がない、いや、その問題意識すらない、あるのは、無気力と無自覚とカネ目当ての生活であり、それに満足するマンネリズム、どうにもこうにも手の打ちようがない。

 大学院で親切にしてくれたのは小さな寺院の学生、なにやかやと面倒をみてくれる、品がいい若者であった、そして、ちょっとさびしげ、彼の父親は僧侶なのだが、
 「お布施を受け取ろうとしないんです」
 「・・・」
 「母親が泣いて頼んでいました
   子供が三人 文房具を買わなければなりません 本代も必要です
   わたしたち三人 食べていかなければいけません 生活費がいります
   どうぞどうぞ 受け取ってください 取ってください
   お願いです お願いです お願いいたします     」

 貧しい檀家だったんだろう、道元禅は、そこに花開いていた、
 「ぼくは 東京に残って 勉強をつづけたいんですが・・・」

 だが、教団で羽振りのいいのは、大寺(おおでら)の跡継ぎで、あのゴーマンでオーヘイな二枚舌の大学助手たちだ、なんだか民主党の前のソーリに似ていた。

 たった一人の友人は、求道の道を行く貧しい寺の出身で、いつもちょっとはにかんでいた、だが、いつの間にか大学院に来なくなっていた、
 「いいひとから いなくなるんだな」

 だから、私には、Nippon の仏教教団を、少し、憎む気持ちがある。

The Birth of Catholic Zen 2

2014-12-10 05:38:58 | 世界経済

 このテーマの副題は、      
 " On the Significance of Catholic Zen's Existence in Modern Society,"
「現代社会における カトリック禅の存在意義について」

 significanceは
  1、意義・意味 - meaning
  2、重要性 importanceより堅い語

 I think that Catholic Zen is a courageous and valuable experiment , the practitioners will transcend the limitation of modern materialistic civilization . They were looking for the tranquility of God that would heal and liberate them from dark doubts and trouble of purgatory .
 カトリック禅は、勇気と価値のある試みであり、この運動の参加者たちは、現代の物質文明の限界を越えようとして、こぞってこの道場に集い、こころの内の、暗黒の懐疑と煉獄の葛藤を癒(いや)し解放してくれる神の静寂を求めていた、と思う。


 カトリック禅の運動の意義を記しておきたい、以下に展開する内容とエピソードは、すべて、私の体験によるもので、今でもあるにはあるが、かつて、カトリック禅の運動は活発で、世界中から多くの人々が集結し、各自の内的世界を探求した、メンバーは相当に優秀で、通常の宗教グループとは格がちがっていた、だが、ちょっと品が良すぎたかもしれない、こういう運動は、ある時期に、しっかりと根を張っておく必要がある、愛宮神父亡き後、歳月の経過とともに立ち消えてしまいそうだ。

 当初から参加し、実に多くの収穫があった、特に、この道場には14畳ほどの図書室があり珠玉の名著・古典が山積、そこで、数年に渡り、ただただ読書に没頭する、それから、ちょっとはマシになったのかもしれない、また、こういった運動を展開できたのは、この国のふところの深さ、そう、祭政文化の賜物(たまもの)だと思う。

 この運動について、宗教人類学の古野清人先生は、
 「カトリックは そうやって 相手の長所と特質を取り入れ自分の武器にして成長してきた」
 「この運動もそのひとつと考えるべきであり この世界は君が考えているようなロマンチックなものではない」
 「その神父は そうとうな食わせ者だ カトリック教団の歴史・特にイエズス会の発展は 謀略と詐術に満ちており 近代・現代の暗黒史にリンクしている イエズス会には そういう大審問官みたいな怪物が出て来るもんだ 君も用心したほうがいい」
            
 これに対してユング心理学の秋山さと子は、
 「それでもいいんじゃあないの」
 「・・・」
 「この国の仏教界が どんなものかは あなたも知っているでしょう」
 「どうにも救われない情けない状態になっている あの連中よりも 有名私立中学のぼうやのほうが上ね」
 「あまやかされて育って 気力・体力そしてアタマがヒンジャク ニンゲンの顔をしているのがフシギなくらいなのよ」
 「・・・」
 「なにしろ 仏教学部の入学試験にパスできない それどころか夜学も落ちたんだって ゲタをはかせてタケウマにのせて それでもダメ ABCも読めない子もいるんじゃあないのかしら」
 秋山ブシがさく裂だ、
 「だったら この良き伝統を受け継いでくれるのは ダイカンゲイ(大歓迎)ね」

 秋山さんと古野さん、どちらの意見が正しかったのか、思えば、なんて楽しい先輩だったんだろう、火花を散らすような丁々発止の会話が成立している。