ウィグルの若者は、なぜ、この天安門を選んだのか、それは、この天安門が、中国のシンボル的場所であり、ニッポンの皇居・明治神宮…を合わせたような場所だからであろう。
大量のガソリンを搭載しての覚悟の決行、ソートーなインパクト、当局は、あっという間に、その痕跡を消した、
1949年、毛沢東は、天安門広場に集まった民衆に向かって中華人民共和国の建国を宣言、だから、今の政府にとって、ここは、「神聖な場所」
1989年6月、民主化を求める学生・労働者が集結、彼らを戦車でひき潰す、「天安門事件」
2001年、法輪功のメンバーの男女5人が、焼身自殺を図る。
このため、観光客の中に警官や私服警官を配置して警備にあたっていた、そこを、一台のクルマが突破、歩道に乗り上げ、数百メートル走行、そして、炎上、当局のメンツは丸ツブレ。
11月に第18期中央委員会が開かれるから、この事件は、政治的アッピールでもあるんだろう。