In this book ,
" This district was called the Hinomoto(Sunshine).
So people here are white in color and many people with blue eyes."
It is completely surprising sentence .
The district is in the Touhoku region , but this place seems to be called "Hinomoto".
And , it is said that there are many people with a white color and blue eyes .
It was a record of the latter half of the 16th century , well noted .
上の写真は東北の婦人、何十年も前のシロクロだが、肌の白さ、そして瞳の色の薄さが窺(うかが)われる、何度か取り上げたテーマだが、ちがった角度から迫ってみよう、それと外国の研究者のために記しておこう。
なお、この本は「人国記(じんこくき)」である。
さて、この青い瞳の人々は、何者であろうか。
彼らを考慮するとこの国の古代・中世が変わってこないか、日本の歴史、分かったようで分かっていない、明治以来、アタマのいい連中のマインド・コントロールが続いていたのか、なんのために、この国の支配グループの出自をカムフラジューするために・・・
だから、一部のグループには、もうひとつの日本史が伝達されていたのではあるまいか、比叡山には「ロイ」の制度があった、文書にすると危険な情報は口伝(くちつた)えにしたのだ、「口伝」の「口」をカタカナの「ロ」、「伝」のヘンをとり「イ」、つまり「ロイ」、この伝統は、もう無いだろう。
青い瞳の日本人を調査した山浦玄嗣博士は「突然変異説」、だがワタシは「移住説」、これだけは譲れない、移住なら、
1、どこから来たか
2、いつごろ来たか
失われたユダヤの10部族が、この列島に来たと主張する人がいるようだが、そもそもユダヤ人はセム語族、白人ではない、瞳が青いということはない。
旧石器からいたのかもしれない、アルプスの雷鳥は氷河時代の生き残り、だから、その可能性がないわけではない、しかし、劣性因子の青い瞳が出現するためには、かなりの人数が必要であろう。