佐賀の事を書き込んで、トイレに行ってから読み直してみると、明らかに書き込み過ぎであったと反省しているのが、投稿してしまったからには、もう消すことは出来ないので、追加で伝えておくことがある。
「消える」と「消される」の違いである。
小さな産地のお米は、年間通しての販売は出来ない。
その産地が、有名になればなるだけ、販売時期は短くになってしまう。
例を言えば今回紹介している、「島根県島の香り隠岐藻塩米コシヒカリ」であったり、「秋田県鹿角淡雪こまち」などである。
ゆっくりと販売していれば、年間通しての販売は出来たかもしれない。
しかし、テレビで紹介したことにより、販売時期は短くなってしまっている。
お米屋によっては、既に完売しているところもある。
売れた結果の「消える」なので、産地としてはプラスで考えている事だろう。
しかし消費地では、他産地のお米が、ブランド化を仕掛けている産地が、有り余っている。
確かに食べている時には、美味しいと感じていても、そのお米が売り切れてしまった事で食べられなくなり、結果として他産地を食べ続け、その産地の味に消費者が慣れてしまったときに、早々と消えたてしまった産地を、消費者はどの程度覚えてくれているのだろうか。
「高知県土佐天空の郷ヒノヒカリ」や「北海道砂川ゆめぴりか」のように、消費者に強烈に印象付け出来れば、新米として戻ってきても、消費者に受け入れられるだろうから大丈夫だろう。
しかし、何処にでもあるようなお米であったり、特徴が判りにくい産地などは、現実として、どうなんだろうか。
産地からすると「消える=良かった」と考えていたことが、消費者の記憶に残る事が出来なければ、消費者の頭の中からは「消される」という結果になるのだ。
そうなってしまうと、なかなか挽回することは難しくなる。
消費地では毎年、産地から新品種や新ブランド米が誕生しているので、常に話題は新しいものへと移っていく。
なので、一度「消された」産地は、もう消費地では必要としないかもしれない。
産地は「消される」とならないように、常に先へ進んでいかなければならないだろう。
「消える」と「消される」の違いである。
小さな産地のお米は、年間通しての販売は出来ない。
その産地が、有名になればなるだけ、販売時期は短くになってしまう。
例を言えば今回紹介している、「島根県島の香り隠岐藻塩米コシヒカリ」であったり、「秋田県鹿角淡雪こまち」などである。
ゆっくりと販売していれば、年間通しての販売は出来たかもしれない。
しかし、テレビで紹介したことにより、販売時期は短くなってしまっている。
お米屋によっては、既に完売しているところもある。
売れた結果の「消える」なので、産地としてはプラスで考えている事だろう。
しかし消費地では、他産地のお米が、ブランド化を仕掛けている産地が、有り余っている。
確かに食べている時には、美味しいと感じていても、そのお米が売り切れてしまった事で食べられなくなり、結果として他産地を食べ続け、その産地の味に消費者が慣れてしまったときに、早々と消えたてしまった産地を、消費者はどの程度覚えてくれているのだろうか。
「高知県土佐天空の郷ヒノヒカリ」や「北海道砂川ゆめぴりか」のように、消費者に強烈に印象付け出来れば、新米として戻ってきても、消費者に受け入れられるだろうから大丈夫だろう。
しかし、何処にでもあるようなお米であったり、特徴が判りにくい産地などは、現実として、どうなんだろうか。
産地からすると「消える=良かった」と考えていたことが、消費者の記憶に残る事が出来なければ、消費者の頭の中からは「消される」という結果になるのだ。
そうなってしまうと、なかなか挽回することは難しくなる。
消費地では毎年、産地から新品種や新ブランド米が誕生しているので、常に話題は新しいものへと移っていく。
なので、一度「消された」産地は、もう消費地では必要としないかもしれない。
産地は「消される」とならないように、常に先へ進んでいかなければならないだろう。