■「太白区中央老壮大学校せいかつ教養コース第4回」
■会場
9月8日、仙台市太白区中央市民センターで開催された「太白区中央老壮大学校せいかつ教養コース第4回」へ参加してきました。
この一年間、毎月1回のペースで開催され、今まで、「健康と音楽の効用」、「特殊詐欺防止のお話」、「元気でいるために」と3講座が終了し、今回が、第4回目の講座で、講師に徳照寺住職佐藤和丸氏による「前向きに生きるために」でした。
年間の予定が決まっていて、次回は、「陸上自衛隊仙台駐屯地」の館外学習、その後は、「実技ラジオ体操」、「音楽鑑賞コンサート」、「仙台真田物語~伊達家家臣となった真田幸村の子孫~」、来年の2月が最後の講座になり「コンサート」でした。
徳照寺住職佐藤和丸氏の講話は、残された人生の参考にしたいと思いながら興味津々な面持ちで拝聴してきました。
今まで、お坊さんの法話を聴く機会が殆どなく、葬儀や法事の時にたまに聞くと俗世界から切り離されたお話しのような気がして厳粛な気持ちで聴いていました。
佐藤和丸氏は、自ら言っていましたが、住職らしからぬ出で立ちで、髪が長いためか後ろに水色と赤色の紐で結んでいました。水色の紐は、檀家の小学生の子どもさんからプレゼントされたとかできりりと結んでいました。自称、イラストを用いた絵説法住職ということでした。
若い時に幼稚園の先生をしていたこともあってなのか、元々、絵が上手なのか、さらさらとイラストを描きながら講和する様子に時間の経つのも忘れる程でした。
1時間半の講和の中で、仏教、御釈迦様、戒名、法妙、位牌、帰人、鬼神、寺院、死、三途の川、共同墓地などいろいろなことをお話しになりましたが、話題が豊富でメモをとる手も追いつきませんでした。
特に印象に残ったのは、「縁」という話についてでした。
全てこの世は、「縁」で成り立っているということでした。裏を返せば、「縁」という瞬間の積み重ね、条件が重なって今がある。今から先のことは分からない。今が「縁」そのものである。ということでした。
深く考えすぎると頭が痛くなるような気がしましたが、何となく分かるような気がするのが不思議でした。
最後にお話ししたことは、2001年2月の朝日新聞に投稿された91歳の男性の言葉についてでした。
「人間に生れて、人間が分からない。人間に生れて、人間を持て余す。歳を取って、ただ、寂しさだけが増すばかり。」
住職の解釈では、
「これは、生活に恵まれた方が幸せの中にすきま風を感じた投稿なのではないか。」
「人間に生れて、人間が分からない。」は、「今の自分に満足していない。いつも上向き、前向き。自分が自分であることに、理想の自分にならないことに満足しない。夢を描いても一つになれない。」
「人間に生れて、人間を持て余す。」は、「何をどうして良いか分からない。忙しいと充実感が無い。母親の気持ちとしては、子育ての時は忙しかったが、あれは充実感だったのだろうか。と思う事に似ている。」
「歳を取って、ただ、寂しさだけが増すばかり。」は、「光があたると初めて影が分かる。老人に光があたっていると老人が分かった。教えに諭されて何かを感じて些細なことに気がついてくる。」
書きなぐったメモなので、正直、自信はありませんが、だいたいこのようなお話だったと思いました。
私自身、今一度、91歳の老人の言葉を自分なりに解釈してみたいと思っています。
これからの限られた人生を「前向きに生きるために」も大いに参考になるのではと思っています。