いい医者 いい患者 いい老後
「いのち」を見つめるふたり旅 永六輔・内藤いづみ、共著
久し振りの読書でした……この本からの、抜粋
永 …… 一番の関心事は認知症なんだけど、
昔はボケっていっていました。ボケじゃダメなのかしら?
内藤 … やっぱり医学博士達の陰謀でしょうか。
永 …… だけど、認知症というのは、認知できる症状ですよ。
何度もいっているけど、どうしても納得できないの。
内藤 … そうですね。非認知症じゃないとおかしいですよね。
永 …… 理屈からいってもおかしいですよね。
内藤 … でも、認知って言葉、なんだかそれは、ボケたというのをこうオブラートで
包んで隠してみたいな感じがあって……。
認知症の数は全国で百五十万とも二百万人ともいわれています。
私としては認知症と呼ぼうが、ボケと呼ぼうがあまり変わりがないように感じます。
永 …… 最初に忘れないうちに、沖縄県と青森県・津軽の話をします。
沖縄県では「カジマヤー」という式次第があって、おじいちゃんやおばあちゃんが、
ちょっと怪しくなって、ボケてきたなぁと感じると、小さな風車をもたせて、
村中、町中を回るそうです。
そうすると村の人がみんなで「あ、あそこのおばあちゃんボケたんだから、
ちょっと手伝おう」ってなるわけです。それが沖縄県。
津軽は二度童子と、いって二度目、また赤ちゃんになりました。
童子って赤ちゃんよね。
だから、町の人も家族もみんなで赤ちゃんの扱いをしてあげる。
そういう優しさがあったんです。そういう風習はいいなと思いますね。
でも、両方とも、沖縄県も津軽も人権無視と言われ人権問題で禁止されたんです。
内藤 … そういう呼称も使っちゃいけないんですか?
永 …… 使っちゃいけないそうです。考え方の違いでしょうね。
本当にボケてきたおじいちゃん、おばあちゃんをみんなで介護する優しさとか、
あったかさが本当は必要だと思うんです。
“ボケ”という言葉は自然に使っていた……思い返せば、私も回りも、使っていた!
友達とはふざけて、「私、“まだらボケ”だから…」とか、
「貴女、“まだらボケ”じゃないっ」など、随分言っていたなぁ~~
だけど、嫌な感じは全然なかった…尤も、親しくなければ、言えないかも……
ちょっと、考えちゃう言葉でした。
小川糸さんの「ペンギンの台所」は、読んでいて、思わずホッとする内容でした。
食べ物への思いとか、考え方に、同じものがあって、私は好きです♪