のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

皇帝ダリアと落ち葉

2014-11-11 15:20:12 | 日記

 法要の日は雨だったけれど、帰ってきて翌朝目覚めてみると、快晴の日和だった。

 もう皇帝ダリアが花を開いているに違いない!

 そう思った私は、ラジオ体操には間に合わなかったけれど、中津公園に行ってみた。

 

 公園の入り口で毎年上品な花を咲かせる山茶花が、朝陽を浴びて、眩しげに花を開いていた。

                    

 

 

 雌株の銀杏は黄色く色づき、葉やギンナンを落とし始めている。

            

 

 

 皇帝ダリアは、やっぱり花を開いていた!

    

 

 

 桜の木は、その根元に、いっぱい葉っぱを落としている。

           

  

              

 

 

 ケヤキ並木の路は、朝日を受けて、光と影のコントラストが鮮やかだった。

                    

 

           

 

 

 帰り道の歩道の影が面白くて、又シャッターを押してしまった。

                      

  

          

                      


法要で大田へ (2)“湯元旅館”~法要~帰途

2014-11-11 14:07:26 | 日記

 私たちが今回泊まった『湯元旅館』は、三瓶温泉の源泉に最も近い、鄙びた温泉宿だった。

 かつては、この一帯にも沢山の温泉宿があったらしいが、交通の便がイマイチだったりして、湯元旅館以外は廃業を余儀なくされたようだ。

 湯元旅館は、きれいさや便利さから言うと、お世辞にも良しとは言い難かったが、温泉はとっても気持ちがよかった。

 それに、私が何より感動したのは、料理の美味しさだ!

 野菜はすべて自家製の無農薬だと、おかみさんが胸を張って言われるだけあって、どの野菜もそれが本来持っている濃厚な生命力に溢れた味で、とて

も美味しかった。 (私はこんな味の濃い野菜は、久しく食べていないような気がした。)

 味付けも薄味なのに旨みに溢れていて、どの料理も、本当に美味しかった!

 下は夕食の一部。(沢山あり過ぎて写しきれなかったし、一見平凡な料理に見えるけれど‥。)

                    

 

 翌日の朝食も又、とても美味だった。

 私は長いこと卵かけご飯などというものを食したことがなかったが、お米(ご飯)と卵(烏骨鶏)の美味しさにつられて、久しぶりに卵かけご飯なるものを

食べた。 (メッチャ美味しかった!)

 お味噌汁もお漬物もホウレンソウのおひたしも焼いた鯵も‥どれもどれも、生きた素材の味がした。

 こんな食事をしていると、体の中からキレイに健康になり、生きる力が湧いてくるような気がした。

 

 この宿で、私がもう一つ感じたのは、自然の中に身を置くことの素晴らしさだ。

 都会のマンション暮らしで私は、いつも人工的な音や光に取り巻かれて生きている。

 この日、夜中の3時くらいに目覚めた私は、久しぶりに静けさの中で降る雨の音を聞いた。

 (マンションは気密性が高く、少々の雨の音など、全く聞こえない。)

 昔ながらの日本布団に包まれて、雨の音を聞きながら横たわっているのは、とても幸せな気分だった。

 

 


 

 

 

 今回の法要には、上から2番目の姉が体調イマイチで参加できなかったが、あとの姉妹は、その旦那・(一部の)子どもも含めて可能なかぎり参列した。

 姉妹の中で一番下の私が、もう70歳。

 なので、姉たちは、当然のことながら、更に高齢だ。

 実年齢と健康とは、必ずしも一致しないけれど、もしかしたらこのように集まれるのは、今回が最後になるかも知れないという思いが、誰の心にもあっ

た。

 その中でも今一番心配なのが、お義姉さんの健康状態だ。

 足が悪く、歩くのも苦労されている。

 その上、耳が悪いので、意志の疎通がとても困難だ。

 そんな状態の中で、今回の法要を一人で準備されたのは、さぞかし大変なことだったろうと、遅まきながら思い、これからのことが心配になった。

 義姉には二人の娘がいるけれど、二人とも東京暮らし。

 今は、大好きな猫2匹(ゴン太と茶太郎)といっしょに暮らされている。

 お義姉さんは、いつも、この2匹を見送ってやらないと死ねない、とおっしゃっている。

 どうか、2匹の猫とお義姉さんの平穏な生活が、できるだけ長く続きますように!(私には、祈ることしかできない)

 

 (そのゴン太と茶太郎は、私たちが行ったとき、お義姉さんのベッドで、仲良く並んで横たわっていた。 でも、茶太郎の方は、何処へともなく姿を隠してし

  まった。なので、ゴン太くんの写真だけ載せておきます。 ゴン太くん、どうかお義姉さんをヨロシクね。) 

                           

 

 


 

 

 

 法要が終わった後は、場所を変えて、皆で食事した。

 そして、姉夫婦と私は、その日のうちに大阪に帰るべく、2時過ぎには席を辞した。

 (同じくその日のうちに東京に帰る姪一人といっしょに。)

 私たちはタクシーで大田市駅に向かった。

 

 次は、駅のホームから撮った写真。

 その日は雨がずっと降り続いていて、周りは靄がかかったように霞んでいた。

                    

                    

    

 

 飛行機で東京に帰る姪とは出雲で別れ、私たち3人は、行きと同じコースで帰阪した。

                    

                            

 

                    


法要で大田へ (1) 1日目…初めての≪三瓶山≫

2014-11-11 11:47:43 | 日記

 11月9日は、長兄の七回会(浄土真宗では「忌」を使わずに「会」と言う)と母の23回会の法要が、亡き兄が住んでいた島根・大田の家で行われること

になっていた。

 

 私は法要の前日(Tさんのお通夜に参列した翌日)の朝早く、姉夫婦と一緒に、新大阪を出発、伯備線・山陰線を乗り継いで、島根・大田に向かった。

 (法要は、9日の10時半から始まるので、当日出発したのでは間に合わないから‥)

 私たち姉妹は、島根県の出身なのに、島根の最高峰(と言っても、1100メートルちょっとだけれど)の三瓶山には、まだ行ったことがなかった。

 なので、この機会に、できるだけ早く大田に着いて、初めての三瓶山を楽しみたいと思ったのだ。

 

 しかし、山陰・大田への交通は不便で、朝7時35分の新幹線で出発したのに、大田市駅に着いたのは、午後1時を過ぎていた。

 昼食を車中で済ませていた私たちは、観光案内所の方の助言を受け、大田市駅からタクシーで、早速三瓶山巡りに出発した。

 

 三瓶山は、大田市駅から車で30分は掛かるそうだ。

 大田市駅を出発して20分くらいのところにある『さひめ湖(三瓶ダム)』で、やっと三瓶山がチラッとその姿を現した。

 

                                    さひめ湖の噴水

                   

                        

 

 

 わずかに顔を覗かせた三瓶山の山頂。

                          

                   

 

 

 噴水とは別の、さひめ湖の情景。

                           

                    

 

 

 タクシーはさひめ湖を後にして、三瓶山に向かった。

 途中の紅葉。(三瓶山の紅葉は、山頂ではもうその盛りを過ぎていて、麓はまだまだだった。)

                    

 

                

 

 

 三瓶山の麓に到着。

 草紅葉(と言うにはちょっと早いが)を前景に、三瓶山はどっしりと座していた。

 あまり高くはないけれど、山にはやはり威厳のようなものがある!

                

 上の写真は、左が『男三瓶(おさんべ)』で、右が『女三瓶(めさんべ)』。 (他に、『子三瓶』や『孫三瓶』もあるそうだ。)

 

                           

                  

 

 

 車はさらに進んで、『浮布池』に着いた。

 浮布池を前景にした三瓶山。

                    

    

              

                  

 

 

 麓の道をぐるりと回っていくと、三瓶山は、今度はススキの衣装をまとった姿で現れた。

                   

                     

 

                   

 

                   

 

 

 更に回って、三瓶に上る観光リフトが設置された場所に到着した。

 リフトに乗って三瓶に上ってみたかったが、今回はその時間が無い。

 その場所から振り返って見た、三瓶の反対側の山並み。

                   

 

 そこで三瓶の麓巡りは終わり、車は、その夜の宿・『湯元旅館』へと向かった。