畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

地方分権とは・・・

2009-11-04 20:32:00 | 政治・経済
 地図帳を手にとって県の人口を調べて、「あれっ・・・」と思ったのが、鳥取県の人口。いつのまにやら60万人を割っていて、59万人。東京都世田谷区の人口が70万人超、足立区が60万人超で、それよりも低い。日本で一番人口が多い(東京特別区を除く)横浜市がおよそ300万人とすると1/5の人口規模。鳥取県の年間歳入を見ると2007年度ベースでおよそ3500億円。人口およそ130万人の神奈川県川崎市の年間歳入が2006年度ベースで5300億円、とびっくりした。日本の過疎化はここまで進行しているのかと、ちょっと愕然とする。
 こうなると、郵政民営化とか、整備新幹線の建設などの国政諸問題も、東京を中心とする大都市圏の市民と、その他地域の市民でその問題の捉え方は大きく違うと言えるだろう。

 私は昔、それこそ中学高校時代。公民でにわかに「一票の格差」を勉強した私は、これを解決するには「鳥取県と島根県の合併」が最良の解決案と思っていた。
 がしかし、それは能登のことを調べ愛するに至って認識が変わった。能登地域は人口およそ20万人でなおも減少中。県議会の議席配分でも減少が続いている。石川県で人口が増加しているのは、金沢市周辺などの一部でしかない。このままなら、大都市に何もかもが集中してしまう。
 一般道や高速道路の整備も、整備新幹線も、福祉政策も、子育て支援も、そして文化財の整備でさえも・・・。

 能登は、すでに七尾市や珠洲市など一地方公共団体で過疎化の状況を止めるのは不可能に近い状況である。であるならば、市町村を広域連合させて一体化して、能登全体で対策を講じないと、抜本的な解決が図れないのではないのか。これは、石川県からの能登の独立であり、能登の反乱である。「能登県」の誕生。それは、「加賀100万石」の名の下に、加賀・能登・越中の中で、加賀だけが税収を吸収して大きくなった時代に終止符を。富山県は「独立」したおかげで現在は金沢の影響を脱することができたのではないか。

 人口規模20万人の県の存在。かつて1871年に廃藩置県が行われたときは、県が300以上もあったという。すくなくとも、政治・経済・文化を基準に100ほどの都道府県に分割する。その上で、日本全国を県を10のグループにまとめた道州制を導入する。道州には思い切った権限の移譲を行い地方分権の活性化を図る。道州制にはかなりの国民が反発を持っている。生活に密着する市や都道府県の合併が、そうカンタンに受け入れられるはずはない。しかし、多大な権力を与えるには相当な規模の自治体ではなければならない。住民の反発と行政サービスの停滞を防ぎ、且つ大規模で大胆な地方分権の担い先になりうる自治体。それは、

全国2000規模の市区町村→全国100規模の都道府県→全国10規模の道州

という三層構造がベストなのではないかという結論に、私なりに達した。ただし、この三層構造にも多分に問題がある。一番の問題は、道州への市民の関心の薄さになるだろう。EUが恒例で、EU議会選挙やEU大統領選挙には、各国の関心が集まらないのと似ている気がする。また、大都市圏の人口規模が大きな政令指定都市をどう分割するかという問題もある。東京23区は人口800万人であり分割?東京都多摩地区(400万人)、神奈川県横浜市(300万人)、神奈川県川崎市(130万人)と、非常に距離的に近い自治体を分割すると、都市圏だけで都道府県が乱立されてしまう。う~ん。