畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

『センゴク天正記』第7巻より

2009-11-29 17:22:00 | 歴史

 講談社から発売されている『センゴク天正記』(ヤンマガKC)第7巻(2009年11月6日発売)に能登畠山家のストーリが掲載されている。「VOL.69七尾城」で、能登畠山家の人物で登場するのは、畠山義綱の他、畠山義春、畠山義慶、畠山春王丸、遊佐続光、長続連である。ストーリ部分はやはりと言うか、上杉謙信の七尾城侵攻にかかる部分である。上杉の能登侵攻に関わるゆえ、永禄九年の政変の事実が過去のエピソードとして触れられている。ただ、畠山義綱は凡庸な人物として描かれているし、作中で勝手に「1576(天正4)年に入水自殺」とされてしまっている。「センゴク」は全国にファンも多いので、ここで史実の「畠山義綱」が誤解されてしまうのではないかと危惧をしてしまう。所詮全国レベルだとこの扱いか…幻滅。畠山義春が義綱の弟として義綱と行動を共にして登場するが、すでに1571(元亀2)年に上条家に養子入りしており、謙信の下で軍役を負担し数々の戦争に参加しているので、漫画はこの時点で史実を反映していない。参考文献を見る限り能登畠山氏の専門書は見当たらず、江戸期に長家の子孫によって作成された軍紀物の書物である『長家家譜』などで描かれている長家中心史観で、ストーリーが構成されているのが残念である。ただ、畠山義慶・春王丸と遊佐続光の描き方はなかなかよいと思われる。畠山義慶が遊佐続光に暗殺される時、義慶は死の直前に長続連を呼び出しこういう台詞を作中で述べている。「遊佐と争うてはならぬ…いま内紛を起こさば、上杉織田いずれかに城を撮られよう。遊佐は奴なりに、七尾城を守ろうとした・・・・が故・・・・父義綱や私ではこの城を守りきれぬ・・・・そう決断したのであろう。我が息子を…頼む。」遊佐続光は上杉と内通して七尾城を開城するが、その後、織田と内通して七尾城を占拠している。遊佐続光の思考を的確に捉えていると言えるであろう。しかし、この作品によりまた、畠山義綱の間違ったイメージが定着してしまわないか不安である。