今回ご紹介する城跡は富山県砺波市にある増山城。知っていますか?神保長職が富山城から逃れて籠もった城で、1562(永禄5)年から神保長職が、畠山義綱を仲介にして講和し、本拠地としてしていた地でもあります。地味ではありますが、実は2009(平成21)年に国指定史跡となって整備が進みました。そこで今回の訪問となりました。今回も歴友の武藤氏と共に出陣です。
写真に写る増山大橋を渡り登山口に行きます。この大きな橋は戦国時代の当時からあったわけでなく、和田川ダムができたことによってできた池です。
地図を見ると、「七曲り」という場所を通って城に入る・・・ハズなのですが、あるはずの駐車場が見当たりません。よく調べてみると、増山城の駐車場は和田川ダムの管理棟がある付近にあるようです。徒歩でなければここには来ないかもしれません。さらに後で知った事なのですが、この橋を渡る前の土地が増山城の城下町だったようです。土塁跡もあったようで、写真を撮っておけばよかった・・・。
国指定史跡となったことで、城跡を訪れるためにわかりやすい駐車場と案内施設ができました。
「増山城陣屋」は8:30~17:00まで開館しており、中には誰もいませんがパンフレットやパネルで増山城のことを学習できます。
増山城陣屋にあったパネルの1つです。この写真を見ると増山城の全体図がよくわかります。その規模は1000m×900mとかなりの大きさを誇ります。松倉城(魚津市)と守山城(高岡市)と合わせて「越中三大山城」と呼ばれているそうです。
発掘出土品が砺波市埋蔵文化財センターに展示されているようですが、訪れたこの日は11月5日(月)で月曜日休館でした。残念。
和田川ダム管理棟を超えて、右手は池、左手はダムのための相当の高低差がある川となっています。そこを過ぎればすぐに増山城の入口です。
現在の位置はここ。
遊歩道を通って城へ向かいますが、さすが国指定史跡(七尾城も国指定史跡なのですが・・・)、こんな粋な計らいの案内があります。
大喜利の司会でお馴染みの春風亭昇太。実は大の城好きとしても有名で、全国の城イベントなどでも引っ張りだことなっているらしい。その影響は増山城にも届いており、スマホがあれば、Youtubeを使って春風亭昇太の説明を聞きながら訪問することができます。私もその説明を聞きながら登城しましたが、時に片手にスマホを持ちながらだと、危ない箇所もありますので気をつけてください。また、場所によって説明が分かれているのですが、次にどこの説明をされているのかわかり辛いのが難点。城のパンフレットは必須(陣屋にあります)です。ちなみにこんな粋なアナウンスは七尾城にはありません。同じ国指定史跡同士なのに・・・。
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