増山城訪問記~その3~
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前回は、「又兵衛清水」まで行き、石垣をチェックしました。
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石垣の東に登った所にある「一ノ丸」に来ました。一ノ丸から見える景色がこちらです。
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ここから増山城の城下町と言われていた場所が見渡せます。一ノ丸という割には大手道からすぐ辿り着けるところにあり、また郭の平地面積も多くない。つまり、一ノ丸とは後世に名付けられたもので、その場所からして本丸ではなかったと考えられる。むしろ、この先に本丸と思われる二ノ丸を守る副郭であったと思われる。
次は一ノ丸から二ノ丸に至る通路を見てもらいたい。
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かなりの高低差がある。
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その高低差を登っていくと周囲は門跡のような土塁がある。隅櫓のセットになった虎口になっている。
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二ノ丸と言われる郭は、城内の一番高い場所にあり、かなりの平地がある。そしてこの郭を囲むように一ノ丸や三ノ丸があることから、ここが主郭=本丸だと現在は想定されている。
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郭内は広く、ベンチもある。上の写真の左上の部分が盛り上がっているが、これは鐘楼堂跡と言われている。
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時を知らたり、非常時の合図とする鐘を鳴らしたのであろう。もしくはかなりの高い位置にあることから隅櫓のような役割があったのかもしれない。写真では、鐘楼のミニチュアがあり、鳴らすと、とてもカワイイ鐘の音が鳴り響く。
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この鐘楼堂跡から城内最大の高低差の堀切を挟んで安室屋敷(あじちやしき)がある。写真で見ると高低差は伝わり辛いものがあるが、階段がかかっていることにより、その高低差を感じてもらえると思う。私も落ちるのではないかと怖くなった。
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本丸である「二ノ丸」にある神水鉢。その近くにある看板には「自然石に穴をうがった石鉢。旱天期でも水は決してかれることがないといわれている。神保城主はこの水におとす月影で時刻を知ったとされている。」とあるが、Youtubeで春風亭昇太が、どこからの礎石を持ってきたものである。と解説していた。用途はイマイチわからないらしい。
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二ノ丸から南に伸びる尾根を改造したのがこの「無常」と呼ばれる場所。地名の由来は「実城(みじょう)」からとの説がある。名前が物騒なのだが、その割にそれほど広くなく縦に長い出城のような場所。この下の斜面には岩盤を掘込んで作った畝状竪堀群があるというが、それらしきものは木で見えなかった。
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本丸である二ノ丸横通って馬洗池へ行く途中の写真。かなりの高低差でここがかなりの規模の山城であることがわかる。
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ここは二ノ丸鐘楼堂から東に行った場所。馬洗池と呼ばれる場所。看板の後ろが馬洗池である。草が生えていて池になっている様子がわからないが、地面はかなり湿っている。池・・・というほどではないが、豊富な湧水があり、確かに城内の飲料水の確保には適していると思われた。
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この両面を斜面で囲まれている場所・・・
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このハシゴのような階段には見覚えが・・・。そう本丸である二ノ丸鐘楼堂から見えた、安室屋敷(あじちやしき)に通じる階段です。戦国時代は二ノ丸から安室屋敷まで木橋でも架けられていたと思いますが、この高低差はなかなか怖いですね。では階段を登ります。
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以外と広い平坦面。ちなみに「安室屋敷」の「安室(あじち)」とは、「家督を嫡子に譲って隠居した人の住居」を意味するらしいです。1570(元亀元)年あたりには神保長職は嫡子の神保長城に家督を譲ったと言われているので、こちらの郭に移ったのでしょうか?増山城は山城と言っても、城下町まで距離が近く、ひょっとしたら本当に隠居した神保長職がいた可能性もあるかもしれません。
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「安室屋敷」を降りて、馬洗池の看板近くまで戻ります。写真右下が馬洗池の看板。左の道に行くと「神保夫人入水井戸」。手前に戻ると「安室屋敷」。そして先に進む土塁の上にあるのが「三ノ丸」。
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三ノ丸は64m×70mとかなりの広さがある。別名「オオヤシキ」とも呼ばれている。きっと「大屋敷」という語源からかなりの兵力で守られた郭なのであろう。二ノ丸と安室屋敷の東側を守る重要な位置にあり、亀山城の方から攻め上がろうとすると、この三ノ丸と安室屋敷の空堀切でかなりの攻撃を食らうことになりそうだ。
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さて次は「神保夫人入水井戸」・・・だが、距離は535m。御所山屋敷→足軽屋敷→長尾山の山頂→池ノ平等屋敷を経て神保夫人入水井戸へと至るが、武藤さんの提案で「かなり遠い距離になるので止めておきましょう」ということに。この写真からだと手前に戻り、本丸(二ノ丸)と安室屋敷を挟む堀切を通り、又兵衛清水付近の石垣を通り、一ノ丸下の場所へ。
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この道は「七曲り」へと続く。最初に私と武藤さんが迷ってたどり着いた入口である。城下町跡からはこの七曲りを通ると増山城へ近道できる。
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この道からは一ノ丸にすぐに行ける階段があるのだが、道が危険であるためという理由で閉鎖されている。高低差はあるがすごい危険だとは思えない。きっと国指定史跡になるにあたり、一般の観光客の道通りを考えてのことだろうか。
かなりの巨大な山城であり、亀山城までを含んだら見学するのに3時間はかかりそうだ。しかし、私が辿った今回のルートならば1時間半くらいで回れる。
理想のルートは、「増山城陣屋」でパネルを見学しパンフレットをもらい事前学習し、増山城に登る。そしてその後、砺波市埋蔵文化財センターで深く学習するのがお勧めである。
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前回は、「又兵衛清水」まで行き、石垣をチェックしました。
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石垣の東に登った所にある「一ノ丸」に来ました。一ノ丸から見える景色がこちらです。
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ここから増山城の城下町と言われていた場所が見渡せます。一ノ丸という割には大手道からすぐ辿り着けるところにあり、また郭の平地面積も多くない。つまり、一ノ丸とは後世に名付けられたもので、その場所からして本丸ではなかったと考えられる。むしろ、この先に本丸と思われる二ノ丸を守る副郭であったと思われる。
次は一ノ丸から二ノ丸に至る通路を見てもらいたい。
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かなりの高低差がある。
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その高低差を登っていくと周囲は門跡のような土塁がある。隅櫓のセットになった虎口になっている。
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二ノ丸と言われる郭は、城内の一番高い場所にあり、かなりの平地がある。そしてこの郭を囲むように一ノ丸や三ノ丸があることから、ここが主郭=本丸だと現在は想定されている。
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郭内は広く、ベンチもある。上の写真の左上の部分が盛り上がっているが、これは鐘楼堂跡と言われている。
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時を知らたり、非常時の合図とする鐘を鳴らしたのであろう。もしくはかなりの高い位置にあることから隅櫓のような役割があったのかもしれない。写真では、鐘楼のミニチュアがあり、鳴らすと、とてもカワイイ鐘の音が鳴り響く。
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この鐘楼堂跡から城内最大の高低差の堀切を挟んで安室屋敷(あじちやしき)がある。写真で見ると高低差は伝わり辛いものがあるが、階段がかかっていることにより、その高低差を感じてもらえると思う。私も落ちるのではないかと怖くなった。
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本丸である「二ノ丸」にある神水鉢。その近くにある看板には「自然石に穴をうがった石鉢。旱天期でも水は決してかれることがないといわれている。神保城主はこの水におとす月影で時刻を知ったとされている。」とあるが、Youtubeで春風亭昇太が、どこからの礎石を持ってきたものである。と解説していた。用途はイマイチわからないらしい。
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二ノ丸から南に伸びる尾根を改造したのがこの「無常」と呼ばれる場所。地名の由来は「実城(みじょう)」からとの説がある。名前が物騒なのだが、その割にそれほど広くなく縦に長い出城のような場所。この下の斜面には岩盤を掘込んで作った畝状竪堀群があるというが、それらしきものは木で見えなかった。
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本丸である二ノ丸横通って馬洗池へ行く途中の写真。かなりの高低差でここがかなりの規模の山城であることがわかる。
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ここは二ノ丸鐘楼堂から東に行った場所。馬洗池と呼ばれる場所。看板の後ろが馬洗池である。草が生えていて池になっている様子がわからないが、地面はかなり湿っている。池・・・というほどではないが、豊富な湧水があり、確かに城内の飲料水の確保には適していると思われた。
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この両面を斜面で囲まれている場所・・・
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このハシゴのような階段には見覚えが・・・。そう本丸である二ノ丸鐘楼堂から見えた、安室屋敷(あじちやしき)に通じる階段です。戦国時代は二ノ丸から安室屋敷まで木橋でも架けられていたと思いますが、この高低差はなかなか怖いですね。では階段を登ります。
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以外と広い平坦面。ちなみに「安室屋敷」の「安室(あじち)」とは、「家督を嫡子に譲って隠居した人の住居」を意味するらしいです。1570(元亀元)年あたりには神保長職は嫡子の神保長城に家督を譲ったと言われているので、こちらの郭に移ったのでしょうか?増山城は山城と言っても、城下町まで距離が近く、ひょっとしたら本当に隠居した神保長職がいた可能性もあるかもしれません。
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「安室屋敷」を降りて、馬洗池の看板近くまで戻ります。写真右下が馬洗池の看板。左の道に行くと「神保夫人入水井戸」。手前に戻ると「安室屋敷」。そして先に進む土塁の上にあるのが「三ノ丸」。
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三ノ丸は64m×70mとかなりの広さがある。別名「オオヤシキ」とも呼ばれている。きっと「大屋敷」という語源からかなりの兵力で守られた郭なのであろう。二ノ丸と安室屋敷の東側を守る重要な位置にあり、亀山城の方から攻め上がろうとすると、この三ノ丸と安室屋敷の空堀切でかなりの攻撃を食らうことになりそうだ。
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この道は「七曲り」へと続く。最初に私と武藤さんが迷ってたどり着いた入口である。城下町跡からはこの七曲りを通ると増山城へ近道できる。
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この道からは一ノ丸にすぐに行ける階段があるのだが、道が危険であるためという理由で閉鎖されている。高低差はあるがすごい危険だとは思えない。きっと国指定史跡になるにあたり、一般の観光客の道通りを考えてのことだろうか。
かなりの巨大な山城であり、亀山城までを含んだら見学するのに3時間はかかりそうだ。しかし、私が辿った今回のルートならば1時間半くらいで回れる。
理想のルートは、「増山城陣屋」でパネルを見学しパンフレットをもらい事前学習し、増山城に登る。そしてその後、砺波市埋蔵文化財センターで深く学習するのがお勧めである。