ぬえの能楽通信blog

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翁付き『賀茂』素働(その2)

2006-01-18 00:29:16 | 能楽
常のように『翁』を上演し終えると、囃子方はいったん床几を下りてクツロギます。すぐに小鼓のうち『翁』に限って登場していた「脇鼓」二人は橋掛りを通って幕へ引き、狂言方の後見は切戸へ引きます。シテ方の後見も面箱も持ってこれに続き、囃子方の後方に座っていた地謡は常の能の地謡座に座を移します。これによって囃子方と地謡は、服装は『翁』の時のまま烏帽子・素袍の姿ながら、常の能を上演する準備が整います。

やがて後見が『賀茂』の作物(矢立台)を正先に持ち出し、いよいよ『賀茂』の能が始まり、まずワキが登場するのですが、このワキの登場の演出も「翁付き」の場合は常とは異なります。脇能の場合は常は「真之次第(五段次第ともいう)」が笛・大小鼓によって奏されますが、「翁付き」の場合はまず小鼓だけが床几に掛け、笛と小鼓だけにより「礼脇」という特別の囃子が演奏されます。

まず笛が短い譜を吹き、それに続いて小鼓が短い手を打ち、これを交互に続けてから笛と小鼓が合奏するあたりにワキが幕を揚げて三之松に出、脇能に特有の袖さばきがあって、それから舞台に向かいます。ワキツレもそれに続きます。ワキは笛と鼓の譜を聞きながら、それが終わるところを見計らって舞台常座に止まり(ワキツレは橋掛りに控え)、袖をさばいて下に居、両手をついて正面に礼をします。ここで大鼓も打ち出し、常の「真之次第」の最後の部分、「早メ頭」と呼ばれる部分となり、ワキも立ち上がって、以下「真之次第」の型にて袖をさばき脇座の方へ行き、舞台に入ったワキツレと向き合って「清き水上尋ねてや」と「次第」の謡を謡い出します。地謡の「地取り」も脇能の通例の通り「三遍返シ」で謡います。

『翁』に引き続いて上演される「翁付き」の脇能では、『翁』には登場しなかったワキが舞台に登場する際に『翁』に準じて正面に拝をする、というのが「礼脇」の意義でしょう。このように笛と小鼓だけで演奏する、能の冒頭のワキの登に対して奏される囃子を総称して「音取置鼓」(ねとりおきつづみ)と呼び、「礼脇」のほかにもいろいろな種類があります。主に重い習いの曲の時に演奏され、『三輪』の「白式」などや老女物に奏される「鬘置鼓」(と楽屋では呼び慣わしていますが、笛方は「鬘の音取」と呼びます)、『朝長』「懺法」の「修羅置鼓」、観世流小鼓の場合に『道成寺』で必ず奏される「見掛けの置鼓」などがあります。

なお、脇能の中にはワキが「真之次第」で登場しない曲があります。観世流では『道明寺』がそれで、この曲は脇能でありながらワキは大臣ではなく僧ワキ、というとても特徴的な曲で、登場も「真之次第」ではなく、普通の「次第」となります。そのため「礼脇」の囃子も型もできません。それが理由、というよりはおそらく僧ワキで仏教を根底に据える この曲独特のテーマそのものが最大の原因でしょうが、『道明寺』は「翁付き」にはしません。

さて『賀茂』に話を戻して、「次第」「名宣」「道行」と常の能の通りに進行してワキ一同が座に着くと、シテの登場音楽である「真之一声」が奏されて、前シテと前ツレが橋掛りに登場します。

。。ここまで常の『賀茂』と異なる点が多い「翁付き」で、ぬえもその解説に紙幅を費やしてきたのですが、じつは前シテの登場から中入までは常の『賀茂』と比べて異なる点はまったくないのです。(ーー;) ときに小書のついた能でも、舞のほかは一切、小書がない場合と変わらない、という事もあるのですが、この『賀茂』の場合は、「素働」の小書によっても、「翁付き」という極端に正格な演式によってさえも、まったく前シテに変化が生じない、というのは面白い事です。

しかしながら今回は前シテ・前ツレとも唐織着流しの姿のところを、二人ともに右肩を脱いだ「脱ぎ下げ」という装束の着け方で登場し、中入は橋掛り幕際で正へヒラいて地謡のうちに幕に入り、ツレは地謡前の居座から立ち上がってそこで来序を踏んで中入していました。後者の演出はたしか師匠のご先代が戦後に工夫された型を踏襲されたものだと思いますが、前者、脱ぎ下げ、というのは少なくとも ぬえは知りませんので(楽屋でそのように着付けるよう後見に指示しておられるのを見てビックリしました)、おそらく師匠の工夫なのではないか、と思いますが。。(真偽は不明。。)