ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

翁付き『賀茂』素働(おまけ) 別火について

2006-01-25 02:27:54 | 能楽
新年の大きな催しを無事に終えて、昨夜は若手能楽師を中心として新年会を催しました。もちろん幹事は騒ぐ事が好きな ぬえ! シテ方3人、囃子方4人、狂言方4人。。というなんだか珍しいメンバーになりましたが、国立能楽堂の近所で終電まで騒いでおりましたー。

かつては能楽師の恒例の忘年会、というものが○祥寺で毎年行われていまして(参加者はその近在の方が中心)、ぬえも何度か参加させて頂いていましたが、いつのまにかその忘年会もなくなってしまって。。まあ、メンバーは大先輩ばかりで、某流宗家もおられたし、メンバーの中から人間国宝も生まれたので、多忙のためになくなっちゃったのかなあ。。 それで、このたび「そろそろ我々の年代で恒例の忘年会を企画しようじゃないか」という声があがって、仲良しの能楽師に声を掛けたところ、忘年会は都合が合わなかったが新年会なら、と話がまとまりました。ぬえも新年に千歳のお役を控えていたので、ちょっと忘年会ではね。。

さて新年会という話題からこの話題に移るのは不謹慎ではありますが。(--;)

『翁』では「別火(べっか)」という事があります。『翁』を勤める前には食事や風呂などのための火を家人とは別に熾して、一定期間 精進潔斎をする、というものです。現今ではあまり守られていないように思いますし、これは本来シテひとりが行うのでしょうが、気持ちとしては出演者全員が行うべきものでしょう。ぬえは初めて千歳のお役を頂いた時は書生でしたが、その時は1週間「別火」をしてみました。これが意外に難しい。。というか、現代では本当の意味の「別火」はほぼ不可能だと思い知りました。

もちろん総菜なんかを買ってきて食べるのは論外としても、米を買ってきたその時点で、すでにアウト。現代では精米にも電気を使った機械で行う事を考えると、火力発電。。なんて細かいことを考える以前に、すでに他の人と同じ火の下を通ってきた事は明らかなのです。そう考えると、家の中で電灯を点けただけで、もうすでに別火の意味は失われているのです。

本来 別火とは、自分用にガスレンジで調理して、出来上がったら火を止めて、またすぐに別のお鍋でガスレンジをカチン! でよい、という事ではないでしょう。竈の火を落として、あらためて家人のためにもう一度、火打ち石から火を熾すから意味があるので、それに気づいた ぬえは、別火は「潔斎する、という気持ちの問題だ」と割り切って、できる範囲内で行う事にしました。。

今年は思わずも千歳のお役を久しぶりに頂きましたが、初役ではないので別火はどうしようかなあ。。と考えて、結局1日だけ別火をする事にしました。この日だけは自分の稽古もお休みです。じっと安静にしていて、本を読んで過ごしていました。まあ。。「なんちゃって別火」と古人には笑われるでしょうが、要は潔斎する、という気持ちで一日を過ごすので、それでいいんじゃないか、と自分を納得させて。。

もう電気のない不便な暮らしには戻れないよなあ。それを手放す事も ぬえにはできない。便利さの陰で失われてしまっているものも多い、と、改めて考えた一日でした。