ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

翁付き『賀茂』素働(その5)

2006-01-24 02:25:04 | 能楽
これにて地謡と後見が切戸に退場しますが、囃子方はさらに居残って狂言のお相手をなさいます。ぬえが楽屋に戻って時計を見ると、『翁』が始まってからここまでで2時間50分を要していました。その後はお装束の片づけに追われていたので狂言『福の神』の終了時刻は注意していなかったのですが、全体で3時間15分程度掛かったのではないかと思います。舞台に出ている方々も大変ですが、お客様にとっても大変な催しでした。それでも正月の改まった催し(初会)として、清浄な空気の中で催しが無事に終わったことはとても喜ばしいと思います。今年が平安な年になりますように。。

余談ですが、『翁』~脇能と連続して上演する事は現在でもかなり希なため、思わぬ勘違いが起きてしまいます。。

たとえば、三番叟が幕に引いて『翁』が終わった時に、脇鼓も幕に引き、地謡も座を改めると、なんとなく「さて、続いて脇能だ!」と気が勇みすぎるのでしょうね、すぐにお囃子方が「礼脇」を打ち始めてしまう事がある。。「礼脇」を打つほかは普通の能の始まり方と同じなのだから、ここは「作物がある曲では後見が作物を持ち出すのを待って床几に掛けて礼脇を打ち出す」というのが正解です。これは今年の年始にすでに某会で実際に起こってしまったそう。仕方なく後見は、前シテが出る直前に作物を出したのだそうです。同じような例ですが逆に後見が作物を出し忘れて、いつまでたっても脇能が始まらない、という事もありそう。。『翁』の後見が引き続いて脇能の後見を勤めるので、作物まで気が回らなかった、という場合です。これも可能性はないとは言えない。今回の『賀茂』は矢立台の作物を出すので、出演者みんなで声を掛け合って、そのミスをふせぎました。

その2。脇能が終わっても地謡が切戸に引かない。これは去年、『翁』付き『高砂』で地謡を勤めた ぬえがもう少しのところでやってしまうところでした。長い長い時間 地謡座に座っていて、さて『高砂』が終わって、囃子方が床几から下りて。さて地謡が切戸に引こうかな。。と思ったのに、なぜか囃子方が着座したまま動かない。。「??。。。!!」とすぐに気がついて、先頭の ぬえが立ち上がって地謡一同が切戸に引き、脇狂言が始まりました。。これは、能が終わった時には、地謡は囃子方の先頭(=笛方)が立ち上がるのを見て、それから立ち上がって引く約束になっているのです。最近は囃子方も地謡も、あまり気を遣っていないような場合も見かけるけれど、ぬえは書生時代にはそう習いました。なんでも昔は、それを知らない地謡が偉い笛方の先生より先に立ち上がると、笛方のその先生に引き倒されたりしたそうです(舞台上で。。お客様の目の前で、ということです。。くわばら くわばら)

その3。脇狂言が終わるまでに、能のシテやツレが紋付き袴に着替えていない。これはなぜかといぶかる方もおられるかも知れませんね。。能が終わっていつもはすぐにする、「ありがとうございました」と囃子方と挨拶を交わすためです。これもいつもならば能が終わってすぐに、シテやツレに引き続いて幕に引くワキと挨拶を交わし、つぎに作物があれば後見がそれを引いて、それから幕に引いてくるお囃子方を待ち受けて鏡の間で挨拶を交わすのです。「翁付き脇能」の場合、おワキはいつも通りシテに続いて幕に引いて来られるので、すぐにいつも通り挨拶ができますが、お囃子方はそこでは引かずに、さらに脇狂言のおつきあいをされますので、能のシテやツレがお囃子方と挨拶を交わすのは、この脇狂言が終わってから、という事になります。ところが能が終わってひと通りの挨拶が済むと、シテ方は装束を片づけたり、作物を解体したりしなければならないので、非常に忙しくなるのです。ぬえも装束を脱いで、あとは胴着のままで装束の片づけに追われていましたが、脇狂言が終わる直前に、急いで服装を紋付き袴に改めて、お囃子方とのご挨拶にはなんとか遅れずにすみました。(くわばら くわばら)