『翁』の解説も、ようやく囃子方が打ち出すところまでこぎ着けた(~~;) もう上演から2ヶ月が経とうとしているのに。。ちょっとピッチを上げて参りましょう。
笛の「座付き」「ヒシギ」を聞いてすぐに小鼓が打ち出します。頭取がひとクサリの手を打ってから、脇鼓も加わっての三調となり、おなじみの「イヤ△ イヤ△ ハ○ ○○」という手を打ち行きます。この手は元気良く、かなり急調に打たれるのですが、そのいくつ目かの時(小鼓の流儀により変動があるようです)に、頭取が知セの手を打って小さな段落を作ります。
この後、今度は「翁」大夫の位でゆったりと、上記と似た手を打ち、大夫が「とうとうたらり。。」と謡い出します。シテの謡は強く、しかれどもシッカリ。地謡は、これも強く、そしてサラリと謡います。この時小鼓の頭取はシテが謡うところと地謡が謡うところでは少し手を変えて打ちます。流儀によっては「一つ頭」「二つ頭」などと称する手で、謡が拍子に合っていないのにうまく見計らって打っておられますね。ぬえが『翁』の小鼓をアシラウと、どうも見計らいがまずくて、なかなかシテ謡と地謡のそれぞれの配分の中にこの小鼓の手がうまく嵌りませんが。。
さて地謡が二度目に「ちりやたらり、たらりら。。」と謡うとき、頭取は知セの手を打って、一瞬の小休止。間髪を入れずに笛が「ヒシギ」を吹いて、これより「千歳」が舞い始める場面になります。
笛の「ヒシギ」のあと頭取が「イヤ△ハ○」と打ち出し、すぐに脇鼓も呼応するように打ち出し、以後「ヤ●ハ○」と打ち続けます。いくつ目かの手を聞いて「千歳」は床につけていた手を上げ「鳴るは瀧の水」と謡いながら左・右と袖の露を取り、立ち上がって大小前へ行き正面に向きます。このところで地謡が「絶えずとうたりありうとうとうとう」と謡い、この地謡いっぱいに「千歳」は正先へ出、「絶えずとうたり、常にとうたり」と謡いながら右にウケ、三ツユリの終わりをうまく小鼓の手に合わせて止め、それよりひとつ目の「千歳之舞」となります。
「千歳」はもとより「翁」が舞う前に舞台を清め、邪気を払う「露払い」の役とされ、若者が勤めるのが本義です。考えてみれば、役者は公演の前に精進潔斎をし、楽屋では「盃事」をし、さらに演者だけではなく幕の隙間から後見が手を出して舞台にも切り火を切るのですから、そのうえに邪気を払う「千歳」の役がわざわざ立てられているのは、まことに念の入った事ですね。
「千歳之舞」の型は次の通り。まず両袖の露を放し、大小前に下がりながら両袖を巻き上げ、小鼓の粒に合わせて右足拍子ひとつ踏み、両袖を払い、すぐに両袖を外側より返し、脇座に向き出、脇座にて左の袖を払いながら常座に向き出、常座にて幕の方へキメ、正へ向き出、目付柱にて正の方へキメ、脇座へ向き出、脇座より大小前へ行き、扇を左手に取り大きく前へ出し、正面へ向き右袖を巻き上げて右拍子ひとつ踏み、右へ小さく廻りながら右袖を払い、太鼓座前の通りにて幕の方へ右袖を出し、すぐに正面へノリ込ながら右袖を返し、右・左と拍子を踏み(このところに小鼓頭取は手を打つ)、右袖を払いながら右拍子ひとつ踏み左手の扇を前へ出し「君の千歳を経ん事も」と謡い出す。
【重要】上記「千歳之舞」の型は、「型付」(それぞれの家に伝わる型の“振り付け”を記した伝書)を写したものではなく、実際の型を大まかに記したものです。師家に伝わり、ぬえが拝見させて頂いた「型付」を開陳する事はもちろん斯道のルール違反。しかし、近来はテレビで『翁』を含む「重習」の曲が放映され、それが録画できて何度も再生できる状況ですので、鑑賞の参考までに、師伝など重要な点を除いたうえで、型の大略を記しておきました。小鼓の手についても ぬえが小鼓の師伝を受けた内容までの開陳は控え、あくまで知っていれば鑑賞の参考になりそうな事柄を、要点のみ記しておいたまでの事です。ぬえがこのブログ等で舞の型や囃子の手組を書き込む場合、常にこのようなスタンスである事をご承知おき下さいまし。。
笛の「座付き」「ヒシギ」を聞いてすぐに小鼓が打ち出します。頭取がひとクサリの手を打ってから、脇鼓も加わっての三調となり、おなじみの「イヤ△ イヤ△ ハ○ ○○」という手を打ち行きます。この手は元気良く、かなり急調に打たれるのですが、そのいくつ目かの時(小鼓の流儀により変動があるようです)に、頭取が知セの手を打って小さな段落を作ります。
この後、今度は「翁」大夫の位でゆったりと、上記と似た手を打ち、大夫が「とうとうたらり。。」と謡い出します。シテの謡は強く、しかれどもシッカリ。地謡は、これも強く、そしてサラリと謡います。この時小鼓の頭取はシテが謡うところと地謡が謡うところでは少し手を変えて打ちます。流儀によっては「一つ頭」「二つ頭」などと称する手で、謡が拍子に合っていないのにうまく見計らって打っておられますね。ぬえが『翁』の小鼓をアシラウと、どうも見計らいがまずくて、なかなかシテ謡と地謡のそれぞれの配分の中にこの小鼓の手がうまく嵌りませんが。。
さて地謡が二度目に「ちりやたらり、たらりら。。」と謡うとき、頭取は知セの手を打って、一瞬の小休止。間髪を入れずに笛が「ヒシギ」を吹いて、これより「千歳」が舞い始める場面になります。
笛の「ヒシギ」のあと頭取が「イヤ△ハ○」と打ち出し、すぐに脇鼓も呼応するように打ち出し、以後「ヤ●ハ○」と打ち続けます。いくつ目かの手を聞いて「千歳」は床につけていた手を上げ「鳴るは瀧の水」と謡いながら左・右と袖の露を取り、立ち上がって大小前へ行き正面に向きます。このところで地謡が「絶えずとうたりありうとうとうとう」と謡い、この地謡いっぱいに「千歳」は正先へ出、「絶えずとうたり、常にとうたり」と謡いながら右にウケ、三ツユリの終わりをうまく小鼓の手に合わせて止め、それよりひとつ目の「千歳之舞」となります。
「千歳」はもとより「翁」が舞う前に舞台を清め、邪気を払う「露払い」の役とされ、若者が勤めるのが本義です。考えてみれば、役者は公演の前に精進潔斎をし、楽屋では「盃事」をし、さらに演者だけではなく幕の隙間から後見が手を出して舞台にも切り火を切るのですから、そのうえに邪気を払う「千歳」の役がわざわざ立てられているのは、まことに念の入った事ですね。
「千歳之舞」の型は次の通り。まず両袖の露を放し、大小前に下がりながら両袖を巻き上げ、小鼓の粒に合わせて右足拍子ひとつ踏み、両袖を払い、すぐに両袖を外側より返し、脇座に向き出、脇座にて左の袖を払いながら常座に向き出、常座にて幕の方へキメ、正へ向き出、目付柱にて正の方へキメ、脇座へ向き出、脇座より大小前へ行き、扇を左手に取り大きく前へ出し、正面へ向き右袖を巻き上げて右拍子ひとつ踏み、右へ小さく廻りながら右袖を払い、太鼓座前の通りにて幕の方へ右袖を出し、すぐに正面へノリ込ながら右袖を返し、右・左と拍子を踏み(このところに小鼓頭取は手を打つ)、右袖を払いながら右拍子ひとつ踏み左手の扇を前へ出し「君の千歳を経ん事も」と謡い出す。
【重要】上記「千歳之舞」の型は、「型付」(それぞれの家に伝わる型の“振り付け”を記した伝書)を写したものではなく、実際の型を大まかに記したものです。師家に伝わり、ぬえが拝見させて頂いた「型付」を開陳する事はもちろん斯道のルール違反。しかし、近来はテレビで『翁』を含む「重習」の曲が放映され、それが録画できて何度も再生できる状況ですので、鑑賞の参考までに、師伝など重要な点を除いたうえで、型の大略を記しておきました。小鼓の手についても ぬえが小鼓の師伝を受けた内容までの開陳は控え、あくまで知っていれば鑑賞の参考になりそうな事柄を、要点のみ記しておいたまでの事です。ぬえがこのブログ等で舞の型や囃子の手組を書き込む場合、常にこのようなスタンスである事をご承知おき下さいまし。。