ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

研能会初会(その18)

2007-03-08 18:58:09 | 能楽
二度目の「千歳之舞」の終わり、「千歳」は大鼓前あたりで扇を左手に取り、大きく前にかざすのを囃子方に見せて「千歳之舞」のトメの「知セ」とします。それより「千歳」は小廻りして正面に向きながら右袖を巻き上げ、ヒラキながら開いたままの扇を前へ大きく出します。このところで小鼓は打ち止め、笛がヒシギを吹いて、その「ヒシギ」の間隙に「千歳」は左拍子を踏み込み、これで「千歳之舞」は終わりになります。

この直後、再び小鼓が大夫の位で打ち出しますので、「翁」が「揚巻やとんどや」と謡い出す前に、「千歳」は手回しに右袖を払い、扇をたたんで脇座へ行き(もちろん脇座に到着するときも右足でトメます)、はじめのように下居して平伏しています。

「翁」は小鼓の手を聞いて「揚巻やとんどや」と静かに謡い出し、地謡も「いろばかりやとんどや」と受けます。このあたり、シテも地謡も謡の節に細かい技法が多く取り入れられているところですね。「座していたれども」と「翁」は右へトリ、扇を広げ、両手を拡げて立ち上がり、大小前の方へ行きます。「翁」は舞台に登場して正先に拝をしてからこの座に安座して以降、ずうっと姿勢を崩さずに安座しているのですから、この時に立ち上がるのは舞台の条件によっては大変つらいでしょうね。ぬえの師家では毎年の元旦、兵庫県の丹波篠山で『翁』を奉納しますが、このときは深夜0時半から、最近重文に指定された春日神社の古いお舞台で上演されるのです。お舞台はもちろん野外で、最近こそ暖冬の影響であまりしんしんと冷える事も少なくなってきましたが、ぬえが「千歳」を披いた10数年前にはお舞台の上に雪が降り込んできた事も、よくありました。こういうところでは大夫も大変です。

さて「翁」が立ち上がると、それまで常座に平伏していた「三番叟」も立ち上がります。ちょうど地謡が「参らうれんげりや、とんどや」と謡う頃に、「三番叟」は「翁」の方へ向いて少し出、ちょうど大小前へ向かう「翁」と向き合う格好になり、「翁」はそのまますぐに正面に向き、扇で面を隠すように両手を面の前で組み、ヒラキながら再び両手を拡げます。ところでよく『翁』の写真で、この両手を拡げて正面に向き、祝祷の謡を謡う型を見かけますが、じつはシテ方のお流儀によっては両手ではなく扇を持った右手だけを拡げる型をされる場合もあります。

さて「三番叟」は「翁」が正面を向くと、すぐに後見座へ退きます。ふだんはシテ方の後見が座っている後見座ですが、『翁』の時には狂言方の後見が二人座っていて、このとき「三番叟」がのちに舞うための「物着」をします。すなわちそれまで頭に載せていた侍烏帽子を剣先烏帽子に替え、直垂の後ろを放すのです。烏帽子を替える事で、祭祀儀礼に参列している「正装の武士」の姿から、「三番叟」という、「翁」とはまた少し替わった意味合いを持つ「神」への変化を意味するのでしょう。「翁」とは違って、舞台に登場した当初は神官としての意味合いを持たず、「翁帰り」のあとで「神格」を得る「三番叟」は、言うなればその存在に二重の意味があるのであり、直垂の後ろを放すのも、「翁」のように神官の姿をしていない「三番叟」が、神格を得たときに ほかの登場人物とハッキリと姿を分けるシンボルなのだと思います。

物着を終えた「三番叟」は再び立ち上がって橋掛りに向かい、一之松の裏欄干、すなわち常の狂言の居座にて正面を向いて着座します。このとき「三番叟」が平伏しないのも、すでに物着を終えた神=「三番叟」が、祭祀の場である『翁』の舞台とはまた別の異空間にいるのであって、祝祷のために こちら=現世=舞台に影向するため、静かに歩を進めている、と考えることもできそうです。