ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

第8回狩野川薪能(その4~笛の稽古=上達の驚異)

2007-03-13 01:56:28 | 能楽
ふうむ、やはり人には得手・不得手というもの、あるいは特殊な才能というものはあるもので。

伊豆の国市での子どもへの稽古では ぬえは 子ども創作能『江間の小四郎』の各役の稽古やら、地謡の稽古、それから中学生になる子への仕舞の稽古、さらに玄人能『一角仙人』の子方の稽古、と目まぐるしく立ち働いていまして、それでも時間が足りずにヒイヒイ言いながら稽古を続けていました。

その終了時間に近い頃、笛のT氏が東京の舞台を終えてようやく到着。挨拶もそこそこに、笛の希望者を集めて別室で稽古を始めます。ぬえは残った稽古のメニューをこなして、ようやくこの日の稽古を終了しました。ところが。

汗を拭きふき ぬえが ふと気づくと。。遠くから笛の譜が聞こえてきます。「ヲヒャ、ヲヒャーーーラー。。」あれ? どうもこれはT氏の音色ではないようだが。そこで薪能実行委員会のE氏が ぬえに告げました。「いやいや ぬえさん、ご苦労さん。笛の稽古もだいぶ出来ているようだよ」 ええっ?

そこで ぬえら子どもたちの稽古の講師の控え室になっている和室=臨時に笛の稽古教室にもなっている その部屋に戻ってみると、もうすでに遠くから子どもたちの大騒ぎの笑い声は聞こえるわ、それに交じってキチンとした譜も聞こえてくる。「まさか。。」部屋に入ってみると、もう子どもたちは立派に笛を吹いています。指づかいや、鼓にどのように合わせて吹くのか、こそ これから詳しく習うのだろうけれども、少なくとも子どもたちが吹く笛は、ちゃあんと鳴っている。。 これは驚いた。

まあ、どんな楽器にせよ、楽器は鳴らなくては上達のしようもないし、何より習っている方も面白くない。上達の意欲も湧かない、というものです。この点、日本の楽器はかなり不利な条件を持っていると言ってよいでしょう。以前、「本当に優れた楽器とは、誰にでも鳴らせる楽器」という言葉を聞いたことがあり、なるほどなあ、と ぬえも感心したものです。その意味じゃ、少なくとも初心者にとって親近感がわきやすいのはギターよりもむしろピアノが上(楽器そのものの優劣ではないですよ?)。なんたってニャンコが鍵盤の上を歩いても音は鳴るんだから。そして、鳴らすことができてから、初めて楽器は習得のための練習が始まるのです。音が鳴らなきゃ自宅で自習のしようもない。この点、能楽の囃子は大変に鳴らすのが難しいです。ぬえが得意とする鼓だって、「ポンッ!」と良い調子で鳴らせるのは、楽器の個性も非常に大きいけれど、それ以上にコツが要るのです。「囃子オタク」を自認する ぬえがそう思う。

ところが…さすが本職は違うですね。。T氏は笛を「どうやったら鳴らすことができるか」を教える事ができるのねえ。これは囃子オタクであっても、結局は楽器を「習う」ことに終始していた ぬえにはできないでしょう。

で、実際のところ、部屋に入った ぬえが見た光景は、単純な譜だけを習った子どもが「ヲヒャ、ヲヒャーラーー」と繰り返して吹いていて、自分の順番を待つ子はそれに合わせて唱歌を歌いながら大はしゃぎ。どうやら「ヲヒャーー」という笛の譜が奇妙に聞こえて喜んでいるらしい。ん~、こんなに笛方を侮辱した喜び方もないもんだなあ、とも思ったけれど、当のT氏は「面白いだろう? ほら、吹いていない子は手拍子をたたきながら歌って」なんて盛り立ててる。

どの道であってもプロってのはすごいですね。そういえば某小鼓方の先生は、「あの。。小鼓を打ってみたいんですけど。。」と恐るおそる入門したお弟子さんに、一回の稽古で鼓を鳴らすワザを持っている、と聞いたこともあります。小鼓だって鳴らすのは相当に難しいのに、この日はT氏のプロのワザを見て、非常に感心したのでした。プロはかくありたい。

(本当はこのときに大喜びして稽古している子どもたちを ぬえが撮影した画像をここで紹介したいのだけれど。。T氏の了解を得ていないので今回は断念。。)