ぬえの能楽通信blog

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研能会初会(その28)

2007-04-03 15:39:51 | 能楽
現在通常行う『翁』(観世流では「四日之式」ですね)の場合、「三番叟」と「面箱持ち」との問答は、「色の黒い尉」が「アドの大夫」に挨拶をし、めでたく舞を所望されると、舞を見せることと「アドの大夫」が座敷に直る事との順序を譲り合い、座敷に直る事が先に決すると「アドの大夫」は「三番叟」に「さあらば鈴を参らせ候」と鈴を手渡す、というものです。「アドの大夫」という言葉には引っかかるものの、脚本としての意味は取り立てて重要なやりとりではなく、「三番叟」が舞を舞うこと、三番叟が鈴を持つことが説明される程度です。どちらが先に何かの仕事を行うか、と順序を言いたてるのは狂言にはよくある例で、『道成寺』の間なども同じ趣向ですね。

ところが今回は『翁』に「法会之式」の小書が付いたため、「三番叟」は鈴ではなく短い錫杖を持って舞い、この部分の問答も「さあらば錫杖を参らせ候」と替わりました。しかし、狂言方の古い伝書を調べてみたところ、「法会之式」以外の『翁』の小書「初日之式」「二日之式」「三日之式」の場合であっても問答の内容が替わる事がわかりました。そしてまた、その替わる文句も時代によって異同があるのです。

まずは今回の研能会初会の「法会之式」で錫杖が使われた事について。

じつは先日、某囃子方から教示を受けまして、それによれば、あの「三番叟」の演式は「陰陽之式」と言うものなのだそうで、やはり『翁』が「法会之式」で演じられる場合に行われる演式なのだそうです。そしてそれを裏付ける伝書をいくつか発見できました。「法会之式」は前述のように多武峰猿楽独自の『翁』の演出だったもので、これを観世流の現行演出に取り入れたのは観世元章です。そして、調べたところ元章の伝書『九番習』の「法会之式」には注記として「三番叟ハ錫杖之式也」という記事がありました。

また廃絶した狂言鷺流の伝書には「陰陽三番三」として、「法会之式」の際に「三番三」が錫杖を持って舞う際の「三番叟」と「面箱持ち」との問答が記載されてあり、そこには「三番三」がなぜ錫杖を持つのか、その由来を「三番叟」が語リを謡う演出が載っています。興味深い記事なので以下に掲出します。

陰陽三番三 〔錫杖ニテ舞フ。法会杯ノ時相勤ル〕

(前略)
三番三「今日の御祝儀の鈴の段を、珍らしう錫杖にて舞ふと存るが、いかにと候べし」
千歳「夫ハ兎も角もにて候。夫ながら錫杖にて御舞有ても苦しからぬ謂バし候か」
三番三「御不審尤もにて候。夫に付目出たき子細の候。語て聞せ申さふずる。
「先我朝ハ天地開闢より神国なり。夫に付、神道と仏道とハ車の輪のごとし。去れバ神躰様々有る中に、中にも神楽を奏する事ハ天の細女の尊の舞初て、日月明に納る御代となし給ふ。其猿女君の鈴は十二輪なり。又仏法には六輪なり。此六輪とは錫杖なれバ、是に依て鈴も錫杖も同前なり。又錫杖は虚空を形どりて大輪とし、杖をもって定とす。彼六輪と申ハ仏の六波羅密を表し給ふ。故に鈴を振り錫杖を振ならし振ならし、御祈祷あれバ、上は梵天帝釈四大天王、焔魔法王五道の冥官、山野江河の鱗までも、錫杖の音を聞、悦勇ミ申さずと云事なし。殊に悪魔外道も納受たれし故、災難さり、一段目出度御祈祷なれバ、今日の鈴の段を錫杖にて舞ふずる間、先雇の大夫殿ハ、元の座敷へおもおもと御直り候へ」
千歳「左あらば旁の仰に任せ、元の座しきに直らふずる間、急で御舞候へ
三番三「心得申候
〔此時後見ヨリ錫杖ヲ渡スナリ〕

誤解のないよう申しておきますが、先日 ぬえが拝見した「陰陽之式」ではこのような語リは入らず、「三番叟」と「面箱持ち」との問答は普段の『翁』で聞かれる問答とほとんど同じで、ただ一句「さあらば鈴を参らせ候」だけが「さあらば錫杖を…」と替わったのです。

鷺流のこの「陰陽三番三」では「三番三」が錫杖で舞う事を提案して、「千歳」にその謂われを尋ねられるもので、錫杖も「千歳」が渡すのではなく後見から。つまり「三番三」があらかじめ錫杖を用意していた、と思われます。鷺流は観世流の座付きの狂言方であり、この「陰陽三番三」が多武峰猿楽の古態をとどめているかどうかは不明で、あるいは元章によって「法会之式」が観世流に導入された際に新作されたとも考えられます。「陰陽之式」といってもいろいろなやり方があるのですね。