ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『隅田川』について(その1)

2007-04-29 02:03:34 | 能楽

『隅田川』。。もう何も余計な事を語る必要がない能の最高の名曲でしょう。はじめて ぬえがこの曲を拝見したのは学生時代ですが、そのとき受けた衝撃は忘れられません。世阿弥の「優秀すぎる」長男・観世十郎元雅の作になるこの曲、『申楽談儀』に載せられた、作者・元雅と その父・世阿弥との『隅田川』の演出についての、あまりにも有名な議論。あの舞台人同士だからできる会話は 同じく実演者である ぬえにはとってもよく分かります。あの会話の様子を想像すると、一挙に室町時代の世阿弥の屋敷の中にタイムトリップしちゃう。(^◇^;)

その後、作者の十郎元雅が30歳代で亡くなった可能性が高い事を知って(生年に確証がないので確実ではない)、そうなると、これだけ人間を細やかに見つめた能『隅田川』が、30歳代、ひょっとすると20代という若い眼が捉えた人間像であった事になり、これまた ぬえは驚愕したのでした。何という鋭敏な神経をもって生きた人なのだろう。同じく十郎元雅の作品には『弱法師』もあり、これも深く深く人間を凝視した曲です。

一方では元雅は、世阿弥の長男でありながら政治戦略に敗れて父とともに観世座を離れ、伊勢で客死した不遇の人。吉野の天河弁財天社に現存する、彼が奉納した「阿古父尉」の面。その面裏に書かれた「心中所願円満成就也」の文字。ぬえは縁あってこの面を手に触れた事がありますが、元雅は何を心中に祈念して、「円満成就」したのか、その面の、とても現代の舞台には耐えられないであろう不思議な相貌と相まって。。混乱しました。そして将来を嘱望する嫡男の急逝を惜しんで、68歳になる父が記した『夢跡一紙』が今に伝える悲痛な叫び。

さるにても善春 子ながらも類なき達人……又祖父にも越えたる勘能と見えしほどに……道の奥義秘伝、ことごとく記し伝える数々、一炊の夢となりて、無主無益の塵煙となさんのみ也……善春 幻に来たって仮の親子の離別の思ひに枝葉の乱墨を付くること まことに思ひの余なるべし

十郎元雅は彼の死後575年を経た現代の我々の心の中にも深く、深く浸透して来ます。ぬえはこの人には本当に思い入れが強くて。

さて『隅田川』という名曲には当然ながら古今に名演もたくさん残されています。こういう、演者にもお客さまにも思い入れがある曲を演じるのは、だからこそ本当に難しい。ぬえもこの曲の地謡に出ていて、涙を流してしまった事もあります。。

そういえば。。 ぬえは京都の浦田保利先生を尊敬してやまないのですが、それも先生が勤められた『隅田川』を拝見してからでした。しかもその『隅田川』は海外で演じられたものだったのです。もうずいぶん以前になりますが、浦田先生とドイツ公演をご一緒させて頂いた事があって、その時に先生が演じられ、ぬえも地謡を勤めた『隅田川』は、これまた ぬえには衝撃的でした。生きることのつらさ。汗まみれ、泥まみれになっても貫かれる執念。これだけ象徴的・抽象的な演技技法の上に立脚する能に、あれほど直截的に人間の存在感を表現できるなんて。。

その旅行では ぬえは浦田先生の門下のF師とホテルで同室だったのですが、ああ、その夜浦田先生の『隅田川』を拝見して興奮した ぬえは、F師の肩をつかんで揺さぶるようにして「今日の『隅田川』は良かったですねぇぇ!!!!!」と連発していたのでした。(^^;) ぬえからは父ほど年の離れたF師にこんな失礼もないはずなのですが、なんだかF師には気に入って頂いちゃったようで、その後F師とは親交を深めさせて頂くことになりました。毎年F師も ぬえを京都の催しにお呼び下さるし、ぬえも東京での自分の会にF師にお手伝いをお願いしたり、ぬえの海外での催しにも、必ずF師にご同行を願っています。これもみ~んな、出発点は『隅田川』だったりするのですよねー。