ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

研能会初会(その32)

2007-04-12 00:01:27 | 能楽
『翁』についての説明【補遺】

※上記は ぬえが所属する観世流の上演の形式を記したもので、流儀により上演の演式は異なる場合があります。とくに下掛リのお流儀(金春・金剛・喜多)では、「千歳」を狂言方が勤め、この「千歳」が「面箱持ち」の役を兼ねます。

※「千歳之舞」のうち最初の舞(「一之舞」とも称する事がある由)は、小鼓が三拍子で打ち続ける、とっても特殊な手配りの舞です。
 ヤ ● ハ ○ 、 ヤ ● ハ ○ …

「三拍子」と言うと分かりやすいのですが、ぬえは小鼓で『翁』を習ったときに「…それではここは三拍子で打つのですね?」と小鼓の先生に聞いて、叱られた事があります。「三拍子じゃないっ」…すなわち「三拍子」というのは西洋音楽のリズムの捉え方で、小鼓の稽古ではあくまで、どのように打ち、どのように間を空けるのかを口伝として習うのです。事実上、やっぱりこの舞の手配りは「三拍子」に違いないとは思うのですが、「三拍子」と言ってしまった途端に、心で間を取るその「呼吸」という、最も大切なことから離れて行ってしまうのですね。

そう言えば、小鼓の大倉流だけはこの最初の「千歳之舞」の手配りは特殊な間合いで打たれます。あれはまさに口伝でしか伝えられない間でしょう。あえて記せば「三拍子より長く、四拍子よりも短い」という、本当に特殊な間で、あの間合いで長い時間、三人の小鼓が息を合わせて打たれているのは驚き。まさに稽古の賜でしょう。

※三番叟の直垂の袖について。これはあまり注目されていない事かもしれません。三番叟が舞う「揉之段」と「鈴之段」には、前者が直面で舞われ、後者が黒式尉の面を掛けて鈴を持って舞う、という大きな違いがありますが、そのほかにもこの二つの舞には対照的な違いがあるのです。

たとえば「三番叟」は「揉之段」では直垂の袖を返し、巻き上げて勇壮に舞いながら、囃子の掛け声に合わせるような声を掛けながら舞う、というのが一つの特長でしょう。この掛け声にもお流儀による違いがあって、和泉流では「ヤ、ハン、ハ」と囃子の掛け声に近い感じの掛け声をかけ、大蔵流では「イヨーーー、ハ」と声を引き、どちらのお流儀でも要所要所で少し掛け声を変えます。

また「鈴之段」では、「揉之段」とは対照的に、「三番叟」は無言で舞います。さらに特徴的なのは、「鈴之段」の間は「三番叟」は両袖の露を取ったまま舞うのです。シテ方の舞でも「天女之舞」や「千歳之舞」など最初に袖の露を取って舞い始める舞はあるのですが、舞の間中ずっと、というのはほかに例がありません。

※さらに対照的なのは「三番叟」の扇で、「揉之段」では扇は開かれる事はなく、「三番叟」はずっと扇を閉じたまま舞っていますが、反対に「鈴之段」では「三番叟」は拡げた扇を左手に持ち、右手で鈴を振りながら舞うのです。閉じた扇と拡げた扇。袖を返して舞われる舞と露を取ったまま舞う舞。掛け声を掛ける舞と無言の舞。「三番叟」の二つの舞は、様々な点で対照的になるように作られてあるような気がします。

ところで、ずいぶん以前に狂言方の某と話をしていて、「三番叟」が持つ扇の話題になった事があります。彼が言うには、「三番叟」の扇は「翁」と同じ「蓬莱山図」なのだそうで、ところがただ一箇所、「翁扇」とは大きな違いがある、と言うのです。「蓬莱山図」とは、大海に浮かんだ亀が島となって、その背からは老松が生え、鶴がその上空を舞い遊んでいる図柄で、仙境を表す吉祥の図です。「翁扇」では海に浮かんでいる亀をちょうど真横から眺めた図で、頭は左側にあるのが普通。ところが彼が言うには「三番叟」が使う扇は、その亀が「タテに描かれている」と言うのです。「え。。?タテ?」と ぬえは疑いましたが、彼は「三番叟」の扇を見せてくれました。いやびっくり!本当に亀がタテに描かれている。。ちょっと想像しにくいかも知れませんが、その扇は「翁扇」とほとんど同一の図柄で、褄は紺、大海に亀がいて、そして老松も鶴も描かれてありました。ただ、海に浮かんでいるべき亀だけが甲羅をこちらに向けて、まるで海から天に上って行こうとしているかのような姿勢で描かれていたのでした。あるいは老松の幹によじ上ろうとしているのか。。こんなところにも「翁」と少しだけ異なる「三番叟」の姿を垣間見ることができたのでした。ううむ。不思議だ。。